“信頼性“を求める

およそ50年前のJapanese Society of Medical Instrumentationの「国産顕微鏡の現状と将来」という座談会の最後の頁にある独立コラム「国産器械におもう」より “信頼性“を求める

慶応大学外科 加納保之

 貿易自由化が目前に迫るとともに何とも理解し難い現象があらわれてきた。口を開けば世界一の技術水準を吹聴していた連中が急にあわてだし、通産省ではまたぞろ国産愛用の幟旗を上げるという体たらくである。春、秋の医学会をのぞいて見れば、少し注意をひくような研究は、殆ど輸入された器械によて行われたものである。私は1昨年後半をセイロン政府の招請によりセイロン大学、国立病院で胸部外科の指導に当ったが、その際携行した器具器械は錆びたり、メッキが剥げたりで、長年使われ、しかも光り輝いている英国製の器具と一緒に器械棚に並べられて赤面した。そのとき持参した写真機は同行者の写真機も、いずれも有名一流品だったが故障してしまった。
 日本人は起用だと云う言葉を屡々聞くが、考えざるも甚だしい。ハミルトンの指輪に装置した時計をみるがよい。あの白人の大きな手で組立て、しかも役に立つ精確さを保持させているではないか。カシミールの土産物の彫刻を見よ。繊細、一刻みのあやまりもない。強いていえば日本人の器用さはゴマ化し器用である。近頃消費は美徳であると云う言葉が目立つ。これも考えざるも甚だしい。英・米・独の一流器機を見よ。決してそんな薄っぺらな流行的なものではない。我々は正確で耐久力のある器械器具を欲するのであり、器用さでなく、信頼性を求めているのである。国産愛用などと古ぼけた戦時中の標語を今さら引出さなくとも優秀なものは必ず買われ使われるのである。

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by zam20f2 | 2011-01-15 09:23 | 文系 | Comments(0)
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