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もう一つのコミュニケーション能力

「小さなモモにできたこと、それはほかでもありません、あいての話を聞くことでした。」
ミヒャエル・エンデ 「モモ」より

世の流れとして、コミュニケーション能力と称するモノが求められるようになってきている。人前でもっともらしく話ができないと、コミュニケーション能力に問題があることになり、肩身の狭い思いをするどころか、能力以下の評価を受けることさえある。

さて、コミュニケーションだけれども、話し手だけでは成立するはずもなく、聞き手が必要である。現在のコミュニケーションを巡る話では、話し手側のスキルを要請する場合のみが目立っている。

しかしながら、コミュニケーションは相互関係である以上、話し手の能力と同じ程度は聞き手のスキルも重要な筈である。では、聞き手のスキルが低下すると、どのようなことが生じるのであろうか。

聞き手のスキル低下による問題は聞き手の立ち位置により異なる。

聞き手が学校の生徒のように、話されたことを習得しなければならないような立場である場合には、聞く能力の低下は、同じ話を聞いたときの理解度低下を引き起こす。現在の風潮では、生徒の理解度の低下は教える側のスキルの問題となるため、教える側はより理解が容易な手法を行わざるを得なくなるが、それは、多くの場合はレベルの低下を伴うことになる。また、教え方の工夫により、聞く力を訓練する必要は減少するので、レベル低下に対する正のフィードバックがかかることになる。

聞き手が組織の上司のように、話すことを理解して貰わなければいけないような相手である場合には、聞く力の低下は、組織の活力の低下をもたらす。聞く力の低い人間は、その場で深く考えなくても理解出来るような内容しか受け入れることが出来ない。このため、内容よりもプレゼン能力に長けた人間がそのような上司の下では評価され、そのような情報やアイデアに基づいて組織が動くことになる。これに類似したことは、非英語圏における組織が内部で英語を公用語にする場合にも起こりうると指摘されている。

本来、組織の上に行けば行くほど、様々な意見を深く吸い上げて、それに基づいて合理的な判断を行わなければならない筈である。しかし、組織の上の人間の理解力が低下すれば、このようなことは不可能になり、結果として組織の意志決定は、お粗末なものになっていく。

そして、組織の上層部の聞く能力の低下により組織の意志決定がお粗末になったとしても、それは明示的には認識されることはない。何故なら、理解されず採用されなかったことがらは、世の中に存在していなかったことになるから、それが存在した場合に避けられた事柄や、得られた利益については評価されることがないからである。このため、組織がクラッシュして、外から、より真っ当な知見を持った人間が乗り込んでくるまでは、問題があることが認識されることはない。

そんな訳で、過度の話し方の練習をするのって、世の中をグダな方向に動かすような気がするんだけれど、どうなんだろう。
by zam20f2 | 2011-03-23 21:27 | 文系 | Comments(0)
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