考え方の枠組みについて

ここのところ、人は考え方の枠組みをどうやって手に入れるのか、そして、考え方の枠組みのプラス面とマイナス面について、時たま思いを巡らせている。
 元々の切っ掛けは、考え方の枠組みを伝えることが出来るのだろうかという、素朴だけれども重要な問題だ。考えはじめた時点では、あるプロフェッショナルな考え方の枠組みを持つことによる利点のみを意識していたのだけれど、反対の事例に思い当たったあたりから、思いが更に混沌としている。
 専門家に共通の考え方の枠組みにより、誤った結論に至った最近の例として、斑目氏が原子炉の水素爆発は生じないと考えたことが上げられる。まあ、東電が政府に、1号炉の格納容器の保全性が失われた可能性について、きちっと報告を上げていなさそうなので、その点に関しては斑目氏に同情する余地はあるのだけれど、斑目氏に限らず、1号炉が爆発したときにTVに出演していた東工大原子炉研の有富氏のうろたえた様子からしても、あの業界の多くの人は、格納容器の保全性が失われていて、その結果として原子炉建家が水素爆発で吹っ飛ぶという可能性は考えていなかったように感じる。それには、業界の中にあった、格納容器の保全性が失われることがないという専門家に共通の知識が大きな影響を与えているように思える。
 一方、科学的常識がないが故に、誤った行動に至った最近の例として、さいたま市で発明された、浮力+重力発電を大々的に採り上げてしまった産経新聞の記事が上げられる。この発電システムは、ネット上でなかなか受けていて、原理を説明した結果として、水力発電に余計なプロセスを付け加えたものであるという非常に分かりやすい解説も上がっている。この話が産経新聞(の科学面)に、ほとんど永久機関のノリで紹介されているのである。これなどは、エネルギー保存則を知っていれば、上の水槽から落下する水の位置エネルギー以上の電力が発生するはずがないことは、細かい機構を見なくても明らかなのであるけれども、残念ながら記者さんはこれを知らなかったのか、細かいことは書いてあるけれども、この点を見落としている。
 というわけで、考え方の枠組みは、時には人を誤った結論に導き、時には人を誤った結論に行かないようにする。エネルギー保存則は、機構の詳細などを理解することなく、永久機関と称するものについて、それが不可能であると宣告を下せるものなので、その使い方については、改めて考えたいと思う。最初の例は、ある業界の狭い常識にとらわれた話じゃないかと言うかもしれないけれど、多くの人が知ってそうな例としてだしたまでで、考え方の枠組みにとらわれて、正しいところに行き着き損ねたというのは、日常茶飯事の事象ではないかと思う。そして、それと同じぐらいに、考え方の枠組みのお陰で、効率的に物事を考えられたというのも。
 

 ところで、産経の記事で一番興味深いのは、この文系の記者さんは、自分だけでは不安だったので、知り合いの物理の学生A君(20)を連れて行っており、このA君はボールの落下による発電量が1W程度以下であることを計算する能力があるのである。それにもかかわらず、この記事が産経に掲載されたということは
1,A君は個別の計算はできるけれど、エネルギー保存則を理解していない
2,記者がA君が止めるのを無視して記事にした
3,A君は記者に恨みがあり、自分の名前が表に出ないのを良いことに、本当のことを記者には言わなかった
という3つの可能性が考えられると思う。2は、記者が自分が科学に疎いのを認識しているようなので、まずないだろうと思う。そうなると、可能性は1か3である。個人的には(A君の人格の問題は無視して)3であって欲しいのだけれど、もし1だったりしたら、A君の物理概念がどのように形成されているのか、非常に興味深いものがある。

 A君の問題点は、おそらくは、考え方の枠組みの適用ミスに帰着できるのではないかと思う。もし、A君が球の位置エネルギーではなく、エネルギー保存則を使っていたら、詳細はともかくとして、上の水タンクから落下する水のエネルギー以上は生じないこと、つま水力発電でしかないことを容易に認識できたはずだ。また、球の落下だけでなく、上昇時に、その体積分の水が実質的に落下している事に気がつけば、全体としてのエネルギー収支について正しい認識に至ったはずだ。しかし、記事から判断する限りは、A君は持っている物理の知識を球が落下する部分にしか適用していないように感じられる。
 A君の例だけでなく、水素爆発の件にしても、構造体としての格納容器の耐震性を、耐震性が保証されているとは限らない配管系にまで広げてしまっていることが、斑目氏らの認識を歪めているわけで、ここでも知識の枠組みの誤った拡張が、間違いを引き起こしている。
 こうしてみると、二つの問題は、いずれも、ある事象に対して、正しい範囲で正しい考え方の枠組みを当てはめられていないことが原因になっている。従って、最初の疑問は、より正確には、考え方の枠組みを正しく適用することをどうやって習得するのかということになる。確かに、エネルギー保存則などの枠組みは教科書的に伝えられることで、それをどう使うかが問題になっているのだから。
 これは、単純な教育学の枠組みの話ではなく、まず、認知科学の話になるのだろうと思う。いわゆるフレーム問題というやつに含まれる話になるのではないかと思う。なんか、認知科学と教育学のすきまで、放置されていそうな話を思案している気がしてきた。
 

話がまとまらなくなっているけれども、まとまらないついでに、先日も少し引用した「ゾウを消せ」から別の部分を引用しておく。

 マジシャンがよい仕事をするのは、観客の思考パターンを前もって予測できたときだ。こんあときは観客をトリックへと導く道筋を思い描くことができている。出来のよいマジシャンほど、観客の思考パターンを自然のなりゆきに任せない。観客に何かをテーブルへ持ってきてもらうときも、前もって想定した予想や前提を利用するのだ。誰も知らないだろうが、マジックにとって子供はかなり大敵だ。子供は経験が浅いし、想像力はまだ育ちきっていない。手を握ることで何も持っていないことを示そうとしても、テーブルの周りを歩くことでありふれたテーブルにすぎないことを暗黙の内に伝えようとしても、そういうことなのかと受け止めてくれないことがある。マジック・ショーとはこのような小さな遊びから成り立っている。子供にはそれが理解できないことがあるのだ。
 これに対して、固い信念を持っている人や情報を分類したり分析したりする癖がある人は、巧妙なトリックにひっかかりやすい。学識のある科学者がインチキ霊媒の簡単なトリックにすっかりだまされてしまった有名なエピソードがあるが、この困った話の理由はここにある。
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by zam20f2 | 2011-06-28 21:41 | 文系 | Comments(0)
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