「紫外線」(山田幸五郎)における光電効果の取り扱いの謎

光電効果といえば、アインシュタインである。1905年に彼は、光電効果といわれる現象を光子の粒子性という概念を持ち込んで説明した(と量子力学入門の教科書にはたいてい記されている)。
彼は、光電効果によって放出される電子の最大運動エネルギーと入射光の振動数の間には
E=hν-ω
という関係があることを示した。この話を聞いて長らく不思議だったのは、こんな簡単な実験式を何で誰も思いつかなかったのかということだったのだけれど、その後、1905年当時には実験技術の問題で、綺麗な実験結果が無かったという話を読んで、アインシュタインの理論が実験結果を説明するためというより、それを越えて出てきたのかと納得した覚えがある。
さて、先日、古本屋に立ち寄って買い込んだ本の一冊は
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である。初版は昭和4年。これは昭和13年の第5刷である。この本の中には紫外線の光電効果の項があるのだけれど、その説明の中にはアインシュタインの名前はなく、LadenburgとJoffeの実験結果を記しているのみである。それいにょるとLadenburgはE=kν(ただし、kは物質常数)という式を提案し、JoffeはE=k(ν-const)(ただし、kは物質常数。constは物質によらない定数)という式を唱えている事になっている。それぞれに、引用番号はあるのだけれど、引用文献リストとの違いがあって、年号がよくわからないのだけれど、1907年ころの話のようである。(じつはJoffeの引用番号の文献は1925年になっているのだkれど、著者名にJoffeの名前はなく、Ladenburgの引用番号の文献にJoffeの名前があり、1907年になっている。さすがに、1925はないとおもうので、ここでは1907のJoffeの文献中にLadenburgが引用されているのかなぁと思案している)
これを見て、アインシュタインが理論を出した当時は、光電効果で、アインシュタインの理論を支持する実験結果は無かったんだなと思った。状況としては、高振動数の光ほど、出てくる電子の最大エネルギーは大きいことは分かっていたが、その正しい実験式は不明という状況だったようだ。
この点は納得したのだけれど、山田の本に関して思議なのは発行年の昭和4年といえば、1929年で、アインシュタインが光電効果でノーベル賞を取ったのは1921年(保留になって正式にきまったのは1922らしいが)のことで、光電効果の決定的な実験は1916年にミリカンにより行われているはずであるにもかかわらず、それに関する記述が、この本に一切出てこないこと。執筆時期を考えても、また、当時の情報の伝達速度を考えても、アインシュタインが光電効果でノーベル賞を受賞したことは執筆時には分かっていたと思うけれど、それが記されていないのには、何か、特別な理由が存在したのだろうか…
山田の本にはアインシュタインの名前は一回だけ出てくる。それは、1912年にアインシュタインが光化学当量説を発表したという記述で、実は、この、現在では当たり前のような概念を最初に言い出したのがアインシュタインで、それも一般相対論の3年前と知って、改めて、すごい人なんだなぁと感じた。光化学当量説は十分に、ノーベル化学賞に値する仕事だと思う。
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by ZAM20F2 | 2011-10-21 08:15 | 科学系 | Comments(0)
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