しばらく前のテレビで、世界で一番暑い場所の話をしていた。もちろん、人間が住んでいる範囲での話であるけれども、それはアフリカにあり、人々が家畜を飼ったりして暮らしている。そこの人々は、食料や家屋の材料は自給できるようであるが、衣服は工業製品を使っていた。では、そのための現金をどのようにして入手するかというと、その地域で採掘できる岩塩を売って収入を得ている。
とりあえず、国内で塩の生産地が限られているようなので、塩を輸入する外貨がない限りは、彼らの暮らしは安泰であろうと思う。でも、グローバリゼーションとやらの波が、その国にも押し寄せたら、彼らが供給するよりりも安価な食塩が出回る可能性が高い。その時には彼らにはもやは売れる品がない危険性が高いだろう。その時彼らに残された道は、その土地を捨てて、他の暮らしに移ることだろうか。それとも、政府が救いの手をさしのべて、保護を受けながら暮らしていくことになるのだろうか。彼らが、生活を守りながら、新たな品を開発しない限りは、彼らの生活は続かなくなり、そして、それは一つの文化の消滅を意味している。グローバル化により、その国の人は、今までより安い塩を入手できるようになるのだろうけれども、その代償として、その土地にあった一つの文化が失われるのである。
もっとも、それは、最近のグローバリズムに限った話ではない。例えば、旧ソ連では、地域ごとに主産物を定めて、それを集中的かつ効率的に生産するようなことをやっていたようだ。そんな話を効いたのは、だいぶ前にウズベキスタンに遊びに行った時で、ウズベキスタンあたりでは、綿花の栽培が主要産業とされていたとのこと。それが、国の命令か経済原理かはともかく、単純に効率を考えるなら、ある製品の産地は、どこか一箇所となるのが、一番効率的なのかもしれない。
とはいえ、ウズベキスタンは綿花が売れずに苦しんでいた。まあ、世界の中の産地としては効率が悪かったためかもしれないけれど、でも、合成繊維の台頭で、極東の島国の養蚕は壊滅したわけで、なんらかの事情の違いにより、主製品の市場価値が下がった場合には、その地方に非常に大きなダメージがある。そして逆に、天候などの理由でその産地がダメージを被った場合には世界規模での商品不足が生じることになる。
つまり、産地一極は産地にとっても、供給先にとっても、危険度が高い状況のはずだ。金儲けをしたい人は、そんなことはかまわずに目先の利益に走るわけだけれど、そして、それで、より安い品が短期的には手には入るのかもしれないけれど、地に足をつけて暮らしていくためには、もう少し先も見ていたいものだ。