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発表型式の変遷(絶滅種:内田洋行 レタリングセット)

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これは内田洋行のレタリングセットである。かつて、コンピュータもプリンターも身の回りにはなかった頃、発表で使うグラフや図は手で一枚ずつ描くものだった。グラフの枠組みは定規があれば引ける。曲線は雲形定規や自在定規で対応できる。そして、数値や文字を書き込むのに、テンプレートやレタリングセットが使われていた。極東の島国では、テンプレートの方が一般的だったような気がする。あるいは、分野によるのかもしれないけれど、少なくとも係わった領域の中でレタリングセットを持っていたのは長らく米国にいた人だけで、それ以外はテンプレートだった。
というわけで、レタリングセットを実際に使ったことはないのだけれど、存在を知っていて、かつネットオークションに手頃な値段で出品されていた結果として手元にある。
レタリングセットは、専用のテンプレートとそれをなぞる道具からなる。ペン先はロットリングなどの中空のパイプに針を通すタイプで、テンプレート毎に指定の太さがある。
これだけだと、テンプレートと同じなのだけれど、レタリングセットの場合は、ネジを調整すると斜体の程度を変えられる。ちょっと、高度な道具だったのである。
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手書きの図はその後で35mmフィルムで撮影してスライドになっていた。スライドにはいわゆる白黒反転のものの他、ジアゾを使ったブルーに発色するものがあった。1970年代頃からゼロックスコピーとOHPが普及し、スライドはOHPに変わっていった。この変化は物理系の学会の方が化学系の学会よりも早かった印象がある。そして、生物・医学系の学会は随分とあとまでスライドを使っていた。これは、当時のOHPではカラー写真の取り扱いが困難だったためだろうと思う。
OHPも当初は手書きかモノクロコピーだったけれど、いつの頃からかカラープリンターになったと思ったら、あっと言う間にプロジェクターへと変わっていった。それにともなって、プレゼンテーションソフトが主流となった。極東の島国ではパワーポイントより、フリーランスの方が最初に出ていた気がするのだけれど、気がつけばWindowsではパワーポイント一色である。

ポスターも、ここ10年で大きく変わった。A4の打ち出しを貼り合わせるスタイルは、どちらかというとマイナーになり、A0サイズの打ち出しを1枚貼る方が普通だ。これには善し悪しがあり、A0打ち出しの方が、見栄えをよくする代償として同じ面積あたりでは平均して情報量は少なくなっているような印象がある。まあ、これはポスターに限った事ではなく、口頭発表でのアニメや動画の活用も、見る側を分かった気にさせる一方で、同じ時間あたりの情報量が減っていることが多いように思う。

ところで、ポスターだけれど、その昔は模造紙が使われていたらしい。それこそ、卒論発表のように小規模でスライドを作るまでもないようなものでは、模造紙を何枚か重ねたものを用意して、それをめくりながら発表をしたものらしい。そういえば、学生の頃に、ある先生からマジックインキがいかに偉大な発明であったかを教えてもらったことがある。マジックインキが発明されるまでは、卒論発表の模造紙ポスターは墨汁で描かれていたので、発表直前に仕上げたものなど、いざ発表のためにつるすと、墨汁がたらりとたれていくという惨事が毎年のように繰り返されていたのだそうだ。
by ZAM20F2 | 2012-03-24 10:58 | 文系 | Comments(0)
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