高田勝と周はじめのまなざし



カラガラ堂さんの古書紹介に何人かの著者の「原野」を取り上げたものがある。その中で取り上げられていた高田勝の「ある日、原野で」は家になかったので、発作的に取り寄せてみた。
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ところで、カラガラ堂さんの「高田勝の原野」の前は「周はじめの原野」である。周はじめと高田勝は2人とも道産子ではなく、大学のころに北海道の魅力を知った人々だ。しかし、その後は大きく異なっていて、高田勝は北海道の民宿の主人となり定住したのに対し、周はじめは本名に吉田元として沖縄の写真を残している。
からがら堂さんは、周はじめが後に原野のことを語らなくなったのが何故かと記しているのだけれど、個人的には2人のまなざしの違いからは納得できるような気がしている。
高田勝の本からは、ナチュラリストという言葉が浮かんでくる。もちろん、地元の人との交わりの話なども出てくるのだけれども、でも、それらの人の物語は出てこない。それに対して、原野に向けるまなざしには憧憬があるように感じられる。
周はじめの本からは、世間師(しょけんし)という言葉が浮かんでくる。聞き慣れない言葉だと思うけれど、宮本常一の本に出てくる言葉で、世間を渡り歩きながら、人との交わりの中で色々な知恵を伝えるような人である。もちろん、周はじめにもナチュラリストの面はあるのだけれど、特に「牧人小屋だより」を読むと、そこに出てくるのは、時代の流れとはずれたところにいる人々への共感をもったまなざしで、それは、ナチュラリストよりは、宮本常一の「忘れられた日本人」に近いものだ。
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周はじめが北海道から去ったのは、彼のまなざしが向かっていた人々が北の大地から消えていったためと思えば素直に納得出来る。時代の変化は、流れとはずれた人々が生きていく余地をなくしてしまい、周はじめが語れることもなくなってしまったのだろうと思う。その代わりに、周はじめは、かれのまなざしが向かう対象を南の島々に見つけたのだろうと思う。
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by ZAM20F2 | 2012-07-15 20:44 | 文系 | Comments(0)
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