「にじ」の読者研究は何を伝えようとしていたのか

にじ 科学の学校」では、創刊号から読者に対して研究報告の投稿を呼びかけていた。その呼びかけ文は創刊号は「諸君の科学的な研究や観察や記録を募集する。長さや型式はすべて自由。学年と学校名と指導して下さった先生があったらその名前を書いて、<にじ>編集部におくって下さい。」。そして、2号と翌年の2月号では「諸君のいろいろな研究や観察や工夫の記録を送ってほしい。長さも形式もすべて自由。ただ学校名と学年と指導して下さった先生の名を書いて、<にじ>編集部あてに送ること。朝比奈貞一選」となっている。ここで、名前の出てくる朝比奈貞一は東大理学部の出身。地震研の助手から中央気象台を経て科学博物館に勤務している。2号の編集後記には、研究の募集に関して「★諸君の手になる研究は東京科学博物館の朝比奈貞一博士におねがいしてえらんでいただき解説をしていただくことになった。まだあつまったものの数も少ないし、すばらしく頭抜けたものもない。しかし、これも赤とんぼの綴方のように、だんだんと成長して行く日をたのしみにしている。誌上に発表した物には奨学賞をお送りする。諸君の研究がそれによって多少でも広い方向にのびて行くことが出来ればわれわれとして大きな喜びである。形式や長さはすべて自由なのだから次々とよい研究を報告して下さるのを待っている。」とあり、雑誌の姿勢として受動的な読者に、一方的な科学知識を伝えるのではなく、積極的なコミットを求めていく姿勢がうかがえる。

ところで、呼びかけ文を見て面白く感じるのは、研究文の形式を問うていないことと、そして、2号より後では、指導した学校の教諭名を記すようにしていることである。

現在では、研究というと仮説と称するものを実験と称するもので検証と称することをやるのが一つの流れという具合に理解されているような気がするのだけれども、少なくともにじの編集者は、研究というものが、そんなものだとは思っていなかったようである。そして、2つめに記した教諭名については、研究が生徒単独ではなく、大人の指導のもとに行われるということが意識されているように思う。創刊号の編集後記で藤田は読者に向かって、科学のルールを学ぶ事が必要であると強調している。大人の指導のもとというのは、おそらくは、この意識とつながっていて、研究もあるルールに則って行われるべきで、そこではルールをすでに知っている人の介入が必要な場合があることが意識されているように思える。現在の極東の島国では、創造性とか自主的な考えとやらが強調されて、その弊害としてルールを習得できないまま大きくなる人が見受けられるような気がすることもあるわけで、この方向性は意味のあるものであるように感じられる。

呼びかけに応じてどのような研究が投稿されたかは分からないが、手元にある4冊のにじの範囲で昭和23年1月号に、岸田君の<蚊の観察>と天童小学校の国井・川股両君の<赤とんぼの研究>が掲載されたのが最初で、そして3月号にこれから紹介する研究が掲載されている。1月号は手元にないので、研究の詳細は分からないのだけれども2月号の「諸君の研究」と題された編集後記に上記のタイトルが記載されており、それとともに「朝比奈博士の批評にもあるように、正しい、しんぼう強い観察というものは、諸君の<科学の目>をあかるく輝かせて行くのに大切なことである。」と記されている。


さて、3月号に掲載された3番目の読者研究は東京都世田谷区代沢小学校5年の館鄰(たちちかし)君によるもので「かなの度数分布について」というかなり意表をついたものだ。内容は教科書に使われている仮名文字の頻度調査である。そして、その書き出しは
「11月8日(金) 曇
 今日はこの間やりはじめた“かな”の実験の続きをやってみたくなったので、久しぶりにやってみた。今日は1ページから27ページまで調べて(1)の表を作った。これまで作った表と比べてみると、よく出てくる字が大分きまってきて、何だか規則がわかるような気がする。夜、お父様がお帰りになってから、表をお目にかけてそのことを申し上げると、お父様は“まだまだ規則はわかるまい。もっと続けてやってみなさい。だが今夜作った表で、どんなことがわかるかよく考えておきなさい。”とおっしゃった。
11月9日(土)曇
今日は、昨日やった“かな“実験の表を整理して、(2)のような分布表を作った、そして次のようなことがわかった。まず、一番多く出てきた字は<い>と<ん>と<さ>と<た>と<あ>だ。この前23ページまでやったときも、<い>が一番よく出た。この前は2番が<あ>で3番が<ん>だったが、今度は<ん>が2番になって、<あ>は5番に下がった。<さ>と<た>も、この前もよく出たが、今日も多い方だ。だから、<い・ん・さ・た・あ>の5つの“かな”は、どうもよく使われているという規則がありそうだ。この実験もなかなか面白い。明日は日曜だから、もっとやってみたいと思う。 
-後略- 」

と、研究報告というよりは日記の切り抜きで、なかなかほんわかとしたものである。引用した文を読みながら、戦後のこの時期では親に対しては絶対敬語を使っていたのだと思わぬところでうけているのだけれど、この「研究」を現在科学教室なんぞをやっている人に見せたら「科学じゃないし、仮説もないし体裁がなってない」などと言われて、決して紙上掲載などはされそうにないものである。

しかし、それ故に、にじの読者研究を通して藤田圭雄が読者に何を伝えようとしていたのかがはっきりと出ているような印象がある。その話に移る前に、まず、上記の研究に対する朝比奈の感想を上げておこう。
「私たちが使う文字は“かな”でも漢字でも、たびたび使うものとあまりつかわないものとがある。たくさんの文章について、それぞれの文字の使われる度数をしらべて、度数分布表をつくってみると、多く使われる文字とそうでない文字との順位にかんけいしたおよその規則がわかる。このような研究を統計の研究といって大変重要なものである。統計の研究をやるのにはたくさんの数をあつめなければならないから、初めからよほど注意深くこんきよくやっていかないと、計算にまちがいをおこしたり、途中でへこたれてしまう。当用漢字をきめたり、生活必需品の配給のしかたをきめたり、乗物の運転のしかたをきめたり、その他非常に多くの重要なことをやるのに、統計がもとになるのである。国勢調査も日本人全体についての統計をつくることなのである。国勢調査では日本人全体のことをしらべるのであるが、かなの統計では日本文全部について行うことはとてもできない。そこで、この実験のように学校で使う教科書に出ているかなについてしらべたり、新聞や雑誌にあるかなについてしらべたりしておおよその規則を見つけるのである。統計に使う材料がちがうと、この規則もそのたび毎に少しずつちがうのが普通であるが、数多くしらべると、大体同じ規則になっていくものなのである。この実験は教科書の1ページから始めて、次から次へと順々に合計して非常にこんきよくやってあって、まことによい研究である。しかし、かなの度数分布の規則を見つけるのには、このようにページの順をおっていかなくてもよい。たとえば1ページおきにしらべてもよい。またちがう教科書をいくつかつかってそれぞれの教科書について、5ページとか10ページずつとかしらべてもよい。
それから使われる順番と使われる回数とが報告してあるが回数の方はパーセントに計算しなおしてみると、お互いの関係がもっとはっきりする。」

まず第一に注目すべきことは、初回の2つの研究が、生物がらみではあるけれども、明らかに理科の研究であるのに対して、3つめの研究は統計を使っているとは言え、人文系を対象とした研究であることだ。通常の科学雑誌というと、その範囲を自然科学や工学に絞っているし、にじでも見ている範囲で一般記事は理科系のものだけれど、読者研究として人文系のものを拾って来たところに、編集者である藤田の「偏らない人」という意思が感じられる。「科学的方法論」というのは、決して理科的な対象物のみを相手にするものではなく、人文社会学的なものも対象にできる考え方であるはずなのである。そして、にじが目指しているのが十全たる人間の成長であるなら、その合理的な思考形式を非理科的な対象にも行うのは深い意味があることである。にじでは、このような毛色の変わった研究を選択しただけでなく、朝比奈の感想の中で、研究を統計であるということを伝えた上で、それが日常生活に果たす役割や、前年に行われた臨時国勢調査にも絡めて、読者をより広い視野に導こうとしているように感じられる。
続いて注目すべきは、朝比奈の感想にある「はじめからよほど注意深くこんきよくやっていかないと」という文言である。上に記した1月号の批評でも朝比奈は「正しい、しんぼう強い観察」という点を上げているようで、この2点は科学の研究が、決して、その場限りの面白いものではなく、面白くないようなところも含めて、そして、当たり前だから不思議でないようにしか思えないことも含めて、科学的ルールにのっとった、注意深くしんぼう強い行いの上に成立するものであることを伝えている。そして、そのような、見た目は不思議でもなく、そして、面白くもない作業の先に、興味深い事柄が浮き出てくるということも示されている。これは、創刊号にある藤田の「まず諸君はルールを覚える努力をすべきである。ルールをしっかりと覚え込めば、それから先のたのしみは無限に広い。」という言葉につながる視点である。
ルールということに関連して3番目は朝比奈のコメントの最後の部分を上げておこう。朝比奈は全体をパーセント表記にした方がよいこと、ページはランダムに選んでも良いことを伝えている。この研究は、父親の他に小学校の教諭が指導したことになっているのだけれど、それに加えて、ルールを知っている大人の目からのコメントが与えられているわけである。ここには読者をより高みにと導こうという意識が感じられる。Web上にあるSSHの課題研究報告の中には、どうみても考察が不十分でその後のフォローがされていないものがあるのだけれど、それとは大きな違いである。

現在では、戦後すぐの時期に比べると遙かに多くの科学的情報があふれ、そして科学とやらに触れる機会も多くなっている。しかし、科学を行うことを学ぶ事に関しては、必ずしもにじの時代と比べて優れているとは言えないような気がしている。

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写真は3月号の表紙。六ノ一と記してあるので、小学校の学級におかれていたか、このクラスの子どもの持ち物だったことが分かる。これは、藤田の読者対象を小学校五年程度以上とするのと合っている。
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by ZAM20F2 | 2012-08-18 10:58 | 文系 | Comments(0)
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