「言語を学ぶことについて」と「簪を挿した蛇」

内田樹さんが「言語を学ぶことについて」という文を認めている。その中の『そこには私たちが母語によっておのれの身体と心と外部世界を分節し、母語によって私たちの価値観も美意識も宇宙観までも作り込まれており、外国語の習得によってはじめて「母語の檻」から抜け出すことができるという言語の底深さに対する畏怖の念がない。言葉は恐ろしいものだという怯えがない。』という部分に、中谷宇吉郎の「簪を挿した蛇」との類似性を感じた。繰り返しになるけれども中谷は簪を挿した蛇の中で自然や科学に対する畏怖の念の重要性を述べている。この二つをあわせて読んで感じるのは、何事によらず学ぶことの奥深くには、その対象に対する畏敬の念が必要であるということ。そして、それにもかかわらず、残念ながら、それは、教育行政では意識されていないということ。もちろん、教育行政で意識されていないからといって、ほっといていいという問題ではないわけだけれども…、さて、どうしたものだろう。
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by ZAM20F2 | 2013-03-24 17:49 | 文系 | Comments(0)
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