平均的な人間の数が少ないことについて

いろいろな顔の平均顔を作ると美男美女になるという。そういう意味では、美男美女というのは、決して標準からはずれた存在ではなく、標準そのものであるらしい。
 それにも関わらず、世の中の美男美女の数は多くはない。いやそれどころか、希な存在であるから希少価値となっている。一寸考えると、平均的な顔が少ないのは不思議なことである。何故なら、人の顔を構成す部分のうちの一つの要素に着目すれば、平均的な状況の人が一番多く、平均からはずれるほどその割合は減少していくのであろうからである。だいたいにおいて、ばらつきのある現象は、ガウス分布に当てはまるもので、人の顔についても、ガウス分布でないという積極的な理由を見いだすことは困難であろうと思う。
 それにも関わらず、美男美女が少ないのは、顔を構成するすべての要素において平均付近である場合の数が少ないためだと考えられる。話を単純にするために、目の間隔と大きさの2つの要素に限定して考えてみよう。いずれの要素もガウス分布をしているとする。単純に、ある目の間隔と大きさを持っている人の数を比較すると原点、すなわち平均値の人が一番多いのだけれど、横軸に目の間隔、縦軸に目の大きさをとった2次元面で原点からの距離Rの関数として、どのようなRの値の人が最大になるかというと、答えはR=0ではなくなる。というのは、あるRの値の人というのは、原点からRの円周の長さだけのバリエーションを持った変化なので、それぞれの場所の密度に場合の数をかけたものが、そのRでの数となる。原点からRだけ離れた状況では、円周長の2πRだけのバリエーションがあるの。そして、R=0即ち、二つの要素とも平均的な場合は、円周長が0なので、両方の要素が平均である人の数は0になってしまうのである。
 今は2つの要素で考えたが、人の顔はもっと多くの要素から成り立っているわけで、要素の数が1つ増えるごとに、かけなければいけないRの次数が1つずつ上がっていく。結果として、平均付近の分布はきわめて小さく押さえ込まれることになる。これが、美男美女の数が少ない理由だと考えられる。
 人の顔の話を持ち出したけれど、同様の考察は人の思考や感情の働きに対しても成立するはずだ。個人の印象だが、人の能力を評価する軸は多様で、決して、知能テストとか学校でのペーパーテストなどの単一の尺度ではかれるものではない。また、人の認知の仕方も、自閉症スペクトラムを含む広い領域に分布している。
 したがって、人の思考についても、ほとんどすべての人は平均からはずれた存在であるはずなのだ。
 その平均からはずれた人々が、相互に意志の疎通ができると思っていることは、実は途轍もなく不思議な事であるような気がしている。実際問題として、日常的に意識のすれ違いは、ある頻度で生じるし、従って、意志の疎通は無条件でできるものではないことは日常的に経験しているはずの事だ。
 その場の具体的な指示などは、ほぼ相手に対して伝わるけれども、伝えたいことが抽象レベルになった瞬間に、それが相手に伝わっているのかは、非常に不確かになっている可能性がある。それにも関わらず、意志の疎通ができているように見えるのは、その概念が社会の中である意味合いとして定義されていることによるのかもしれない。ちょうど、2人で同じ色を見ていて、その色調を同じ言葉で表現したとしても、それがその人の中で意味しているものは、まったく違っている可能性があるように。
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by ZAM20F2 | 2013-04-07 08:44 | 文系 | Comments(0)
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