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楽観的だった頃

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第2次世界大戦の敗戦の翌年に発刊された科学雑誌。
「科学の学校「にじ」」がらみで、戦後に発刊され子ども向けの科学雑誌に興味があって、ふらふらとポチってしまった。
面白いなと思うのは、「にじ」でもそうなのだけれど、原子力利用について、非常に好意的かつ楽観的なこと。確かに、この時代には占領軍は広島と長崎で何が起こっているかを報道させていなかったので、多くの日本人にとっては、原子力は非常に大きなエネルギーを取り出せる未来の物だったのかもしれない(でも、少なくとも敗戦前の報道で大きな人・物的被害がでたことは知っていたのではと思うのだけれどどうなんだおうr)。日本全体に、放射能に対する警戒が生じたのは福竜丸以降のようだ。

ただ、なんか、それが行きすぎてというか、それによる弊害も生じているような気がする。J-PARC ハドロン実験施設施設が数日前に放射性物質漏れを起こして、それに対して通報が遅れたとか、放射性物質を吸着するフィルター無しの換気装置で排気をしたことなど、管理体制の甘さに対して新聞報道などでは非常に厳しく批判しているような印象がある。

のだけれど、私の認識では、加速器施設でのビーム事故では、その場にいる研究者ダメージを受けることはあっても、周囲の普通の人が被害を受けるぐらいの放射性物質を放出することは、ほぼ不可能だろうと思っている。今回も屋外モニターの量は増えているけれども、問題にしなければならいないような値ではないように思っている。

もちろん、法律上は、報告義務があるのだろうし、新聞記者が叩きまくるからには、かれらに、取り敢えずの正義はあるのだろうとおもうけれど、最悪の状況になった場合の生じることを考えると、東海村の臨界事故を起こした施設や、原子力発電所と同レベルに扱う必要はないと思っている。というか、こんな所にまで同じように気を使っていたら、もっとやばい物に対する注意が分散して、全体としての危険率が上がるのではないかと思う。

J-PARC の少し前に、もんじゅの点検漏れの責任をとって理事長が辞任するという報道があった。個人的には、もんじゅの点検漏れは、理事長の引責程度で済ませるべきでなく、管理能力がないことが明らかになったのだから、もはや廃炉にすべき状況と思っている。というのは、もんじゅが事故を起こすと、その時に起こることは、福島以上になるからである。J-PARC ともんじゅに関する報道の割合はバランスが悪すぎると思う。
by ZAM20F2 | 2013-05-26 18:22 | 文系 | Comments(0)
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