正義論、あるいは、なめらかな社会

クロ箱さんのところで、ロールズの正義論のコンパクトな解説が掲載されている。
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これは、だいぶ前から持っている一冊で、読んだはずなのだけれど(多分)中身は、そんなにおぼえておらず、新しく買い込んだ
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も、真面目に読んでいないので、クロ箱さんのところを読んで、ふむふむしている。
それにしても、この二冊を横から見ると
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で、同じ本の訳書とは思いがたい(まあ、古い方は2段組で字も小さいので、中身の文字数はそんな変わらないだろうと思う。あと、値段は1000円しか違っていない。今回は、昔より数が出ると版元が判断した気がする。)。一応、古い方の本も、もとの英語版ではなく翻訳されて改訂が付け加えられているものを訳したと記しているので、テキストとしては、それほど違いがないだろうと思うのだけれど。
とりあえず、本のボリュームと、よく分からない用語に途方にくれているひとはクロ箱をながめるとよいと思う。


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それから、こちらは内田樹さんのブログでしばらく前に絶賛されていた一冊。社会のあり方を扱うという意味では、共通要素があるけれども、スタンスは非常に違っている。ロールズの本が社会の正しい状態が何であるかを考えようとしているのに対して、こちらの本は、素直に、大勢の声が正しいことを前提に、それを以下に実装するかに力点が置かれているように感じられる。

多分、著者の主張を読み切れていないからだと思うのだけれど、この本の描き出す未来に住みたいとは思わない。著者は、人の価値を(将来性も含めた)他人からの重み付けの和という形で考えているけれども、そうなると、先のない老人や障礙者は非常に価値の低い存在になってしまうように思える。そしてまた、集団意志決定に関しても、一人の意見を重み付けして分配するような投票システムを提案している。しかし、個人内部の重み付け分配などというものは、時間変動するもので、おそらく著者は、そうした時間変動も含めて、ある瞬間における意志の方向を決められると思っているような印象があるのだけれど、そうなると慣性のある政策というものが実行できなくなってしまう。朝令暮改の嵐になる危険性があるように思う。このあたり、内田さんがどのように考えているのかは、非常に不思議なところだ。というのは、少なくとも教育政策に関しては、内田さんは慣性の存在を非常に重視しているのだから。


ただし、両方の本に共通しているように思えることが一つあり、それは、人は合理的な判断をする存在であるという所。少し前に取り上げた「Fast and Slow」の印象からは、この前提は疑った上で、社会のあり方を考えた方がよいように思えている。
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by ZAM20F2 | 2013-06-21 22:08 | 文系 | Comments(0)
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