少年技師とタングステンおじさん

少し前のエントリーである「望遠鏡と顕微鏡の作り方」を天文古玩さんが取り上げて下さって、そのあとで理科・工作少年について天文古玩さんのコメント欄で、対話が行われていた。少しばかりそれに参加したのだけれど、話が拡がっていて、また、写真も載せたくなったので、関連する事柄をこちらで展開することにした。
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は精神医学に関する本。タイトルは登場人物の一人の自閉症の人が自らについて語った言葉。ビッグイシューの東山さんのエッセイを読んでいても、他の人が当たり前と思っていることが、彼には当たり前でなく、それ故に他の人が何を当たり前と思っているのかを理解するところから話を始めなければならないわけで。おそらくは論理思考回路に食い違いがあるから、他民族の言動を理解する以上に難しい要素があり、「火星の人類学者」というのは鋭い表現だと思う。

さて、同じ著者の本
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タイトルからすると、自らを金属だと誤認している患者さんに関する話なのかと思いそうだけれど、これは著者が子供のころの話。タイトルになった人は著者の電球工場をやっていたおじさんのこと。このおじさんからの感化だけのせいではないけれども、著者は子供の頃に、結構ろくでもない化学実験などに明け暮れていた。そして、今だったら毒物やら劇物やら放射性物質で入手が困難だったり不可能だったりする物質も子供が容易に手に入れることが出来ていた。
極東の島国でも、1970年代には写真用品店で水酸化ナトリウムや重クロム酸カリが判子の必要もなく普通に販売していた記憶がある。そういえば、小学校の頃に、過塩素酸カリ(だったと思う)とショ糖を混ぜたものに火をつけて遊んでいた人も知っているけれど、あの過塩素酸カリはどうやって入手していたのだろう。最近でも、タリウム化合物を入手する高校生なんていうのも存在はしているわけだけれども、そこまで特殊でなく、妙な物で遊ぶ人が存在していた印象がある。
もっとも、薬品に対する規制が緩かったのは、自動車や工場からの廃棄物規制が緩かったのと並行した現象で、オリンピックの後のしばらくの間は、極東の島国でも、自動車の排気ガスや工場の煤煙による小児ぜんそくが問題になっていた。いまでも牛込柳町交差点の信号機の位置には当時の名残が残っている。
そんなわけで単純に昔が良かったと言うつもりはないのだけれども、でも、公害規制などと並行に、子供の遊びもにも管理の手が入ってきたのは確かなところだ。親子の科学教室なんていうのは、確かに微笑ましい存在ではあるけれども、そこでレールの上の実験をやって、天文古玩具のコメント欄でSUさんが記しているように限界のある存在であるのは確かだと思う。
管理されていない遊びがなくなったのは、理科的な事にかぎった話ではなく、漫画に出てくるような土管のある空き地とともに絶滅した遊びもある。最近では、管理のもとにある程度危険なこともできる遊び場も作られるようになっている。同じようなことは、理科教室についても原理的には可能で、破滅的な事故が起きない程度に管理されていて、その中で自由度があるような理科教室があれば、随分と幸せになれる子供も(決して割合は多くはないけれども)存在するだろうとは思う。ただし、そのような理科教室を行うコストは、普通の理科教室より一桁以上高くなるのではないかと思う。まず、指導者側の知識や実験技術がきちんとしている必要がある。定まったことをやらせるだけなら、その練習を行った半素人さんでも何となるけれども、予定外のことが起こりうる状況で、破滅的事象をきちんと避けて、そして子供の実験がうまくいかない場合でも、単純にどのようにすればうまくいくかを教えるのではなく、子供がそれを考えつける方向に導くような芸は、そう簡単にできる物ではない。だいたい、そういうことをやるには、半日や一日程度の実験教室では困難で、数日からもっと長い期間にわたるつきあいが必要になる。それは、まさにサックス少年の場合には家庭環境で実現されていたことのわけで、有効な手法であることは確かなのだけれど、現在の極東の島国では、学校にも科学教室にも、そして普通の家庭にも、そのような余裕や能力が存在している気がしない。
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by ZAM20F2 | 2013-08-25 15:11 | 文系 | Comments(0)
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