自由研究止めちまえ また

 数カ国の比較で、日本の高校生は理科好きが少ないという毎度の調査結果が昨日朝のニュースに出ていた。理科好きが少ないのは毎度のことなのだけれども、「社会に出たら理科は必要なくなる 44%」というのが、なかなかに新鮮で驚かされるところであった。
 調査結果の中には、理科に関する体験学習・実験・調べ学習をよくしたものは科学への関心が高い傾向が見られるという、科学教室をやっている人が喜びそうな結果が書かれており、調査の首謀者は、「科学への関心を高める『調べ学習』や『実験的学習』が日本では少なく、これらを踏まえた指導が求められる」などと言っているらしいけれど、どう考えても、話が逆で、科学に興味を持っている人はこれらの活動もよくすると理解すべきだろうと思う。
 というのは、自由研究についての調査もあり、それによると小学校5年までは日本の自由研究経験者の割合は他の国よりも高い数値になっているのだ。自由研究では体験・実験・調べなどを行っているはずで、これが効果的なら自由研究が突出して多いはずの日本で理科好きの人数が少ないはずはない。もっとも、日本の自由研究経験者の割合は中学3年から激減して、高校1年では他の国が20%程度の数値を保っているのに1桁の下の方になる。小学校程度の経験が将来につながらない実例も合わせて示されている。
 ところで、自由研究はいかなる教育効果を目的に行われているのだろうか。そしてまた、教育効果はきちんと計測されているのであろうか。教育学の棚に並んでいる本を調べれば解答は得られるのかもしれないが、ネット上をザル検索した限りでは、この疑問に答えてくれるサイトは見つからなかった。なんか、確とした教育目的はなく、夏休み中の子供がふらふらしないために設定してあるのではないかという気がしてしまうような印象がある。
 自由研究の弊害についても、なかなかWeb上での書き物を見つけられなかったのだけれど、オペ・ナース養成講座の「研究ごっこ」の弊害・・・結果を出せてない「看護研究」制度に関連する内容を見つけることが出来た。
 看護研究というのは、病院勤務の看護師さんが行わされる「研究」らしいが、Webによるとそれは「問題解決法のひとつとして「研究」という手法を身につけるための教育課程」なのだそうだ。その目的は「問題解決手法として「研究」を使いこなせる人材の養成」なので、研究内容より「お作法にのっとって研究のプロセスを踏み、論文の体裁を整えて、発表する」ことになり、「中身云々より、模擬体験をさせること。だから研究ごっこ。」なのだそうだ。この看護研究はやらされる方からは評判が悪いらしいのだけれど、その理由として、「成人学習の理論で言うと、いちばん大事なものが抜けています。 それはモチベーションへの働きかけ、そして、研究手法を身につけると、どんないいことがあるのかという自分との関連性の示唆。」と指摘されている。
 この最後の部分は(特に理科系の)自由研究にも、そのまま当てはまる指摘だ。おそらく、好奇心や自主性を育てるといったお題目はあるのだろうけれども、子供から「なんで自由研究やるの?」と聞かれたときに、説得力をもって答えられる大人は(個別の教科について問われたときに答えられる大人以上に)少ないのではないかと思う。自主性云々といったって、そもそも強制的にやらされるわけだから自主性もへったくれもない。また、自由研究程度で創造性何かが急に育つわけもない。
 上の看護研究に関する話では、研究の方法論が身についていないと批判されているけれども、方法論を身につけることは、科学的な(社会科学も含めて)事柄に係わるようになるのなら必要な事だと思う。だから、モチベーションの問題はあるのだけれど、たとえ強制でやらされるにしても、きちっとした研究の手順を踏むのなら、実験技術などを習得できるかもしれないような気がする(もちろん、効率的かは、上の看護研究の話をみるとだめかもしれないけれど)。しかし、研究についての具体的な指導はなく、また出来上がったものに対して、きちんとしたフィードバックは、あまり行われていないように思う(これは、あくまでも、神奈川の博物館で見た、自由研究にたいする批評をみての判断だけれど)。やりっ放しのものでは、自分のやっていることの問題点を認識するのは不可能であり、さらなるレベルへとステップを進めることは出来ないし、新たな方法を習得することも出来ない。
 現在の形態の自由研究では、子供たちにしっかりとした科学のやり方を教えることもでかければ、自由研究を通して子供が身につける物かが何かをはっきりとも示せていない。やっぱり、自由研究を止めちまった方がよいと思う。
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by ZAM20F2 | 2014-08-20 21:04 | 文系 | Comments(0)
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