天王寺-窓鋸

 堤さんの本には四代目の中屋友右衛門が窓鋸を考案したと記されている。以下堤さんの本をもとに、会津の窓鋸を巡る話題を記してみようと思う。

 窓鋸というのは横引きの鋸の一種で大きな溝が入っているのが特徴だ。堤さんの本によると四代目の友右衛門は斎藤助(たすく)さんで明治30年生まれ。三代目の友右衛門(岸友吉)の養子となり後を継いだ。三代の友右衛門は大正12年に亡くなっており、あとを継いだ四代目は昭和7年には工場を移転し動力機械を導入した。四代目は昭和18年に亡くなっている。堤さんの本によると窓鋸は大正の中期から作られ始めたことになっている。四代目の生まれ年を考えると窓鋸を20代に考案したことになる。

堤さんの本に従えば、窓鋸は友右衛門さんの工夫のわけだけれども、友右衛門さんは特許も実用新案も出さなかったようで、窓鋸は会津だけでなく、他の山鋸産地にも急速に拡がったようだ。「べしょうのブログ」の「窓鋸」というエントリーには、秋田の窓鋸も上がっているけれども、それ以外に土佐製の窓鋸もあったようだ。

鋸には縦引と横引きがある。縦引は鑿みたいな刃先になっていて木を引きはがすように食い込んでいく。
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それに対して、横引きは木の繊維を断ちきらないといけないので、小刀みたいな刃先になっている。
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これで、繊維は断ち切られて、おがくずが出来るのだけれど、おがくずがたまったままだと、鋸の刃がおがくずで浮いてしまって、それ以上は木に切り込みを入れられなくなる。普通の鋸では刃をつかっておがくずを手前に掻き出すけれども、切り込みに対しておがくずの掻き出しが充分ではなく、それが律速になっている。窓鋸の窓はおがくずを早く掻き出すための工夫で、横引き鋸だけれども、窓の部分の刃が縦引鋸のような鑿の形状になっており、横引き鋸で切った溝のおがくずを縦引き刃を使って窓の部分に引き込んではき出すようになっている。
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 窓鋸の調整は普通の鋸より難しい。縦引の刃が出過ぎていると、そこが引っ掛かって鋸をスムーズに引けなくなる。縦引の頭を落としすぎてしまうとおがくずの掻き出しが悪くなる。どの程度頭を落とすかは、材の硬さなどにも依存する。

手元には窓ごとの横引き刃数が4枚のものの他に2枚の物がある。
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小型の物が4枚刃で大型のが2枚刃なのだけれど、堤さんの本によると、まず2枚刃が考案されて、その後に4枚刃が出現したらしい。
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大きい方は、飛騨の山林道具屋に20~30年前にあった在庫品で、倉庫を整理したら出てきたので店頭に出してみたという物。その時点ですら何年店にあったか分からないような品だったので2枚刃であることとあわせるとかなり古い物だろうと思う。銘は小型のものが儀三郎?さんで、大型の方は読めないけれど、安来鋼と「片道」という商標は見て取れる。片道というのは、推測だけれども返品がないということで、品質に自信があったのだろうと思う。八次郎さんの鋸には会津住の文字があるけれども、両方とも製造場所を示す文字はなく、どこで作られた品かは分からない

窓鋸というと普通は伐採用の手元が曲がった鋸なんだけれども、この前テレビで長津勝一さんという目立屋さんが紹介されていた。彼は両刃鋸の横引き側や胴付き鋸に窓を付けた目立てをしていた。ただ、従来の窓鋸の目立てとは違って、横引き刃が通常とは逆方向に傾くような作りになっていた。確かに小刀で木に切り込みを入れる場合に引く側に対して90度以上の角度で小刀をあてる人はいない。必ず90度以下の緩い角度で刃をあてるはずで、その方がきれいに切れるからだ。普通の横引き鋸だと緩い角度の刃付けでは鋸が滑ってしまって上から押さえつけないと切れないので、そんな刃付けは駄目だけれど、窓鋸の場合には窓の所の刃で食い込みが確保できるので切り刃は緩い角度にしても大丈夫なわけだ。実物を見ると目から鱗だけれども、普通は思いつけない刃付けだと思う。もっとも、大工用の窓鋸については、堤さんの本によると初代の中屋重作さんが考案されている。初代は昭和25年に独立してその後に大工鋸を作るようになり、そして二代目の重作さんが高三の時に病に倒れられている。二代目は昭和16年1月の生まれなので、大工用の窓鋸が考案されたのは昭和20年代後半から30年頃のことだと思う。しかし、重作さんの考案した大工用窓鋸は天王寺窓鋸のようにポピュラーにはならなかったように思う。窓鋸の刃作りは切るものによる違いが普通の鋸に比べて大きいように思う。また、目立ても難しいようで、そのあたりがネックになったのかもしれない。


胴付き鋸や両刃鋸でも窓が開いたタイプが出てくるとなると、窓鋸という言葉で山林用の手元が曲がったタイプだけを指すことが出来なくなる。今更そんな必要はないけれども、窓が付いていないタイプと窓鋸という名称を付け加えるぐらいがよい線の気がする。その窓が付いていないの名前だけれども、個人的にはずっと「手曲鋸」と呼んでいた。この名前は竹中工務店の大工道具紹介の鋸でも使われているので、割と正式な呼び名かと思うのだけれども、堤さんの本では「天王寺鋸」という言葉が使われている。少なくとも会津ではこれが標準的な呼び名だったわけだ。堤さんによれば天王寺鋸は2尺クラスの大きなもので、尺二から尺三程度のものは「熊坂」と戦前は呼んでいたらしい。戦後は腰鋸と呼ばれるようになっているそうだ。堤さんの本には、天王寺、熊坂以外にも山鋸という言葉や、2尺クラスの天王寺を大山と呼んでいるところもあり、呼称はかなり幅があったようだ。

日本の鋸は、当たり前の話だけれども昔は玉鋼で作られていた。明治期になってスエーデン鋼が輸入されるようになり、会津でも明治30年代には洋鋼を使うようになったらしい。昭和になると安来鋼も出てきて鋸に使われるようになった。大正期までは鋼は棒状で供給されたので、これを打って伸ばすところから作業が始まった。その後、板鋼が供給されるようになり、昭和30年ごろまでは板鋼を2~3枚重ねて鍛錬していたけれども、その後は鍛錬せずに削って厚みを調整するのが主流になっているとのこと。

会津の鋸製造は戦前に動力化され、戦後も電気炉の導入など機械化が随分と進んでいたようだ。しかし、昭和29年の洞爺湖台風で北海道に大量の倒木が発生し、それを処理するのにチェーンソーが導入されたのを切っ掛けに(この部分は、常世田さんの本による)山林伐採道具が天王寺鋸からチェーンソーの移行していき、昭和30年代後半から40年代に山林鋸を手がけていた多くの鍛冶が廃業していった。大工道具系の鍛冶はその後も仕事を続けていた方もいらっしゃったようだ。
ところで、上に紹介したべしょうのブログのブログ主さんは、植木屋さんのようだ。それ以外にも手曲鋸系が出てくるブログは植木屋さん系のものが多い。考えて見れば山林仕事では中心的な存在ではなくなったけれど、庭木を中心とした植木屋さんではチェーンソーより熊坂クラスがよく使われているわけで、手曲鋸の最大のユーザーは植木屋さんと納得する次第だ。


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by ZAM20F2 | 2014-10-04 18:05 | 物系 | Comments(2)
Commented by 川越 at 2016-05-31 16:17 x
初めてコメントさせていただきます。貴重な資料をありがとうございます。
この中で「片道」という窓付き鋸があるという一文がありますが、その鋸は土佐のものではないでしょうか?鋸全体が見える写真がないのが残念ですが、かつて土佐の山田町にあった一大鍛冶屋集落では、片地の地名をから「片」の一文字をもらい、銘に「片●」と入れたそうです。例えば「片百」「片良」「片文」などなど。おそらくご存知の上での文章とは思いますが、おせっかいながらコメントさせていただきました。
Commented by ZAM20F2 at 2016-06-01 08:13
鋸の銘について、お教え頂き有難うございます。この鋸が置いてあった山林道具店には、土佐の鉈なども置いてありましたので、鋸が土佐から来た可能性は高いと思います。銘の由来については、まったく存じて折らず参考になりました。
近日中に銘の部分の写真を上げるつもりでいます(撮影しないといけないので、直ぐではありませんが)ので、銘をご覧になって、コメントを頂ければ有り難くお願いいたします。
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