「少国民のために」

少國民のためには戦前に次の13冊が発行されている。

1941/12/15,中谷宇吉郎「雷の話」,1
1941/12/15,有馬宏「トンネルを掘る話」,2
1941/12/15,日高孝次「海流の話」,3
1941/12/15,内田清之助「渡り鳥」,4
1941/12/15,宇田道隆「海と魚」,5
1942/06/18,武藤勝彦「地図の話」,6
1942/06/25,末広恭雄「魚の生活」,7
1942/07/19,大塚弥之助「山はどうして出来たか」,8
1942/07/19,小幡重一「音とは何か」,9
1943/05/15,矢野宗幹「蟻の世界」,10
1943/06/20,中谷宇吉郎「寒い国」,11
1944/04/05,大村一蔵「石油」,12
1944/07/10,平等恵了「落下傘」,13

そして戦後に次の10冊が発行された。

1951/12/15,長谷部言人「日本人の祖先」,14
1951/12/15,増山元三郎「数に語らせる_-新しい統計の話-」,15
1952/04/25,安芸皎一「洪水の話」,16
1952/07/25,武藤勝彦「地図の話_改訂版」,17
1952/07/25,細井輝彦「蚊のいない国」,18
1952/10/01,関口鯉吉「私たちの太陽」,19
1953/01/05,津田左右吉「日本の稲」,20
1953/09/15,和島誠一「大昔の人の生活_-瓜郷遺跡の発掘-」,21
1953/09/15,小林秋男「電灯の話」,22
1954/03/20,桑原万寿太郎「ミツバチの世界」,23

(リストは岩波書店児童書全目録 1913-1996 刊行順より作成した。)

「少国民のために」が戦後も発行されていたことは前に記したけれども、「少国民のために」などという戦前の軍国時代を思わせるようなシリーズが戦後も岩波から刊行されていたのが、あまりにも意外だったので、戦後発行の物を取り寄せてながめてみた(一部はご近所さんにお貸し頂いたものを調べている)。
戦後発行は2期に分けられる。第1期は1951年11月以前で、この時点では戦前に発行されたものが再版されているようで、本文は旧字旧かなのままで、編集部からの部分も「国民学校」を[小学校の」と文字数を変えないまま訂正しただけになっている(活版印刷の時代には、文字数が変わると、その行以降の活字組をやり直す必要がでるので、字数を変えない訂正の工夫が求められた)。

本体の方はといえば、戦時色的な色合いのものは発行できないだろうと思うのだけれども、満州での生活を念頭においているとしか思えない「寒い國」が戦後も発行されており、何が大丈夫なのかはよく分からないところだ。戦前版のもので、現時点で戦後の発行が確認できないのは、「石油」、「落下傘」、「音とは何か」の3冊である。このうち前の2冊については、未読ではあるがタイトルから想像するに、南方油田のことも含めて戦争に直接関係する内容が多く含まれているために簡単な手直しでは済まなかったためではないかと思う。また、「音とは何か」が見つからないのは(戦争につかう聴音機の話ははいっているが、外せる程度の量なので)不思議なところだ。いずれ見つかるかも知れないが、実際に存在しないとしたら、小幡が1947年に亡くなってしまっているので、問題のある部分の書き換えが不可能となったという事情があるのかも知れない。

1951年に戦後版がスタートした時点で編集部からのメッセージの最後に
「私どものこの試みは、今から十年前、多難な次の時代を担当すべき当時の少年少女諸君に対する、私たちの大きな期待から生まれました。それ以来、戦前から戦時にかけて総計十三巻を刊行し、発刊の趣旨の一部はさいわいに実現いたしました。しかし敗戦後の今日、日本はいまやまさる困難に直面し、私たちの少国民諸君に対する期待は、十年前にくらべ、なおいっそう大きく、なおいっそう切実であります。私たちが、ここに既刊のものに加えて、新に興味ある主題をとりあげ、科学の方法に関する年少の諸君の理解を更に一段と深めようと試みるのも、やはりその期待からにほかなりません。 1951年12月」

という文章が付け加わっている。本文はもちろん新字新かなである。おそらくは、その時点で戦前版で続いていたものも新字新かなになったのではないかと思う。(すべてを確認したわけではないが、地図の話は1952年の時点で新字新かなに改めたと記されている。)。

手元にある「地図の話」は1969年発行のもので、その時点で再版を続けていたのは「日本人の祖先」、「数に語らせる」、「山はどうしてできたか」、「洪水の話」、「地図の話」、「渡り鳥」、「日本の稲」、「魚の生活」、「ミツバチの世界」、「海流の話」、「トンネルを掘る話」である。日本の古本屋で確認が取れた限りではシリーズの本には1971年に再版されているものもある。ということは、極東の島国で万国博が開かれたころまでは少国民が比較的ニュートラルな言葉だったのだろうと思う。少国民というと、山中恒を思い出すが、ボクラ少国民シリーズは1974年から刊行されているらしいので、60年代後半から70年頃にかけて少国民という言葉の意味合いが変化していった可能性がある。

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by ZAM20F2 | 2015-01-16 21:47 | 文系 | Comments(0)
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