消された過去:地図の話

地図の話の戦後改訂版を入手したのは、戦中版の最後の航空写真のところが、戦後にどれだけ発展しているのかを知りたかったためだ。現在では地図は現地の測量などはせずに航空写真で等高線や道を拾っていると思う。
そのためか、等高線にほぼ水平に流れているはずの農業用水が、植林境界と誤認されて、等高線を登るようになっているところのある地図が出来たりするのだけれど、でも、戦前の地図にあったらしい想像で書いた山の裏側の地形なんていうのは無くなっていると思う。
閑話休題
戦後改訂版を入手してわかったことは、航空写真に関する部分は写真の差し替え以外には特段の内容の変化がないということだった。
戦中版で使われていたのは
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というもので、それが戦後改訂版では
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になっている。
戦中版で国内ではない場所が選ばれていることも、戦後改訂版では国内の写真になっていることも納得できる。敗戦までは、日本国内の航空写真などというものは、国防上の重要情報であり、国内向けの子ども向けの本といえども使うわけにはいかなかっただろうと思う。当然、日本軍が展開して占領していた地域の航空写真も使えない。というわけで、日本軍が攻撃をして写真撮影はしたけれども占領していない場所の写真が選ばれたのだろうと思う。
一方、この写真が戦後に使えないのは自明のことである。それゆえ、この変更については、当然のことだろうと感じた。
しかし、本のはしがきを見た時には非常な違和感があった。戦中版の前書きは
「支那事変、第二次欧州大戦、わけても大東亜戦争がはじまって以来、人々は一日として地図を見ないで過ごす日はないであろう。地図無しには、毎日発展している戦況を充分に理解することは出来ない。」と始まるのに対して、戦後改訂版のはしがきは「私のつとめている役所の仕事の中に地図を作る作業がある。印刷室にすえてあるたくさんの輪転機からは、いついってみても一分間に五十枚くらいの早さでいろいろの地図が印刷されて流れ出している。いったいこんなにたくさんの地図がどうして入用なのかと思われるくらいであるが、この印刷された地図はどんどん送り出されて需用者の手にわたっていくので輪転機を休ませるひまはなかなかないのである。-中略- またわたしは若い人々がほんの一日のハイキングのために地図をかこんで楽しそうにあれこれとはなしあっているのをしばしば見たことがある。」と戦争とは無縁の流れになっている。そして、それにも係わらず端書きの日付は昭和17年3月と戦中版初版の年月日になっているのである。そして、その後に昭和27年6月の日付で「 なお、この「地図の話」に多くの材料を提供してくれた陸地測量部は昭和二十年終戦後まもなく廃止され、あらたに地理調査所がもうけられて測量部の仕事を受け継いでいくことになった。-後略-」と付け足されている。

この日付はないだろうと思って、戦後に最初に発行された版ではどうなっているのを知りたくなって、その版も取り寄せることになってしまった。わかったことは、写真はすでに名古屋に変更になっている。そしてはしがきの内容も戦後改訂版と実質的に同じになっている。ただし、日付は昭和22年8月になっている。これなら納得できる日付だ。
それにしても戦後改訂版のはしがきの日付は狡いと思う。戦後の最初の版のように昭和22年にするか、改訂版はしがきとして昭和27年の日付にすべきものだ。写真の差し替えにはまったく文句はないけれども、はしがきの日付を含めた変更には文句がある。そして、これは著者だけの責任ではなく編集部が体をはってでも防がなければならなかったはずのことだ。さすがに、戦後改訂版がでた戦中版の他の本がどうなっているかを確認する気力はないのだけれども、編集部の仕事として、これはダメダメだ。

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by ZAM20F2 | 2015-02-17 21:39 | 文系 | Comments(0)
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