かみなりの話

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本の著者は中谷宇吉郎。寺田寅彦門下の雪の研究で有名な物理学者だ。戦前から多くの随筆を出していて、このブログでも何度も登場している名前だ。

本の前半部分では、雷までの距離を音の遅れで測ることや、視覚を使って雷の長さを測定する手法など、音とは何かや地図の話などにつながる部分もきちんと含まれている。
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この本は昭和18年の発行。奥付きを見ると「出文協承認」という文字と発行部数が掲載されている。
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一方、昭和17年のトンネルを掘る話ではまだこのような記述はない。
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戦争の進行にともない、物資の統制が厳しくなっていった様子が見える気がする。その一方で、この本の紙質はよい。同じ程度の時期でも誠文堂系の本はもっと悪い紙を使っている。この違いがコストの問題なのか、コネの問題なのかはよくわからない。ただし、少国民のためにでも戦後直ぐに出た版は紙質がわるい。

この本の中で、中谷は専ら雷の元となる静電気の発生に関する学説の変遷を追っている。多くの人は雷の電気は静電気によって生じると、あまり疑問も持たずに思い込んでいるけれども、静電気は異なる2種類の物質を擦りあわせることによって生じるのに対して、雷の元となる雲には水(氷)しかない。それ同士がこすりあっても、プラスとマイナスに分かれる理由は想像つかないのである。

雷については、フランクリンの実験で電気であることが明らかになったと教わるわけだけれども、中谷は
「しかしその話にはいる前に、皆さんに気をつけていただかねばならないことが一つある。それは、物事を簡単に簡単にかたづけてしまってはいけないということである。
 フランクリンの実験で、雷が電気であるということだけは、とにかくわかったのであるが、しかし、それだけでもう雷のことは何もかもわかってしまったのだという風に考えるならば、それはたいへんな間違いである。物事をそういう風に簡単に考えては、何事にせよ本当のことはわからない。科学は決してそんな考え方からは生まれては来ないし、進歩もしないのである。
 
 中略
 ところが皆さんのような少年諸君を目指して書かれた科学の本や、世間一般の人に読ませるために書かれた、いわゆる通俗科学書の中には、この「要するに何々だ」という流儀のものが時々ある。皆さんはそういう点に十分注意して、それだけで何もかもわかった気になってはいけない。雷のことを知ろうという場合にも同様である。」

と記している。そして、静電気の発生に関する学説の歴史に移っていくのだけれど、少なくともこの本の時点では(戦後の1958年でもだ。科学の方法の中には雷の静電気の発生機構はわかっていないと記してある)未解決の問題である
中谷は、どのような知見に基づいて学説が立てられ、それが、どのような新しい知見により否定され、そして新しい学説となり、それがまた否定されていく様子をきちんと記述している。さらに、学会の場で、での討論の様子を通して、科学者の心構えも伝えようとしている。

さらに、寺田寅彦の電気火花の論文を、雷に関する異なった説を唱えていた2人の学者が、それぞれに自分の学説を支持する結果であるとしていたことを紹介して、「こうして、同じ一つづきの研究が、反対の意見を持っている2人の学者のどちらにも都合がよいという、おかしなことになったわけである。実験で確かめられた事柄についてさえ、見方がちがえば、これほどのちがいが生じる。人間が自然について本当のことを知るということは、実にむづかしいことなのである。」としるしている。

そして、2つの学説が雲の異なる状況における電荷分布に対応していることを踏まえて、「2つの研究がいずれも立派な研究である場合には、それが一見正反対のように見えようとも、どちらか一方が正しくて、他の1つが全然まちがっているというようなことはめったにないものである。どちらも、無限に複雑な自然について、その一部分を見ているのであって、真理は、その一見正反対に見えるものを1つに包み込んでいる、もっともっと複雑な所にあるのである。そしてこのことは、皆さんにぜひ心に留めておいてもらいたい大切なことである。」と記している。

これ以外にも
「今までの問題の解決と新たな問題の発生と、この二つのものの競争は、多くの場合新しく研究しなければならぬ問題の方が勝つので、自然科学の発達は、そういう手近な実用問題の場合だけ考えても、益々その後の研究を促すような傾向に向いているのである。」
などという、含蓄のあることばが混ざっている。

この本は、
「この本は子供の本としては少しむづかしいと思われるかもしれない。事実、内容は相当高級なところまで書いたつもりであるが、よく注意して読めば、国民学校の上級生の人たちにも十分分かるようになっているはずである。この本はその点を考えて、自由学園の初等科の上級生たち十人ばかりに集まってもらって、その人達に話をして、その速記をしたものをもととしたのである。その時色々質問をしてもらって納得のゆくまで説明したつもりである。その速記の原稿を自由学園の藤田ミチ先生がよく分かるように生理され、その原稿に更に二倍くらいの長さに私が説明を加えた。それを藤田春子嬢がまた整理してむづかしそうなところを注意してくれたので、又書き足したのである。最後に吉田洋一氏と堀義路氏とに読んで貰って色々注意をうけて又大分直した。そしてそれを小学六年生だった吉田夏彦君によんでもらったらよく分かって面白かったという話であった。それでもうよかろうというところへ来たので本にしたのである。中略また、それらの世話を一切やってその上原稿に更に細かい注意を払ってくれた岩波書店の小林勇氏にも深く感謝する。小林氏の科学普及に対する熱意がなかったら、こういう本はとても出来なかっただろうと思う。」
という、かなり手の込んでプロセスで作られている。
最後に小学生に読んでコメントをもらうなんて念が入っているなぁとも思う一方で、小学校六年生だった吉田夏彦君は、長じて哲学者となった吉田夏彦さんなので、どう考えても平均的な六年生よりはるかに知力が高かっただろうと思う。だから、夏彦君がOKを出しても、普通の小学生にはかなり難しい本だったのではないかと思う。これは中谷先生の失策だろう。



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by ZAM20F2 | 2015-03-04 21:41 | 科学系 | Comments(0)
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