前世紀の科学者が随筆を書いていたことについて

本屋で買い物をしていたら、いつの間にかカゴの中に入っていた。
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裏表紙にある
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を見て、思わず考え込みながらレジに向かった。
この本は4人の学者さんの随筆の簡単な紹介。目に触れる機会の少なそうな本に目を向かせてくれる読書案内といった本だ。それにしても裏表紙の言葉、考えせられる。

内田樹さんが彼のWebの「旦那芸について」というエントリーの中で、彼が仏文に向かったの桑原武夫や渡辺一夫や鈴木道彦らが仏文の裾野の拡大に熱心だったからと書いている。単に仏文が面白く刺激的な学問領域であることを示すだけでなく、生き方を通しても仏文学者がダイナミックで面白そうということを伝えていて、内田さんに限らず彼らに引かれて仏文を志した若者が数多く存在したという話である。しかし、それに対しててその後の世代の仏文学者は内田さんも含めて裾野の拡大を行わず、その結果として仏文学者が絶滅状態になったということを反省を含めて記している。
内田はある分野の1人の専門家の背後には、「その数十倍の「半玄人」が必要である。」とも記している。その続きも引用するなら「別に、競争的環境に放り込んで「弱肉強食」で勝ち残らせたら質のよい個体が生き残るというような冷酷な話をしているわけではない。「自分はついにその専門家になることはできなかったが、その知識や技芸がどれほど習得に困難なものであり、どれほどの価値があるものかを身を以て知っている人々」が集団的に存在していることが一人の専門家を生かし、その専門知を深め、広め、次世代に繋げるためにはどうしても不可欠なのだ」というわけで、半玄人の裾野となる人々の存在が、その分野を継続していくのに必要だという話である。

さて、ともきんすに話を戻すと、中谷宇吉郎の随筆の中に戦中か戦後直ぐに東京に向かう旅の途中で一泊しなければならなくなり、何とかたどり着いた宿の女将が中谷の随筆のファンで助けられる話がある。どうみても女将は物理を学んだわけでもなく理科系でもない。でも、中谷の随筆のファンである。これは広い意味で内田のいう旦那芸に含まれることだと思う。もし、この女将に子供がいたら、理科好きになりそうな気がするのである。

現在でも、確かに数多くの科学読み物は出版されている。また、そうした読み物の著者となる科学者もいる。でもそれらの本は、ある分野の知識や最近の情報を伝える本であって、随筆とは少しばかり毛色が違っている。例えば、中谷宇吉郎の立春の卵は、取り上げた対象は彼の専門とはまったく関係のない話だ。しかし、それを題材に科学的な考え方をしっかりと示すものに仕上がっている。単に不思議でもなく、そして知識でもなく、その途中の過程が含まれている。こんな技は最近の本では確かに見た記憶がない。

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by ZAM20F2 | 2015-05-05 20:10 | 文系 | Comments(2)
Commented by f at 2015-05-07 20:32 x
ガモフかと思ったら、やっぱりそうでした。私は中学生のときにガモフ全集を読んで化学屋を志したので、もっとも影響を受けている科学者の一人です。今度買って読んでみようと思います。
Commented by ZAM20F2 at 2015-05-08 07:42
ともきんすは、とも子さんと娘のきん子さんがやっているので、ともきんすなのですが、後半ではガモフさんも訪ねてきて、とも子さんは、ガモフさんの本のファンなので、それを一文字変えてと話しています。ともきんす、寮生は朝永さん、牧野さん、中谷さん、湯川さんの4人ですが、ガモフさんが出てくるなら、伏見さんも出てきてほしかったなと思いました。
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