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旦那芸・科学版

前回のエントリーは、仏文ではなく科学分野における旦那芸の存在について話を展開しなければならなかったはずなのだけれど、まとめられずに途中で投げ出されたものであった。
内田樹さんのブログのみにリンクをはったけれど、最初は、それに加えて天文古玩さんの「博物学の「目的」とは?」にもリンクを張るつもりでいた。リンク先を見て頂ければおわかりのように、明治期の博物教科書の紹介。博物学の目的というあたりに、西洋の学問を背景も含めて日本に伝えようとする著者の想いが見える気がする。「理学的思想を与へ、迷信を去ること」は普通の話だけれども、「親しく自然界を観察して、其完全なる理会〔理解〕を為さしめ、天然物を愛するの心情を喚起し」のあたりに、神の作った自然の理解と賛美というキリスト教的な背景が隠れているような気がする。

方々のブログにあふれる花鳥風月の写真を見ると、極東の島国にも多くのナチュラリストがいるらしいのだけれど、その中で顕微鏡を扱う人の数は欧米に比べて少ない割合であるらしい。まあ、大航海時代の昔から新しくやってきた謎のものを拡大して眺めるだけでなく、蚤を見るための虫眼鏡まで作っちゃうような人々なわけだ。そして、その背景には神の作った世界という概念があり、この辺りの違いが、極東の島国に顕微鏡愛好者が少ない理由かなという気もしないでもない。
でも、極東の島国にだって本草学の伝統もあれば、雪華図を作っちゃった殿様のような趣味人もいた。西の方の人が顕微鏡を扱うといっても、科学的な研究に向かうのではなく、微細な芸術的な品を愛でるという方向性もある。そういう意味では、科学にむかうとかそういうのとは異なった面の話かもしれないけれど、どこから違いが出ているのか、そして、それが科学と関係する話なのかは、心のどこかに引っかけておきたい問題だ。

極東の島国にも本草学があったと記したけれど、極東の島国にはロウソクの科学に代表されるクリスマス講演的な伝統は無い気がする。ロウソクの科学は、最先端の科学である電気の話ではなく、身の回りにありふれたロウソクを使って見せたところに芸がある。科学講演というと、著名な科学者が自分の専門についての話をするイメージがあると思うけれど、それじゃあ聞いている方にとっては、科学か魔術か区別のつかない話になる危険性がある。むしろ日常に見慣れていたはずのもにの不思議さを示された方が、普通の生活の中で身近なものに目をむけた考える切っ掛けになりうるように思う。最先端の科学の話は人ごととして科学を楽しむ人は作れても、旦那芸まで引っ張り上げることは出来ないのではないだろうか。
ともきんすには牧野富太郎の「牡丹の花はあんなに大きいのに、桜の花はどうしてあんなに小さいのでしょう?」という言葉が引用されている。言われて見ると、そこらへんの科学教室で種明かしとともに教えてもらえる目を引く科学マジックなんかよりはるかに不思議で奥の深い話のわけで、自分の感性の鈍さを痛感させられる言葉だ。

ただ、花の大きさの違いを不思議と感じられるようになるまでには、かなりの経験が必要なのかとも思う。というのは、顕微鏡に興味を持ってもらえるような、簡単に作れる検鏡対象がないかななどという話の流れで、そのあたりの葉っぱやら、
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池の水などを眺めてみると、
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確かに見たこともない景色が拡がっているのだけれど、それより先に進めないのだ。一方、偏光顕微鏡下で
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なんぞを眺めると、「見た目ネマチックだけれど、ぶつぶつしているのは一見等方相のアワだけれども、でも複屈折量がアワの所でも変わっていないのがあるので、薄いか、それとも等方相ではなく液晶相で混合系でバブルが見えているのか……」などと頭が回っていく。もちろん、これは偏光顕微鏡だからではなく対象が液晶であるためで、それが証拠には、同じ偏光顕微鏡下の画像でも、ビタミンCを眺めると
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「なんか液晶の欠陥に一寸似てるな。まあ、でもきれいだからいいか」などというレベルで思考が停止してしまう。予備知識の有無が見る深さに影響している。

人によっては、水の中の生き物でワクワクして深く入っていく人もいるだろうと思う。万人向けの検鏡対象ではなく多種多様なものが、奥に進むための知識とともに用意されている必要がある気がしてきた。

by ZAM20F2 | 2015-05-06 16:03 | 文系 | Comments(0)
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