技術的指向性の変わらなさについて(慮人日記より)

「慮人日記」の著者は小松真一さん。発酵の技術者で、第2次大戦中に日本陸軍専任嘱託として南方で植物由来の燃料工場に関わった方。この本は、投降して捕虜になった後に収容所で書かれた記録がもとになったもの。本人が1973年に亡くなったあと、ご家族が記録を私家版として、後に筑摩書房から書籍として発行されたものだ。
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この本には、日本が戦争に敗れた理由として21の要因が記され「日本人には大東亜を治める力も文化もなかった」と総括している。後に山本七平さんが21の要因を解説する形で本にもされている。

本を読みながら、国民性というのは変わらない物だなぁとしみじみと感じている。小松さんは、朝鮮にあったドイツ人設計の工場や、比島にあった米国流の工場のことも記されているのだけれど、ドイツ人設計の工場は

新義州の朝鮮無水酒精会社のショウラー法による木材酸糖化と流動発酵
ショウラー博士設計になるだけに堂々たるものがある。日本人の設計とはまるで異なっている。計器を沢山用いているのには驚かされた。一つのタンクをつくるにも日本人の考え方とはまるで逆だったが、良き試料とヒントを得て帰る。

と、どうやら、数値計測をきちんとした上で、原理に基づいて稼働させるというシステムになっている一方で、比島にある米国流の工場は


比島の酒精向上
台湾で我々がやっていた酒精工場の設計、独逸人の設計になるショウラー法などと米人の設計を比較してみるとかなりの違いがある。
 彼らのやり方は麦酒会社で作った麦酒公募(麦酒醸造の副産物でバターの如くパラフィン紙に包装してある)を冷蔵倉に入れておき、これを水に溶かして糖蜜を溶かした発酵槽に種として入れるだけで、酒精発酵を簡単に終わらせている。
 台湾のように純粋培養をした酵母を工場で更に純粋培養し、酒母をつくって加えていくというような手数のかかることや、独逸人の考えたように多くの機械を要するやり方とは全く異なっており、酵母は出来合の物で間に合わせるので、酒精工場としては酵母関係の技術者を全く必要としない。素人で充分にやっていける。
 次に蒸留器も日本では、醪塔、精留塔、フーゼル油分離塔等のあるギョーム式を採用し、酒精の品質を最上のものとしているのに対し、仏国製のルムス一点張りで醪塔の上に精留塔をつけ、アルデヒドもフーゼル油もぬかずに酒精の品質を悪くしている。どうぜ自動車用だというので平気でいる。したがって蒸留操作は極めて簡単である。神経が太いというか実用向きというか。もっとも、日本人は不必要に神経質で、化学的に純粋でないと何だか気が済まず、自動車なんぞに用いるのに、不必要なまで手をかけて品質の良い物を造っている。
酵母を多量に加えて安全な発酵をさせるあたりは、まさに物量主義のあらわれだ。要するに米人の設計した酒精工場は素人だけでも運転できるようになっている。

という具合で、必要なものを非熟練労働者でも作れるし、必要以上の純粋さは求めないという設計思想で作られている。

一方極東の島国の工場は

樺太の王子製紙の亜硫酸パルプの廃液利用、大岩源吾氏の流動発酵
ショウラー法のごとくやたらに金をかけずにやっているのは、さすが日本人の設計だ。朝鮮無水も亜硫酸パルプの技術をいれたら、木材糖化にあんなに金をかけんでもすんだのではないかと思われ

とあり、独逸式に比べると、計測によって状況を把握するのではなく、経験値に基づいて操作をするような印象を与えるものになっている。そして、米国流との比較で記してある日本流を見ると、明らかに必要以上の純度を作り出す装置になっていて、そして、そこには熟練労働者を必要とする形になっている。

これは、第二次世界大戦前の話であるのだけれども、それから70年以上経った後でも、極東の島国の売りの一つは熟練労働者に支えられた過剰な品質なわけで、やっていることは変わらないよなぁと思えるところだ。
極東の島国のやり方は、人件費が相対的に安い間は強かったけれども、人件費が相対的に高くなった後は、競争力を失ったのは歴史の教える所だけれども、そこからの転換は、残念ながら巧くなされてはいないように思う。


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by ZAM20F2 | 2015-08-14 18:30 | 文系 | Comments(0)
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