お濠脇の建物では、敗戦当日の新聞も展示されている。
放送は昼だったのに何で新聞に掲載されているのかと思ったら、この日の新聞は午後に発行されたらしい。とはいえ、放送から内容を確認して紙面構成をしていたのでは日が暮れてしまうだおるから、事前にそれなりの情報は報道各社に配られていたのだろうと思う。放送がらみでは、苦心談の話なんかがテレベでもやられたことがあるけれども、新聞系にどんな風に情報が伝えられていったのかは記録があるのだろうか。
ところで、この日の新聞
大蔵省の国債買いましょうキャンペーンがあるのだけれど、この国債売れたのだろうか? 戦後復興のためは流石に無理だろうから軍事費目当てだと思うのだけれど、その必要はなくなったわけで、どうなったのか知りたいところだ。
それ以外に
やら
の広告が掲載されている。いつの時代も薬は儲かったのだろうか。