1971年秋の出来事を妄想する

NHKの看板番組の1つにプロジェクトXがあった。主に技術開発に関する話を扱ったドキュメンタリーで、逆境の中から成功をつかみ取るストーリーが共感を呼び、放送は過剰演出による問題などから打ち切りとなったが、今でもDVDや書籍として販売されている。

プロジェクトXの中にシャープの液晶電卓を扱った回がある。無機ELの開発が巧く行かず不遇な環境にあった研究者が液晶に着目して上司に直談判をしてリーダーとなり研究を開始し世界初の電卓用の液晶表示素子を作り出すまでの物語である。

物語の1つの山場は、失敗から出た寿命改善の実現である。液晶表示素子は米国のRCAにより1968年に発表された。RCAにより発表されたのは、動的散乱効果(Dynamic Scattering Mode;DAM)効果を使った液晶表示で、液晶材料に直流電圧をかけると、それまで透明だったものが白く濁るという現象を活用した表示方法だった。しかし、寿命が短いなどの問題からRCAでは実用化の研究を中止してしまった。シャープの液晶研究グループも寿命が短いという壁を乗り越えられずにいた。

運命の1971年の秋に新人研究者が一瓶数十万円もする高純度液晶試料の入った瓶の蓋を閉め忘れて帰ってしまった。一晩開封のまま放置すると、外からの不純物が入ってしまうので、もはや捨てるしかなくなる。翌朝に閉め忘れた蓋に気がついた新人は「「しまった」と声を上げ」でも捨てるには忍びなく、「どうせ、捨てるのならと不純物の混じった液晶に交流電圧をかける実験を行った。」ことになっている。その結果、非常に性能がよく、劣化も抑制されることが分かった。これがブレークスルーになって、液晶電卓が実現したという話である。

プロジェクトXの書籍版によると、1971年秋の時点では、直流駆動では試料の純度を高めると寿命は延びたけれども、それでも製品化には寿命が足りなく、また、交流駆動では、液晶表示ができるような特性が発現できず、その理由は分かっていないと記されている。

この番組を見た時には、この話をそのまま信じていたのだけれども、最近になって、別の目的のために入手した「液晶ディスプレイ物語」を読んでいたら、当時の新人研究者さんであった船田さんの回想があり、プロジェクトXとはだいぶ印象が異なる話であったために、疑いを持つようになった。

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液晶ディスプレイ物語によれば、「1970年にOrsay LC GroupがPRL(Physical Review Letters)に出した論文で、ある程度のイオンがあればDSMが交流で効率よく起こることが理論解析で示されていた。しかし、1グラム数万円の液晶に不純物を添加するという行動は躊躇し、なかなか実行できない日々が続いていた。「このような時に幸運が舞い込んだ。」加水分解によりイオン性不純物が生じる液晶のサンプル瓶の蓋が閉め忘れて置いてあるのを見いだし「これはひょっとすると液晶が加水分解をしてイオン性不純物が増して液晶の導電率を上げてOrsayグループの言う交流駆動の条件を満足しているかも知れない」と早速この材料で交流駆動実験を行った。」という話になっている。

プロジェクトXと違って、高純度の液晶材料で交流ではDSMが生じないことは理論的に解析されていたわけで、さらに、明け放れた瓶を見た時の反応も「しまった」と「幸運が訪れた」と正反対のものになっている。両者での違いが大きすぎたので、思わず他の記事はないのかとWeb上をあさってみた。

Web上で見つかった本人の記したものに、電気情報通信学会誌89号(2006年)と応用物理の76巻(2007)の記事がある。電気情報通信学会では船田さんは「蓋を閉め忘れた液晶びんを見て「しまった。空気中の水蒸気でシッフ塩基からなる液晶化合物が分解したかも知れない」と思うと同時に「そうだ、あの実験をやってみよう」と交流駆動の実験を行ったことになっている。この記事ではOrsayグループは出てこず、交流駆動によるDSM効果には一定量のイオンの混入が必要であると予測は出来たがという記述となっている。なお、この記述では交流駆動の実験は10月に行われたことになっている。

また応用物理では「イオン性有機化合物の意図的な添加であった。このアイデアの基礎となった液晶緩和現象と分子運動については、フランスのde Gennesらの液晶研究グループにより詳細な理論的検討がなされており、この論文はこの発明の切っ掛けをあたえてくれた。」と記している。ただし、引用された論文は1970年のPRLではなく、1971年のMCLC(Molecular Crystals and Liquid Crystals)となっている。

プロジェクトXの本の初版は2001年に出ているらしいので、年代が下がるに従って「しまった」と動揺して思いつきの実験をしたところから、「ラッキー」とばかりにやりたかった実験を試みる方向へと話が変わって行っている。こうなると、1971年秋に実際にどのような物語があったかを知りたくなるのだけれど、残念ながら船田さんとは面識がないので、ここでは、得られる資料から妄想を膨らませてみようと思う。

妄想を膨らませる上で重要なのは、船田さんが参考文献としてあげている二つの論文に何が書いてあるかということだ。そこで、1970年のPRLと1971年のMCLCをざっくり眺めてみた。MCLCの論文には直流でのDSMは電極からの電荷注入により生じるのに対して、ある程度以上の周波数の交流電場によるDSMは電極注入なしに生じるもので、電極と液晶の間に絶縁体を挟んでも生じると記してある。さらに、イオン化して導電性を与える不純物としてテトラメチルアンモニウムのハロゲン化物をドープすることも記してある。船田さんはOrsayグループの論文のみを取り上げているが、MCLCの論文を見ると、1970のHeilmeierのApplied Physics Letters(APL)の論文を引用している。その論文では交流でDSMを行うと、直流でのDSMより電場を切った時に透明に戻る時間が短いFast turn off modeとなることが報告されている。直流の場合は電場を切ったあとで、透明に戻るまでに0.1秒程度必要なのが、交流だと1000分の数秒で透明に戻るらしい。

プロジェクトXを注意深く読むと、船田さんの上司だった和田さんが最初に電卓チームの鷲塚さんに見せたディスプレイはふわっと文字が消えるようなものだったのに、船田さんの失敗の後のものは、文字が素早く消えたと記してある。これは、最初のが直流駆動で、失敗後のものがFast turn off modeであることを示している。MCLCの論文を読んでいて、そこに引用してあるAPLの論文を見ていないわけはないので、船田さんはOrsayの論文だけでなくHeilmeierの論文も見て交流駆動のもう一つのメリットも知っていただろうと推測できる。

ところで、MCLCの1971年の論文だが、1971の秋までに船田さんがこれを見る事が出来たかは確認しておく必要がある。論文の出版月によっては、「失敗」の時点で船田さんがMCLCの論文は見ていない可能性もあるからだ。とは言え、今と違って出版後に直ぐにネット経由で論文が見えるような世の中ではなく、印刷された雑誌が極東の島国までやってくるまでのタイムラグがあるので、それも含めて判断しなければならない。船田さんの手元にいつ論文(のコピー)がたどり着いたかは分からないが、この論文が掲載されている号は1971年の5月には日本に入っていることは確認できた。従って、船田さんはこの論文を秋までには読んでいたと考えて間違いないと思う。

というわけで、1971年の「失敗」の時点で、船田さんは、イオン性不純物を含んだ液晶では交流DSMが起き、その場合には電極からの電荷注入はないので、液晶の劣化は生じないし、また電場を切った時の応答は極めて早いことを知っていたはずである。


ここまでは、ほぼ妄想のない話なのだけれど、ここから妄想をたくましくした話を行う。船田さんが使っていた液晶はMBBAとその類似物質だろうと思われる。何れもアミンとアルデヒドを脱水反応でくっつけたシッフ塩といわれる化合物で、有機化学の教科書を見ると、安定性が低く水分があると元のアミンとアルデヒドに分解すると記してあるような物質である。両側がベンゼン環だと少しは安定性が増すが、それでも、空気中に置いておくと吸湿して加水分解し、液晶の転移温度はみるみる下がっていく。このため、多くの研究室では、試料瓶を厳重に封をした上で、デシケータなどに入れて湿気の侵入を防ぐようにしている。使う時も、間違えても数十万円分の液晶が入った大瓶をそのまま使う事はない。不純物を間違えて入れてしまった場合の被害を少なくするために、必ず小分けにして使うと思う。そして、使う時は液晶をセルに入れたら直ぐに瓶の蓋を締めるはずで、当日と言えども、そのままに放置することは考えられない。

サンプルをセルに注入したら、試料瓶の蓋を締めるのは実験をやっているものなら、たたき込まれているはずのことで、ここでミスをするのは、かなりのうっかりもので、精緻な実験は困難だろうと思う。船田さんがうっかりものだとすると、とても、その後の最適化などは出来ていないと思うのだけれど、その後の開発もきちんとこなしていて、さらにその後も液晶業界で活躍されていたことを考えると、うっかりものではないはずだ。

うっかりものではないはずの人が、ある朝、蓋を閉め忘れた瓶を発見したということは、その瓶の蓋は、うっかりと閉め忘れたものではない可能性が高い。瓶の蓋は故意に閉め忘れた可能性を疑いたくなるのだ。

MCLCの論文からは、交流駆動だと液晶を劣化させる電荷注入がないことは明らかであり、しかも、応答速度が速いのだから、試してみるべき方法である。しかも、MCLCには使ったイオン性不純物も記されている。しかし、MCLCにはイオン性不純物の濃度はなく、Heilmeierの論文も抵抗率は書いてあるが、不純物濃度などは記していない。濃度が分からないと、最初は混ぜる量の想像がつかないので失敗をする危険性が高い。濃度によっては、微量まで正確に測れる天秤が欲しいのだけれど、1970年当時には、どこにでも転がっているものではなかった。天秤がなければ、そもそも実験を行うことすら困難である。

このような状況を考えると船田さんの「液晶に不純物を添加するという行動は躊躇し」という記述はすごく理解できる。不純物を混ぜてみて、入れた量が外れで、使い物にならない液晶が出来てしまったら、上司のお叱りの上、その方向の実験は止められてしまう危険性が高い。

でも、たまたま蓋を閉め忘れて、液晶が加水分解して伝導度が上がってしまったら、最悪でも上司に謝って怒られれることになるかもしれないけれど、イオン性不純物を混ぜる場合のような「余計なことをして」というさらなる怒りを買うことはない。

付け加えるなら、徐々に加水分解させていくのは、より安全に目的とする状態を作り出せる方法なのである。船田さんが認識していたように、シッフ塩系の物質は吸湿すると加水分解して電気伝導の向上を引き起こすイオン性の不純物が発生する。この場合は、劣化に従って伝導度は向上するので、蓋を開けた瓶からある時間間隔毎にセルを組み立てれば、系統的に伝導度の変化が生じたサンプルでの試験が行える。混ぜる濃度についてびくびくする必要はなく、時間毎にサンプルをとって、伝導度を測って、そのカーブから、目的とする伝導度になるまでの時間の予測もつくわけで、混合比を間違えた使えない試料ができる心配もなく、目的物を中間状態も含めて入手出来る、極めて合理的で効率的な実験の進め方なのである。

丁度良い状態になったところで、瓶の蓋をして、それ以上の劣化がないようにすれば、様々な試験に使える同一状態の目的の物質を手に入れることが出来る。そしてまた、論文にに書いてあることが正確ではなく、万一実験が上手く行かなかったとしても、ミスで失敗して材料を劣化させてしまったと謝れば、密かに試みた実験は闇に葬れるわけで、非常に考えられた、その時点で最善の手法なのである。

船田さん本人の記録では「失敗」は10月に、プロジェクトXによれば11月に起こっているのだけれど、この実験を行うのに必要な情報は5月中には揃っていたはずである。何故10月まで「失敗」が起きなかったのかについて妄想を積み上げるなら、船田さんが湿度と気温がある程度下がるまでは「失敗」を行わないようにしていたからではないかと思える。夏期の高湿度・高温の環境では劣化が早く進みすぎて試料が駄目になってしまう危険性がある。その点、湿度・温度ともに下がってくれば、劣化の進行が遅くなり劣化状況を見ながら最適状況を作り出すことが可能になり得る。プロジェクトの進捗も勘案に入れた最高のタイミングで行われた計画された「失敗」である可能性が高い。

結果的に実験は上手く行ったわけだけれども、報告時に船田さんは「瓶を閉め忘れた失敗」という言葉を使ったのではないかと思う。たとえ実験が上手く行ったとしても、意図的に蓋を開けておいたとは言いにくい。それは、勝手なことをする奴という評価も招いてしまう危険性があるからだ。その点、うっかりミスをしたのを上手く生かしたという話にしておけば、失敗は帳消しにしてもらえて、その方向で進むという話にスムーズに行くだろうと思う。このあたりから、失敗が産んだ発見という話が固定して、プロジェクトXで大々的に広まってしまったのではないだろうか。

個人的には、右も左も分からない新人が失敗をして、闇雲にやった実験が成功したなんていう話よりは、論文をきちんと読んでいた研究者が、自分のところでそれを再現するのに最適な方法を必死に考えて、そして、失敗を装う方法を考え出したという方が、はるかに心に響く物語である。上に書いたように状況証拠を重ねると、わざと失敗した可能性は結構ある気がする。船田さんと面識のある方が、これを読んでいたら、是非、ご本尊を正面から問い詰めてみて欲しい。


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by ZAM20F2 | 2015-12-31 10:39 | 液晶系 | Comments(0)
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