1968年のRCAによる液晶ディスプレイの発表を受けて、極東の島国でも液晶研究が一斉に開始された。特に驚くべきなのは、日立や東芝、松下といった大手の電機メーカーでも液晶研究が開始されていたことである。液晶ディスプレイの技術革新史をみると、1976年までに、重要な特許を出した企業のベスト4は5件の日立に続いて、4件の松下、東芝、三菱で、いずれも大手の電器メーカーとなっている。
何故大手電機メーカーが液晶研究をしたことが驚きなのかというと、最初にディスプレイを発表したRCAはアメリカの大手電機メーカーであり、液晶ディスプレイが当面は時計などの小型ディスプレイにしかならず、テレビまでの道のりが遠すぎるので、大手電機メーカーとしては資源を投入すべき課題ではないという経営判断として液晶研究を中止してしまったからだ。 これは、経営判断としては非常に正しいものだと思う。実際、液晶テレビがそれなりに実用化されたのは、薄膜トランジスタ技術が発達した1990年代のことで、その時代以降に液晶業界に参入した企業が現時点でメインプレイヤーになっていることを考えると、1970年代初頭に液晶研究を行うのは、テレビなどを主要な製品とする企業にとっては余計な研究開発であったと考えられるのである。 こう考えると上記の極東の島国の企業が液晶の研究を行っていたことについて2つの疑問が生じる。1番目の疑問は、そもそも、これらの企業で液晶研究を行った研究者は液晶に手を出す前は何をやっていた人々だったのだろうかと言うことである。何しろ、王道のシリコン系半導体や電化製品を作っている部署から液晶にやってこようとする人がいるとは思えないのである。そして、2番目の疑問は、会社のマネージメントとして、何故、液晶研究がこれらの会社で許されていたのかということである。 第1の疑問を解く鍵は「液晶紳士随想録-日本の液晶を立ち上げた人達 」にあった。この本は液晶にかかわった研究者の回想録のようなものだけれども、これによると、上記の企業で液晶研究に関わった研究者の多くは、それ以前に有機半導体関連の研究を行っていたようだ。有機半導体は1950年代に発見されたもので、1960年代に電気系メーカーでの研究がブームになっていたらしい。しかし、有機半導体を用いたデバイスが現在でも、ほとんど実用になっていないことからも分かるように、開発が困難なもので、60年代には光電物性がらみでの研究が中心だったようだが、直ぐに実用化に結びつくような成果は出ずに、研究者はフラストレーションを抱えていたようだ。そのような時にRCAの発表があったために、それらの研究者が液晶に飛びついたというわけだ。それまでやっていた研究で、実用化に結びつくものが出ていなかったので転換は割とスムーズに行われたのだろうと思う。 第2の疑問に関しては、上記の4つの会社のうち、日立は小型の液晶モジュールを作って外販し、三菱は旭硝子と液晶モジュールの合弁会社を作っているが、東芝や松下が液晶モジュールを積極的に売っていたという認識がないのだけれども、そこで液晶の研究が行われていたのは何故かということである。また、日立や三菱に関しても、それまでの研究テーマを研究者側から変更するのが可能だったのは何故かというは疑問となる。研究所のマネージメントがしっかりしているなら、それぞれの研究者には担当課題が割り当てられているはずで、それを研究者側から勝手に変えることは考えにくいからである。 この点については、憶測で言うしかないのだけれど、これらの企業の研究所のマネージメントがしっかりしていなかった、あるいは、もっともらしい言葉を使うなら、ボトムアップの研究が許される素地があったということによるのではないかと思える。シリコン半導体などのスケジュールが定まった研究では遊びの余地はないけれども、直近でものにならないような研究に関しては研究者の勝手が許される素地があったような気がしてしまう。この「緩さ」がこれらの企業における液晶研究を許した一方で、最終的に、これらの企業が液晶パネルから撤退する原因となったのではないかという印象がある。 日立などの重電もやっている企業にとって、液晶表示モジュールは主流から外れた部署で、赤字を出さなければ続けても良いけれどといった程度の重みのものである。このためか、90年代になり、液晶パネルが半導体メモリーと同様に、他社に先駆けて巨大工場を建築して市場を圧倒していくという戦略が必要になった時点での投資の遅れを引き起こした印象がある。実際、日立で液晶をやっていた人から、投資のタイミングが常に半年は遅いという不満を聞いたことがある。液晶パネル上がりの人が上層部に入り込めれば、もう少し状況は変わったのかもしれないけれど、そうでなければ、液晶パネルが事業のほんの一部でしかない企業にとって投資が後回しになり、負のスパイラルに入り込むのは必然的な事だったのだろうと思う。 初期に液晶研究を始めた電機メーカーの中で、松下は重電部門はない企業であり、シャープのように液晶に注力する可能性もありうる企業であった。国内だとソニーも松下と同様に重電のない企業なのであるけれども、松下とソニーの2社は液晶ディスプレイに対して非常に冷淡な企業であった。両者とも、非液晶のフラットパネルディスプレイに注力しており、最後まで有機ELを続けていたのも、この2社である。これらの2社が液晶に冷たかったのは、液晶が非発光デバイスであるためではないかと推測する。ブラウン管をやっていた人々の中には、ディスプレイは発光デバイスであるべきという信念を持っている人々がいて、それらの人々にとっては、それ自体は光らず光スイッチ機能しかない液晶は、ディスプレイとしては邪道であるようだ。松下もソニーも自社でブラウン管を作っていて、ブラウン管テレビで大きなシェアを持っていた企業だ。これらの企業がブラウン管に続くディスプレイとして発光体を選んでしまったのは、自社でブラウン管を作っていなかったシャープが液晶に注力したのと同じくくらい自然の流れだったのかもしれない。
by ZAM20F2
| 2016-01-03 10:29
| 液晶系
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