昭和な問題

妙な問題に気がつくと取り上げる某学習塾の広告。今回のものは、かなり久し振りの謎の問題であった。
フナの解剖に関する会話を読んだ上で問題に答えよとなっているのだけれど、会話文と設問の関係が不明というか、会話文があることにより、全体が混沌としている印象がある。
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設問の1はフナの心臓の場所を問うているけれども、これは単に知識を問うているわけで、上の会話とはまったく関係ない。確かに、心臓だけは丈夫だったとは書いてあるけれども、それは、心臓の場所とはまったく関係のない話だ。
それにしても、フナの心臓の場所を知っていることに、どれだけの意味があるというのだろう。問題は独立したもので、単発の知識を問うているに過ぎない。考え方ではなく、単に個別の知識を問うだけの昭和な問題という印象だ。

設問1は知識を問うているだけ、問2に比べると、まだ真っ当なものである。問2は、最初の会話部分と会話を読んでという条件があるために、まったく意味不明な問題と化している。
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問題は、実験結果が教科書に書いてある正答と異なった場合のレポートの書き方を問うている。もし、この問題が会話文なしに単体でだされたのだとしたら、選択肢の中でベストの答はアになることは自明だ。けれども、この解答は極めて不充分なものだ。正しいと思われる結果と異なった結果となってしまった理由をきちんと考察できていなければ、科学的には、ほぼ無価値な物でしかないので、科学教育としては大きな問題が残る。それを良しとするなら、この学校の理科教育のレベルはかなり低いだろうと推測される。この学校で学んでも、ものごとを論理的に考えて進めていく科学的な思考形態は身につかないのではないかという気分になってしまう。

これだけでも、クズな問題なのだけれど、最初の会話文が、この問題に混乱を加える。問題文では、フナの解剖を大失敗して心臓以外はぐちゃぐちゃで分からなくなったという。どうすると、こんな失敗を出来るのか、現時点で「ひとみ」で何が起こったかか想像がつかないのと同じぐらい不思議な失敗だ。フナを気絶させるのに頭を木槌で殴るのを(それ以外の手はあるかもしれない。中学の時に先生がやって見せたコイの解剖で、最初に木槌で頭をひっぱたいていた記憶がある)間違えて、腹を殴りつけたとしか思えないけれど、それは、いくら何でも間抜けすぎる。
この前文があると何が問題かというと、隣の班ではきちんとした解剖が出来ているなら、ぐずぐずの内蔵の絵を描くより、隣の班のものを描かせてもらった方が、はるかに意味のある行為となるからだ。私が教諭でその場にいたら、確実に、そのような指導をする。もちろん、その場合には、自分達の解剖が失敗したために、あるグループの解剖したものを描いたと記すことは必要だけれども。この場合には、選択肢の中でベストの解答はウになる。

そもそも、この2番は科学倫理とか、より一般的な倫理の問題であって、それを中学理科の入試問題で出すこと事態、あまりセンスの良いこととは思えない。それがさらに、ぐだぐだな問題となってしまっているわけで、問題を出した学校のセンスの悪さもさることながら、それを選んだ学習塾のセンスの悪さも信じがたいほどのものだ。、

追記4月12日
ご近所さんより学習塾が、もとの問題を抜粋して使っているみたいなので、問題を出した学校のセンスは悪くない可能性があるとの指摘がありました。確かに、元の完全な問題文を見ないと、もとの問題は批評できませんね。というわけで、上の批評はあくまでも、学習塾に向けた物ということになります。

追記4月15日
ひとみの方は、本体の回転を抑制するのではなく加速するようになっていたというプログラムのミスが原因という発表があったようだ。これまでも、プログラムの問題から宇宙船が失われた例は存在する。それ故に、様々な確認手法が採られているのだけれども、人の行うことのミスの確立を0にすることは原理的に出来ないだろうと思う。
なお、解剖が失敗した理由は現時点でも不明だ……
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by ZAM20F2 | 2016-04-10 18:49 | 文系 | Comments(0)
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