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ゾウリムシ

発作的にゾウリムシを買ったという話をしたら、速攻で
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がやってきた。頁をめくってみると、最初に目につくのは様々なゾウリムシ
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いや、ゾウリムシにこんなに種類があるとは思いませんでしたとも。
でも、この本、素人には順序が逆の気がする。だって、識別に使う器官の名前を書かれたって、それがどれかがわからないんだもの。その後にある
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図が先にあった方が幸せだ。でも、いろいろとためになることが書いてある。たとえばゾウリムシは動きが速いので、顕微鏡観察の時には寒天などで粘性を高くして動きを遅くするのだそうだ。本を貸してくれた人からはCMCで粘性をという話を伺ったのだけれど、寒天もCMCも在庫はなく、とりあえず手元にある
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を眺めて思案中。
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by ZAM20F2 | 2017-06-08 21:19 | 文系 | Comments(0)

憲法を変えて高等教育を無償化するという話について

憲法を変えて高等教育を無償化すると言出した人がいる。この話を聞いて、直感的に感じたのは「無償化ついでに、大学の教科書も文部科学省検定にしたい」のだろうなぁということ。
なにしろ、子どもの貧困をはじめとするいろんな教育に関わる問題が出ているのに、それに対する手当をしていない状況を見れば、教育に興味もなければ、金をかける気もない人であるのは見て取れる。それにも関わらず、お金が必要なはずの高等教育の無償化を打出すというからには、教育をよくすること以外の本当の狙いがあるはずだ。
大学等の教科書も文部科学省検定品だけになれば、大学から人文社会系の左がかった講義を一掃できるだろう。また、政府にとって都合の悪い法律解釈も、教科書から除去できる。教科書検定官さえ押えておけば、そこらの学者が何をいっても犬の遠吠えだ。そうすれば、極東の島国が次に戦争で負けるまでは、今の方向性も安泰というわけだ。これは、なかなかに狡知に長けたアイデアといわずばなるまい。
ついでに、理工系の教科書も検定品になって、御用学者のご意見に反する考えは教えることが禁止され、原発は2度と事故を起こさないなんてことが真理として語られ、理工系学問がお金になりそうな偏った分野に特化して世界に遅れていくようになるかもしれない。最後のは、外からだったら、おもしろがって見ていてもいいかなとおもうのだけれど、極東の島国の住人である身としては、話の進みを注意深く見ていく必要を感じている。

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by ZAM20F2 | 2017-05-11 21:08 | 文系 | Comments(0)

前置詞3年

前置詞3年というのは、高校の時の英語の先生の台詞。
このあと「冠詞8年」というのが続く。そのときは、ふーんと思っていたのだけれど、前置詞は、検索で多数出てくる用例を使うなんていう技もあるのに対して、冠詞にはそんな技も通用しない。こんな台詞は覚えているけれども、何を教わったかは覚えていないので、8年以上立った今も冠詞の用法は不安だらけだ。
というわけで、この本を見つけて当然のように買い込んだ。
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本によると、冠詞用法はnativeは間違えないけれども、あまりにも当たり前のことなので、言語化してnonnativeに教えるのが困難なことであるらしい。まあ、極東の島国の「てにをは」とか、棒の数え方なんかと類似のセンスがあるようなものらしい。

それでも、この本、言語化困難な説明を言語化し、多数の例とともに紹介している。例の中は目から鱗のものも、例を見せられても途方にくれるものもある。
たとえば、
Bob Dylan's brother David was my music teacher when I was a child.
だと、ボブ・ディランには複数の兄弟がいて、その中の一人がDavidであるという意味を示すのに対して、
Bob Dylan's brother, David, was my music teacher when I was a child.
だと、ボブ・ディランの唯一の兄弟がDavidであるという意味になるそうなのだけれど、どうすれば、こんな言語感覚が身につくのか途方にくれるしかない。

一度で理解して使えるようになるなんてことは絶対にない(それが出来るくらいなら、この本を買う必要もないだろうと思う)ことは確かだけれども、少しでも感覚が身につくのには何回読み直せばいいんだろう。

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by ZAM20F2 | 2017-01-29 21:39 | 文系 | Comments(0)

昭和な問題

妙な問題に気がつくと取り上げる某学習塾の広告。今回のものは、かなり久し振りの謎の問題であった。
フナの解剖に関する会話を読んだ上で問題に答えよとなっているのだけれど、会話文と設問の関係が不明というか、会話文があることにより、全体が混沌としている印象がある。
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設問の1はフナの心臓の場所を問うているけれども、これは単に知識を問うているわけで、上の会話とはまったく関係ない。確かに、心臓だけは丈夫だったとは書いてあるけれども、それは、心臓の場所とはまったく関係のない話だ。
それにしても、フナの心臓の場所を知っていることに、どれだけの意味があるというのだろう。問題は独立したもので、単発の知識を問うているに過ぎない。考え方ではなく、単に個別の知識を問うだけの昭和な問題という印象だ。

設問1は知識を問うているだけ、問2に比べると、まだ真っ当なものである。問2は、最初の会話部分と会話を読んでという条件があるために、まったく意味不明な問題と化している。
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問題は、実験結果が教科書に書いてある正答と異なった場合のレポートの書き方を問うている。もし、この問題が会話文なしに単体でだされたのだとしたら、選択肢の中でベストの答はアになることは自明だ。けれども、この解答は極めて不充分なものだ。正しいと思われる結果と異なった結果となってしまった理由をきちんと考察できていなければ、科学的には、ほぼ無価値な物でしかないので、科学教育としては大きな問題が残る。それを良しとするなら、この学校の理科教育のレベルはかなり低いだろうと推測される。この学校で学んでも、ものごとを論理的に考えて進めていく科学的な思考形態は身につかないのではないかという気分になってしまう。

これだけでも、クズな問題なのだけれど、最初の会話文が、この問題に混乱を加える。問題文では、フナの解剖を大失敗して心臓以外はぐちゃぐちゃで分からなくなったという。どうすると、こんな失敗を出来るのか、現時点で「ひとみ」で何が起こったかか想像がつかないのと同じぐらい不思議な失敗だ。フナを気絶させるのに頭を木槌で殴るのを(それ以外の手はあるかもしれない。中学の時に先生がやって見せたコイの解剖で、最初に木槌で頭をひっぱたいていた記憶がある)間違えて、腹を殴りつけたとしか思えないけれど、それは、いくら何でも間抜けすぎる。
この前文があると何が問題かというと、隣の班ではきちんとした解剖が出来ているなら、ぐずぐずの内蔵の絵を描くより、隣の班のものを描かせてもらった方が、はるかに意味のある行為となるからだ。私が教諭でその場にいたら、確実に、そのような指導をする。もちろん、その場合には、自分達の解剖が失敗したために、あるグループの解剖したものを描いたと記すことは必要だけれども。この場合には、選択肢の中でベストの解答はウになる。

そもそも、この2番は科学倫理とか、より一般的な倫理の問題であって、それを中学理科の入試問題で出すこと事態、あまりセンスの良いこととは思えない。それがさらに、ぐだぐだな問題となってしまっているわけで、問題を出した学校のセンスの悪さもさることながら、それを選んだ学習塾のセンスの悪さも信じがたいほどのものだ。、

追記4月12日
ご近所さんより学習塾が、もとの問題を抜粋して使っているみたいなので、問題を出した学校のセンスは悪くない可能性があるとの指摘がありました。確かに、元の完全な問題文を見ないと、もとの問題は批評できませんね。というわけで、上の批評はあくまでも、学習塾に向けた物ということになります。

追記4月15日
ひとみの方は、本体の回転を抑制するのではなく加速するようになっていたというプログラムのミスが原因という発表があったようだ。これまでも、プログラムの問題から宇宙船が失われた例は存在する。それ故に、様々な確認手法が採られているのだけれども、人の行うことのミスの確立を0にすることは原理的に出来ないだろうと思う。
なお、解剖が失敗した理由は現時点でも不明だ……
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by ZAM20F2 | 2016-04-10 18:49 | 文系 | Comments(0)

文字数不変


今でこそ、版組の修正はディスプレイ上で容易に行えるから、文書を修正する時に文字数の変化を気にすることはない。しかし、写真植字や活版印刷の時代には文字数が変化してしまうと、それ以降の部分が全面やり直しとなってしまうために、修正時には行内で文字数を変えないような工夫をすることが求められていた。

そんなことを思い出したのは、「少国民理科の叢書」の監修者の言葉の戦前版と戦後版を比べてみたからだ。
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戦前版は
「少国民の皆様、私たちはこの度この「少国民理科の研究叢書」をそれぞれの専門の先生方」
と始まる。戦後版はこれに対して
「少国民の皆様、私たちはこの度この「少年少女理科の研究叢書」をそれぞれ専門の先生方」
と始まる。少国民と少年少女の違いで1文字増えた分を「それぞれの専門」の「の」を抜くことで合わせている。戦後版で書き出しが「少国民の皆様」のままなのは、シリーズタイトルが少国民から少年少女になったのに対応できていないのだけれど、ここも変えてしまうと、文字数の吸収が出来なくなってしまうためかと感じている。

もう一箇所変化したのは六行目で、戦前版では
「これがやがて君に忠義をつくし国に報ゆる」

「これがやがて文化国としての祖国に報ゆる」
と改訂されている。この行は、段落の最後で、「報ゆる一つの道であります。」と終わって、あと2文字は余裕があるので、+2文字、-方向は何文字でも文字数が変わっても問題ないはずだけれども、文字数はきっちりと同じに揃えられている。

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by ZAM20F2 | 2016-03-27 09:03 | 文系 | Comments(0)

芦原中学校

小山田いくさんが亡くなったとのツイートがあったらしい。
信州信濃の芦ノ原中学校を舞台にした漫画が代表作だとおもうけど、芦ノ原中学は存在しないけれど、芦原中学校は小山田さんの地元にちゃんと存在する。
小諸駅から中学校へは両側に桜並木のある細いけれどすてきな道が続いていた。残念ながらしばらく前に区画整理かなにかでその道はつぶされ、桜もすべて切られてしまったらしく、最近にその辺りをうろうろしても、かつての道を見つけられずにいる。
新しい舗装道路にも若い桜が植えられている。何十年か経ったら、木はかつての道のように大きくなるだろうけれど、風情は戻らないような気がして、すこしばかり残念だ。
小山田さん、まだ60ぐらいのはず、ご冥福を。


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by ZAM20F2 | 2016-03-27 08:04 | 文系 | Comments(0)

実感する化学(改訂版)

実感する化学の改訂版が出た。
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元々は英語の本で英語の題名は「Chemistry in Context」。Applying Chemistry to Societyという副題を持つこの本は、米国の学生向けの化学の教科書であるけれども、そこらあたりに転がっている化学の教科書のように、物資つん成り立ちなんて話からではなく、もっと人類の地球のこれからに関わる話から始まっている。
日本語版は2005年に第5版の訳がでて、2015年に第8版の訳が出版された。題名にあるContextだけれど、英和辞書だと「前後関係、文訳、背景、状況」などという訳語が上がっているけれども、OALDだと上記の訳語に対応する言葉に、「that helps you to understand it」などという文言がついており、日本語の中立的な印象より、もっと積極的な意味を持つ言葉の印象がある。
本でもcontextについて触れられていて、「本書が化学と社会を縦糸と横糸にして織り上げられていることを象徴する。本書は、社会が抱える課題を背景にしてくみ上げられている。また、これらの課題に取り組む意志を持つ教師と学生がいるからこそ本書が成立する。現代社会が直面する課題のほとんど総てに化学が編み込まれて介在している。」と記されている。第5版では表紙デザインは原著とことなっていたけれども、第8版では原著と同じ(だと思う)蜘蛛の巣となっている。Contextは織物由来の言葉だそうで、蜘蛛の巣でもって、そのことや社会との連携を示唆しているとのこと。

第5版と第8版との最大の違いは、グリーンケミストリーを明示的に押すようになっていること。
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第8版では最初にグリーンケミストリーの1,廃棄物は、出してから処理したり掃除したりするのではなく、生成させない。2,生成物を作るために使う原材料の量を最小に抑える。3,使用する物質及び生成する物質には毒性が無いものを選ぶ。4,使用するエネルギーを少なく抑える。5,技術および経済的に可能な限り、再生可能な材料を使う。6,使用する材料には、有用寿命を終えたら無害な物質に分解されるものを選ぶ。という規則が示され、さらに第0章が全体に対する前提として加えられている。
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原本は1冊なのを日本語版では2分冊になっていて、0章は上巻にも下巻にもついているのを見て水増し感を受けたのだけれど、原書でペーパーブックで1年間貸し出しが30ドル(1年間貸し出しなんてシステムがあるんだ! でも米アマゾンのレビューを見ると、★1つで、その理由が「貸し出し後の返送先や方法に関する案内がまったくない」というのもあり、謎な感じだ)、購入が160ドルもするのに対して、日本語版は上下あわせて8000円程度なので、なんか、得した気分にはなる。
取り上げられている内容は、地球温暖化、オゾンホール、化石燃料、水、酸性雨、原子力発電、電池、高分子、医薬品、食料、遺伝子組み換え技術など多岐だけれども直接生活に関わる領域がカバーされている。内容は、読者に考えさせるスタイルを取っている。課題としては、Webから統計データなどを捜してきて考えるものがあり受動的に知識をえるのではなく、外界から入る情報をもとに思考を練り上げることが求められている。
本自体は、科学的に中立な立場に立とうとしているように見受けられる。例えば原子力にしても遺伝子組み換えにしても、どういう物かをきちんと説明した上で、それがもたらす可能性と問題点を記述している。
この本には、熱力学の第1法則や第2法則が出て来るわけではない。また、シュレディンガー方程式や波動関数も出てこない。様々な合成スキームや個々の無機物質の物性なんかも出てこない。そういう意味ではぎちぎちの化学者にとっては学問的レベルの高くはない本であるのかもしれないけれど、そういう人にとっても、知らなかったであろう事柄が、人の生活との関わりを交えて、いろいろと展開される。提示されている問題を考えて身につけるためには、個々の物事を覚え込むのとは異なる次元のきちんとした知力が必要だ。そしてまた、この本を理解することにより、熱力学やら量子化学やらの個々の習得内容が世界にどのようなつながりを持つのかが、より実感できるようになるだろうと思う。
化学の狭い分野の専門家になる人以外にとって、たとえ、理科系でも、この本は、熱力やら量子やら有機やら無機といった個別の知識に関わる教育を受けるより、化学についてより深く認識できる優れた教科書だろうと思う。

実感する化学の日本語版が最初に出されたのは2005年だけれど、その2年後に「日本化学会 科学教育協議会「グループ・化学の本21」編の化学「入門編」を眺めてみると、根本にある思想が大きく異なっていることを感じずにはいられない。
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化学入門編は「身近な現象・物質から学ぶ化学のしくみ」という副題がついている。副題に、社会との関わりを示唆する言葉がないことからも想像つくように、こちらは、あくまでも化学の本。章立てを見ると「物質は粒子からできている」「身の回りの物質を考える」「物質を特徴づけるものは何か」…「身近な現象から気体と溶液の性質を学ぶ」「化学反応によって新たな物質が生まれる」「身の回りの酸と塩基を考える」…という具合だ。確かに、化学反応の章の最後には、「さらに近年は物質の燃焼に伴う二酸化炭素排出量も問題になってきている。これも化学反応式を理解し上で議論すれば、よりよい結論に近付くことができるであろう。」などとは一応は書いてある。でも、実感する化学の「全地球的気候変動に関わる化学」という章立てに比べると、当事者意識の希薄な、そして、学生にものごとを考えさせる姿勢も見当たらないものだ。『化学「入門編」』が専門の化学者による化学の本でしかないのに対して実感する科学は、広い視野をもった科学者による化学の本なのである。

余談になるが、本の中にアラル海の変化を取り上げた衛星写真があった。灌漑により流入水が減ったアラル海が干上がっていく変化が見られる。実はアラル海の縁を20世紀の終わり頃に通ったことがある。道路脇に小さな店があって暮らしている人々がいて、そこの子どもに画用紙と鉛筆をあげて仲良くなったら、親御さんが生きてる結構大きな魚をくれそうになり、さすがに貰っても途方にくれるだけなので、替わりに瓜をもらった。あのときにはまだ湖があって、魚を捕っていたわけだけれども、今ではとても魚を捕れる状況にあるとは思えない。どうやって暮らしているのかと思ってしまった。
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by ZAM20F2 | 2016-03-01 21:29 | 文系 | Comments(0)

教科書など

器具の他に教科書などの展示もある。
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はなかなか長閑な感じでよろしい。
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な感じも悪くない。
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な教室で、もっとも明治時代のこの辺りは電気は来ていなかっただろうとおもうけれど、そんなところで、ちびちび達が学んでいたわけだ。少し高学年の
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なものも置いてあった。
ただ、
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なんかがかかわる時代になると、教科書にも
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な部分が出てくるようだ。
ほんの70年前に起こっていたこと。この教育が行われていた時代のことを考えると、目上への尊敬を強要するような道徳には胡散臭さを感じてしまう。
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by ZAM20F2 | 2015-11-26 22:18 | 文系 | Comments(0)

つんでみた

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これは、数枚積んだもの。ものの高さでなく、カメラのピントを変えている。
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by ZAM20F2 | 2015-10-28 21:22 | 文系 | Comments(0)

難しくない?

久し振りの電車の中の学習教室の広告。
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ここのところ、この学習塾の広告を取り上げていなかったのは、眺めていて割と真っ当と感じるものが続いていたからで、今回のものも、問題としては悪くないと思うのだけれど、第一印象として、中学受験で子どもに尋ねるには難しすぎるのではないかという気がしたので、何でそう感じるのかを含めて取り上げてみることにした。

出題元の模範解答は存在しないけれど、この問題を掲載した学習教室がどう考えているかというと、解答例としては、1,日本近海から産卵場所へ向かう海流にそって親鰻の捕獲を試みる。2,河口付近で捕まえた親鰻に標識をつけて放流して海洋上で捕獲してルートを確認する。という2つがあり、その背景として、親鰻が日本の河川で成長すること。孵化した稚魚は海流にのって日本に到達すること、などから推論すると記してある。

でも、私が採点者だったら、この答2つには低い点しか出さないだろうと思う。何故なら、問題文に書いてある情報で、一番大事なところが、この解答では考慮されていないからである。

そもそも、稚魚がどうやって日本に来るかは分かっているけれども、親がどうやって産卵場所に向かっているかは分かっていないから、この設問がなされている。このことから分かることは、親鰻の捕獲は稚魚の捕獲に比べてはるかに困難であるということだ。

 稚魚と親鰻では、当たり前のことではあるが、親鰻の方がはるかに大きい。それにもかかわらず、親鰻が産卵場所へ向かうルートが分かっていないのは、産卵場に向かう親が途中で捕獲されていないからのはずなので、その理由を考えずに、親鰻を捕獲するという回答は低い点しか与えられなくて当然だろうと思う。

 また、東日本大震災で海に流出した物の一部が後に米国に漂着したという事実から分かるように、日本に向けて流れてきた黒潮は決して鰻の産卵場所には直接は向かっていないので、産卵場所に向かう海流沿いに調べるという回答にも高い点を与える必要はないだろう。
(Web情報によっては、小笠原海流と称するものによって向かうという説もあるようだ。でも小笠原海流にのるためには黒潮を突っ切らなければならないし、日本海側や台湾や中国の日本鰻がこのルートとは考えにくいので、やはり答としては妥当ではないだろう)

 親鰻が捕獲されていない理由としてざっくり思いつくのは、産卵場に向かう親鰻の絶対数が少ないか、ある程度の深度の海中を進むために捕獲困難であるか、予想外の場所を通って向かっているかだろうと思う。

 こうなると、鰻に発信器をつけて追跡したくなるし、そういう回答も存在すると思うのだけれど、残念ながら海中は電波が通らないので、通常の発信器ではだめだ。また、鰻の行動を邪魔しないサイズを考えると、大きな出力で音波を発するような装置も取り付け困難だろうと思う。


 個人的に難しいなと思ったのは、学習塾の回答は予想以上に低レベルで論外として、中学受験ぐらいの子供は知識として電波が海中を伝播しないことを知らないので、発信器をつけるぐらいで満足するのではないかと思ったためだ。


 ではどうするかと言われたら、鰻の活動を妨げないサイズで、鰻の泳いでいる水深と水温を一定時間間隔で記録し、ある時間経過後に鰻本体から分かれて海面に浮上し、浮上した場所の緯度と経度をGPSにより記録し、その後は、一定間隔で信号を発振して回収されるのを待つようなデバイスを開発して、沢山の鰻につけて海に放すというところかと思っている。

 私が採点者だったら、こんな感じの答にはよい点をつけるだろうと思うけれど、それを中学受験者に要求するのは、ちょっと困難で、出題校がどの程度の答を期待したのか知りたいところなんだけれど、残念ながら出題校のインタビューが出ていない。。




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by ZAM20F2 | 2015-10-19 21:18 | 文系 | Comments(0)