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大手電機企業の液晶研究者はどこから出現したのか

1968年のRCAによる液晶ディスプレイの発表を受けて、極東の島国でも液晶研究が一斉に開始された。特に驚くべきなのは、日立や東芝、松下といった大手の電機メーカーでも液晶研究が開始されていたことである。液晶ディスプレイの技術革新史をみると、1976年までに、重要な特許を出した企業のベスト4は5件の日立に続いて、4件の松下、東芝、三菱で、いずれも大手の電器メーカーとなっている。

何故大手電機メーカーが液晶研究をしたことが驚きなのかというと、最初にディスプレイを発表したRCAはアメリカの大手電機メーカーであり、液晶ディスプレイが当面は時計などの小型ディスプレイにしかならず、テレビまでの道のりが遠すぎるので、大手電機メーカーとしては資源を投入すべき課題ではないという経営判断として液晶研究を中止してしまったからだ。

これは、経営判断としては非常に正しいものだと思う。実際、液晶テレビがそれなりに実用化されたのは、薄膜トランジスタ技術が発達した1990年代のことで、その時代以降に液晶業界に参入した企業が現時点でメインプレイヤーになっていることを考えると、1970年代初頭に液晶研究を行うのは、テレビなどを主要な製品とする企業にとっては余計な研究開発であったと考えられるのである。

こう考えると上記の極東の島国の企業が液晶の研究を行っていたことについて2つの疑問が生じる。1番目の疑問は、そもそも、これらの企業で液晶研究を行った研究者は液晶に手を出す前は何をやっていた人々だったのだろうかと言うことである。何しろ、王道のシリコン系半導体や電化製品を作っている部署から液晶にやってこようとする人がいるとは思えないのである。そして、2番目の疑問は、会社のマネージメントとして、何故、液晶研究がこれらの会社で許されていたのかということである。

第1の疑問を解く鍵は「液晶紳士随想録-日本の液晶を立ち上げた人達 」にあった。この本は液晶にかかわった研究者の回想録のようなものだけれども、これによると、上記の企業で液晶研究に関わった研究者の多くは、それ以前に有機半導体関連の研究を行っていたようだ。有機半導体は1950年代に発見されたもので、1960年代に電気系メーカーでの研究がブームになっていたらしい。しかし、有機半導体を用いたデバイスが現在でも、ほとんど実用になっていないことからも分かるように、開発が困難なもので、60年代には光電物性がらみでの研究が中心だったようだが、直ぐに実用化に結びつくような成果は出ずに、研究者はフラストレーションを抱えていたようだ。そのような時にRCAの発表があったために、それらの研究者が液晶に飛びついたというわけだ。それまでやっていた研究で、実用化に結びつくものが出ていなかったので転換は割とスムーズに行われたのだろうと思う。

第2の疑問に関しては、上記の4つの会社のうち、日立は小型の液晶モジュールを作って外販し、三菱は旭硝子と液晶モジュールの合弁会社を作っているが、東芝や松下が液晶モジュールを積極的に売っていたという認識がないのだけれども、そこで液晶の研究が行われていたのは何故かということである。また、日立や三菱に関しても、それまでの研究テーマを研究者側から変更するのが可能だったのは何故かというは疑問となる。研究所のマネージメントがしっかりしているなら、それぞれの研究者には担当課題が割り当てられているはずで、それを研究者側から勝手に変えることは考えにくいからである。

この点については、憶測で言うしかないのだけれど、これらの企業の研究所のマネージメントがしっかりしていなかった、あるいは、もっともらしい言葉を使うなら、ボトムアップの研究が許される素地があったということによるのではないかと思える。シリコン半導体などのスケジュールが定まった研究では遊びの余地はないけれども、直近でものにならないような研究に関しては研究者の勝手が許される素地があったような気がしてしまう。この「緩さ」がこれらの企業における液晶研究を許した一方で、最終的に、これらの企業が液晶パネルから撤退する原因となったのではないかという印象がある。

日立などの重電もやっている企業にとって、液晶表示モジュールは主流から外れた部署で、赤字を出さなければ続けても良いけれどといった程度の重みのものである。このためか、90年代になり、液晶パネルが半導体メモリーと同様に、他社に先駆けて巨大工場を建築して市場を圧倒していくという戦略が必要になった時点での投資の遅れを引き起こした印象がある。実際、日立で液晶をやっていた人から、投資のタイミングが常に半年は遅いという不満を聞いたことがある。液晶パネル上がりの人が上層部に入り込めれば、もう少し状況は変わったのかもしれないけれど、そうでなければ、液晶パネルが事業のほんの一部でしかない企業にとって投資が後回しになり、負のスパイラルに入り込むのは必然的な事だったのだろうと思う。

初期に液晶研究を始めた電機メーカーの中で、松下は重電部門はない企業であり、シャープのように液晶に注力する可能性もありうる企業であった。国内だとソニーも松下と同様に重電のない企業なのであるけれども、松下とソニーの2社は液晶ディスプレイに対して非常に冷淡な企業であった。両者とも、非液晶のフラットパネルディスプレイに注力しており、最後まで有機ELを続けていたのも、この2社である。これらの2社が液晶に冷たかったのは、液晶が非発光デバイスであるためではないかと推測する。ブラウン管をやっていた人々の中には、ディスプレイは発光デバイスであるべきという信念を持っている人々がいて、それらの人々にとっては、それ自体は光らず光スイッチ機能しかない液晶は、ディスプレイとしては邪道であるようだ。松下もソニーも自社でブラウン管を作っていて、ブラウン管テレビで大きなシェアを持っていた企業だ。これらの企業がブラウン管に続くディスプレイとして発光体を選んでしまったのは、自社でブラウン管を作っていなかったシャープが液晶に注力したのと同じくくらい自然の流れだったのかもしれない。


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by ZAM20F2 | 2016-01-03 10:29 | 液晶系 | Comments(0)

日立と諏訪セイコーの液晶開発初期の話も聞いてみたい

世界初の液晶電卓はシャープ製ということで、液晶開発物語というとシャープのみが脚光を浴びていて、内容の正確さには一部疑問もあるけれども、プロジェクトXで取り上げられたりして世間に広まっているけれども、実は日立や諏訪セイコーにもシャープ以上に面白いドラマが転がっているのではないかと思う。

シャープが開発した液晶電卓は動的散乱モード(DSM)によるものだった。DSMはセル中の荷電不純物を、外部電場によって動かして液晶の配向乱れを引き起こして白濁した状態を作り出す方式である。電荷の動き、即ち電流がが表示の根本にある。

シャープが液晶電卓を発売したのと同じ年にセイコーブランドの液晶腕時計が販売された。こちらには、ねじれネマチック(TN)モードが使われていた。TNモードでは電場による液晶の配向方向変化が表示の根本にある。電荷の流れではなく電界による配向変化が根本のため、電界効果型モード(FEM)とも呼ばれている。

DSMとTNを比べると、電流が流れて散逸が起こるDSMモードに比べて電界効果型のTNモードの方が消費電力が少ない。また、不純物を混入しなくても動作するので寿命の点からも有利である。その後の液晶ディスプレイはTNモードが主流になり、今でも時計や電卓の表示はTNが使われている。広い視野角が要求される用途には、IPS型やVA型も使われているが、それらも電界効果型であり、TN型の系列につながるものである。

同じ液晶表示といってもDSMは現在の液晶ディスプレイにつながることなく消え去った方式であるのに対してTN型はその後の液晶表示へ大きく発展して、現在のディスプレイにつながっているのである。この観点からは、日本で現在の液晶の利用に直接つながる液晶ディスプレイをはじめて製品化した企業はシャープではなくセイコーであるとも言える。

セイコーの液晶時計の液晶モジュールは、諏訪セイコーにより作られたものだろうと思う。そして、諏訪セイコーに続いて1975年にカシオからTN型液晶を搭載した電卓が販売されている。この表示ユニットは日立から供給されているのではないかと思う。シャープも翌1976年にはがTN型液晶ディスプレイを出し、その後も長らくTNを使っていた。

シャープでTN型の開発が遅れたのは、液晶研究者が実用化されたDSMモードの工業化にかり出されていた為もあると思うのだけれども、極東の島国における液晶産業の勃興を考える上で、諏訪セイコーや日立にも、もっと目が向けられるべき存在だと思う。

伝え聞く話なのだけれど、日立ではDSMの研究もやっていて、製造ラインも作りかけていたらしい。ということは、日立でも寿命の問題はクリアーできていたはずだ。直流駆動では寿命問題のクリアが困難である以上は日立も交流駆動を考えていただろうと推測できる。不純物を混ぜた液晶による長寿命化は、プロジェクトXで世間に広まったような新人のミスがなくても実現可能な話であったのだろうと思う。

日立でDSMの開発がどのように行われたかも興味はあるのだけれども、それ以上に興味があるのは、どういういきさつでDSMの作りかけのラインを止めたのかということである。日立でDSMモードのディスプレイユニットを出さなかったのはTN型の方が優れていると判断した技術者が作りかけのDSM型ラインを止めてTN型のラインに変更したためと間接的に聞いた事がある。この時に、どんなドラマがあったのかは非常に面白いところではないかと思う。

日立は、その後に時分割駆動など液晶ディスプレイの発展に大きく寄与した技術開発を行っている。「液晶ディスプレイの技術革新史」によれば、日本における液晶研究の黎明期(1976年まで)の重要な特許数は日立が5件であるのに対してシャープは0件である。日立と諏訪セイコーの液晶開発物語りはもっと研究されて記録として表に出てくる価値があると思う。


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by ZAM20F2 | 2016-01-02 09:43 | 液晶系 | Comments(0)

1971年秋の出来事を妄想する

NHKの看板番組の1つにプロジェクトXがあった。主に技術開発に関する話を扱ったドキュメンタリーで、逆境の中から成功をつかみ取るストーリーが共感を呼び、放送は過剰演出による問題などから打ち切りとなったが、今でもDVDや書籍として販売されている。

プロジェクトXの中にシャープの液晶電卓を扱った回がある。無機ELの開発が巧く行かず不遇な環境にあった研究者が液晶に着目して上司に直談判をしてリーダーとなり研究を開始し世界初の電卓用の液晶表示素子を作り出すまでの物語である。

物語の1つの山場は、失敗から出た寿命改善の実現である。液晶表示素子は米国のRCAにより1968年に発表された。RCAにより発表されたのは、動的散乱効果(Dynamic Scattering Mode;DAM)効果を使った液晶表示で、液晶材料に直流電圧をかけると、それまで透明だったものが白く濁るという現象を活用した表示方法だった。しかし、寿命が短いなどの問題からRCAでは実用化の研究を中止してしまった。シャープの液晶研究グループも寿命が短いという壁を乗り越えられずにいた。

運命の1971年の秋に新人研究者が一瓶数十万円もする高純度液晶試料の入った瓶の蓋を閉め忘れて帰ってしまった。一晩開封のまま放置すると、外からの不純物が入ってしまうので、もはや捨てるしかなくなる。翌朝に閉め忘れた蓋に気がついた新人は「「しまった」と声を上げ」でも捨てるには忍びなく、「どうせ、捨てるのならと不純物の混じった液晶に交流電圧をかける実験を行った。」ことになっている。その結果、非常に性能がよく、劣化も抑制されることが分かった。これがブレークスルーになって、液晶電卓が実現したという話である。

プロジェクトXの書籍版によると、1971年秋の時点では、直流駆動では試料の純度を高めると寿命は延びたけれども、それでも製品化には寿命が足りなく、また、交流駆動では、液晶表示ができるような特性が発現できず、その理由は分かっていないと記されている。

この番組を見た時には、この話をそのまま信じていたのだけれども、最近になって、別の目的のために入手した「液晶ディスプレイ物語」を読んでいたら、当時の新人研究者さんであった船田さんの回想があり、プロジェクトXとはだいぶ印象が異なる話であったために、疑いを持つようになった。

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液晶ディスプレイ物語によれば、「1970年にOrsay LC GroupがPRL(Physical Review Letters)に出した論文で、ある程度のイオンがあればDSMが交流で効率よく起こることが理論解析で示されていた。しかし、1グラム数万円の液晶に不純物を添加するという行動は躊躇し、なかなか実行できない日々が続いていた。「このような時に幸運が舞い込んだ。」加水分解によりイオン性不純物が生じる液晶のサンプル瓶の蓋が閉め忘れて置いてあるのを見いだし「これはひょっとすると液晶が加水分解をしてイオン性不純物が増して液晶の導電率を上げてOrsayグループの言う交流駆動の条件を満足しているかも知れない」と早速この材料で交流駆動実験を行った。」という話になっている。

プロジェクトXと違って、高純度の液晶材料で交流ではDSMが生じないことは理論的に解析されていたわけで、さらに、明け放れた瓶を見た時の反応も「しまった」と「幸運が訪れた」と正反対のものになっている。両者での違いが大きすぎたので、思わず他の記事はないのかとWeb上をあさってみた。

Web上で見つかった本人の記したものに、電気情報通信学会誌89号(2006年)と応用物理の76巻(2007)の記事がある。電気情報通信学会では船田さんは「蓋を閉め忘れた液晶びんを見て「しまった。空気中の水蒸気でシッフ塩基からなる液晶化合物が分解したかも知れない」と思うと同時に「そうだ、あの実験をやってみよう」と交流駆動の実験を行ったことになっている。この記事ではOrsayグループは出てこず、交流駆動によるDSM効果には一定量のイオンの混入が必要であると予測は出来たがという記述となっている。なお、この記述では交流駆動の実験は10月に行われたことになっている。

また応用物理では「イオン性有機化合物の意図的な添加であった。このアイデアの基礎となった液晶緩和現象と分子運動については、フランスのde Gennesらの液晶研究グループにより詳細な理論的検討がなされており、この論文はこの発明の切っ掛けをあたえてくれた。」と記している。ただし、引用された論文は1970年のPRLではなく、1971年のMCLC(Molecular Crystals and Liquid Crystals)となっている。

プロジェクトXの本の初版は2001年に出ているらしいので、年代が下がるに従って「しまった」と動揺して思いつきの実験をしたところから、「ラッキー」とばかりにやりたかった実験を試みる方向へと話が変わって行っている。こうなると、1971年秋に実際にどのような物語があったかを知りたくなるのだけれど、残念ながら船田さんとは面識がないので、ここでは、得られる資料から妄想を膨らませてみようと思う。

妄想を膨らませる上で重要なのは、船田さんが参考文献としてあげている二つの論文に何が書いてあるかということだ。そこで、1970年のPRLと1971年のMCLCをざっくり眺めてみた。MCLCの論文には直流でのDSMは電極からの電荷注入により生じるのに対して、ある程度以上の周波数の交流電場によるDSMは電極注入なしに生じるもので、電極と液晶の間に絶縁体を挟んでも生じると記してある。さらに、イオン化して導電性を与える不純物としてテトラメチルアンモニウムのハロゲン化物をドープすることも記してある。船田さんはOrsayグループの論文のみを取り上げているが、MCLCの論文を見ると、1970のHeilmeierのApplied Physics Letters(APL)の論文を引用している。その論文では交流でDSMを行うと、直流でのDSMより電場を切った時に透明に戻る時間が短いFast turn off modeとなることが報告されている。直流の場合は電場を切ったあとで、透明に戻るまでに0.1秒程度必要なのが、交流だと1000分の数秒で透明に戻るらしい。

プロジェクトXを注意深く読むと、船田さんの上司だった和田さんが最初に電卓チームの鷲塚さんに見せたディスプレイはふわっと文字が消えるようなものだったのに、船田さんの失敗の後のものは、文字が素早く消えたと記してある。これは、最初のが直流駆動で、失敗後のものがFast turn off modeであることを示している。MCLCの論文を読んでいて、そこに引用してあるAPLの論文を見ていないわけはないので、船田さんはOrsayの論文だけでなくHeilmeierの論文も見て交流駆動のもう一つのメリットも知っていただろうと推測できる。

ところで、MCLCの1971年の論文だが、1971の秋までに船田さんがこれを見る事が出来たかは確認しておく必要がある。論文の出版月によっては、「失敗」の時点で船田さんがMCLCの論文は見ていない可能性もあるからだ。とは言え、今と違って出版後に直ぐにネット経由で論文が見えるような世の中ではなく、印刷された雑誌が極東の島国までやってくるまでのタイムラグがあるので、それも含めて判断しなければならない。船田さんの手元にいつ論文(のコピー)がたどり着いたかは分からないが、この論文が掲載されている号は1971年の5月には日本に入っていることは確認できた。従って、船田さんはこの論文を秋までには読んでいたと考えて間違いないと思う。

というわけで、1971年の「失敗」の時点で、船田さんは、イオン性不純物を含んだ液晶では交流DSMが起き、その場合には電極からの電荷注入はないので、液晶の劣化は生じないし、また電場を切った時の応答は極めて早いことを知っていたはずである。


ここまでは、ほぼ妄想のない話なのだけれど、ここから妄想をたくましくした話を行う。船田さんが使っていた液晶はMBBAとその類似物質だろうと思われる。何れもアミンとアルデヒドを脱水反応でくっつけたシッフ塩といわれる化合物で、有機化学の教科書を見ると、安定性が低く水分があると元のアミンとアルデヒドに分解すると記してあるような物質である。両側がベンゼン環だと少しは安定性が増すが、それでも、空気中に置いておくと吸湿して加水分解し、液晶の転移温度はみるみる下がっていく。このため、多くの研究室では、試料瓶を厳重に封をした上で、デシケータなどに入れて湿気の侵入を防ぐようにしている。使う時も、間違えても数十万円分の液晶が入った大瓶をそのまま使う事はない。不純物を間違えて入れてしまった場合の被害を少なくするために、必ず小分けにして使うと思う。そして、使う時は液晶をセルに入れたら直ぐに瓶の蓋を締めるはずで、当日と言えども、そのままに放置することは考えられない。

サンプルをセルに注入したら、試料瓶の蓋を締めるのは実験をやっているものなら、たたき込まれているはずのことで、ここでミスをするのは、かなりのうっかりもので、精緻な実験は困難だろうと思う。船田さんがうっかりものだとすると、とても、その後の最適化などは出来ていないと思うのだけれど、その後の開発もきちんとこなしていて、さらにその後も液晶業界で活躍されていたことを考えると、うっかりものではないはずだ。

うっかりものではないはずの人が、ある朝、蓋を閉め忘れた瓶を発見したということは、その瓶の蓋は、うっかりと閉め忘れたものではない可能性が高い。瓶の蓋は故意に閉め忘れた可能性を疑いたくなるのだ。

MCLCの論文からは、交流駆動だと液晶を劣化させる電荷注入がないことは明らかであり、しかも、応答速度が速いのだから、試してみるべき方法である。しかも、MCLCには使ったイオン性不純物も記されている。しかし、MCLCにはイオン性不純物の濃度はなく、Heilmeierの論文も抵抗率は書いてあるが、不純物濃度などは記していない。濃度が分からないと、最初は混ぜる量の想像がつかないので失敗をする危険性が高い。濃度によっては、微量まで正確に測れる天秤が欲しいのだけれど、1970年当時には、どこにでも転がっているものではなかった。天秤がなければ、そもそも実験を行うことすら困難である。

このような状況を考えると船田さんの「液晶に不純物を添加するという行動は躊躇し」という記述はすごく理解できる。不純物を混ぜてみて、入れた量が外れで、使い物にならない液晶が出来てしまったら、上司のお叱りの上、その方向の実験は止められてしまう危険性が高い。

でも、たまたま蓋を閉め忘れて、液晶が加水分解して伝導度が上がってしまったら、最悪でも上司に謝って怒られれることになるかもしれないけれど、イオン性不純物を混ぜる場合のような「余計なことをして」というさらなる怒りを買うことはない。

付け加えるなら、徐々に加水分解させていくのは、より安全に目的とする状態を作り出せる方法なのである。船田さんが認識していたように、シッフ塩系の物質は吸湿すると加水分解して電気伝導の向上を引き起こすイオン性の不純物が発生する。この場合は、劣化に従って伝導度は向上するので、蓋を開けた瓶からある時間間隔毎にセルを組み立てれば、系統的に伝導度の変化が生じたサンプルでの試験が行える。混ぜる濃度についてびくびくする必要はなく、時間毎にサンプルをとって、伝導度を測って、そのカーブから、目的とする伝導度になるまでの時間の予測もつくわけで、混合比を間違えた使えない試料ができる心配もなく、目的物を中間状態も含めて入手出来る、極めて合理的で効率的な実験の進め方なのである。

丁度良い状態になったところで、瓶の蓋をして、それ以上の劣化がないようにすれば、様々な試験に使える同一状態の目的の物質を手に入れることが出来る。そしてまた、論文にに書いてあることが正確ではなく、万一実験が上手く行かなかったとしても、ミスで失敗して材料を劣化させてしまったと謝れば、密かに試みた実験は闇に葬れるわけで、非常に考えられた、その時点で最善の手法なのである。

船田さん本人の記録では「失敗」は10月に、プロジェクトXによれば11月に起こっているのだけれど、この実験を行うのに必要な情報は5月中には揃っていたはずである。何故10月まで「失敗」が起きなかったのかについて妄想を積み上げるなら、船田さんが湿度と気温がある程度下がるまでは「失敗」を行わないようにしていたからではないかと思える。夏期の高湿度・高温の環境では劣化が早く進みすぎて試料が駄目になってしまう危険性がある。その点、湿度・温度ともに下がってくれば、劣化の進行が遅くなり劣化状況を見ながら最適状況を作り出すことが可能になり得る。プロジェクトの進捗も勘案に入れた最高のタイミングで行われた計画された「失敗」である可能性が高い。

結果的に実験は上手く行ったわけだけれども、報告時に船田さんは「瓶を閉め忘れた失敗」という言葉を使ったのではないかと思う。たとえ実験が上手く行ったとしても、意図的に蓋を開けておいたとは言いにくい。それは、勝手なことをする奴という評価も招いてしまう危険性があるからだ。その点、うっかりミスをしたのを上手く生かしたという話にしておけば、失敗は帳消しにしてもらえて、その方向で進むという話にスムーズに行くだろうと思う。このあたりから、失敗が産んだ発見という話が固定して、プロジェクトXで大々的に広まってしまったのではないだろうか。

個人的には、右も左も分からない新人が失敗をして、闇雲にやった実験が成功したなんていう話よりは、論文をきちんと読んでいた研究者が、自分のところでそれを再現するのに最適な方法を必死に考えて、そして、失敗を装う方法を考え出したという方が、はるかに心に響く物語である。上に書いたように状況証拠を重ねると、わざと失敗した可能性は結構ある気がする。船田さんと面識のある方が、これを読んでいたら、是非、ご本尊を正面から問い詰めてみて欲しい。


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by ZAM20F2 | 2015-12-31 10:39 | 液晶系 | Comments(0)

追記あり

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を読んでいたら、「液晶テレビにはイカから作った液晶が使われている」という都市伝説を完全には否定できなくなるような事実が記されていて……「イカと液晶」のエントリーに追記を加えました。
世の中、奥が深い……
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by ZAM20F2 | 2015-12-20 16:04 | 液晶系 | Comments(0)

謎のループ

昨日と同じ液晶中の析出物で、昨日の隣の場所は実に
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とループしている。角度を変えると
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なんだけれど、眺めていいるとループの部分は直線の下を通っているように見える。
不思議さはいろいろある。
一点目はループを描くこと。基本的に、アキラルなものにアキラルなものが混ざっているはずなので、本来ならまっすぐに針状にでも育って欲しいところだ。あえて、こんな感じで曲がる理由がない。背景が暗いからには液晶の配向も均一(で画面に対して垂直)で、液晶によって成長が規制されたはずもない。
それに、キラルな分子だったとしても、分子レベルでキラルなものは、大昔の立花太郎先生の仕事をみても、電顕レベルのねじれ構造になってしまいがちで、こんなにおおらかなカーブは描かないだろうと思う。
二点目の謎は、結び目がループの出発点と同じ場所になっていることで、これが偶然なのか、それとも何らかの必然があるのかは、まったく見当もついていない。

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by ZAM20F2 | 2015-06-22 22:29 | 液晶系 | Comments(0)

析出物周辺の液晶配向

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少し前の、しきその析出した液晶セル。左上から右下に伸びる線が中間だけ一寸明るくなっている。ステージを回転すると
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最初の写真では、変化が見られなかったところで明るさがぐっと変わっている。中心を走る結晶は、まっすぐ伸びているので均一なはず。だから、結晶の回りで液晶の配向が違っていると思うのだけれど、詳細不明。こんなものでも、しげしげと眺めるとよく分からないことが見つかる。
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by ZAM20F2 | 2015-06-21 20:07 | 液晶系 | Comments(0)

バニリン

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右下から左上へ偏光色の変化見本みたいな感じだ。
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by ZAM20F2 | 2015-05-21 21:21 | 液晶系 | Comments(0)

見えなくなるもの

少し前の「旧世代長作動対物レンズ」で、鏡筒長もカバーガラス厚も指定以外となる金属用長作動対物が液晶観察に普通に用いられる理由を少しばかり記した。
まあ、気がつかなければ平和かもしれないのだけれども、どこまで何が見えているのかは知っていた方が安心できる。
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は、等方相からコレステリック液晶が湧いているところ。160mm鏡筒に40倍の対物レンズをつけている。カバーガラスが上に1枚のった状態だ。
このサンプルが金属用40倍でどう見えるかというと、
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となる。大きさが小さくなっているのは鏡筒長210mm用の対物を160mm鏡筒長で使っているから。
コントラストは悪くなっているけれども、ほとんどの領域で、コレステリック由来の縞構造は見えている。とりあえず、ものごとを判断するのには、このぐらい写っていれば大丈夫な気がする。つづいて、上にスライドガラスを1枚重ねた状態。これが、ほぼ普通の液晶観察に対応する。
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この状態ではもはや真っ当に縞構造を見るのは困難になっている。対物のNAが0.5なので1ミクロン程度は分解できるはずなのだけれど、それが出来なくなっている。
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by ZAM20F2 | 2015-04-12 20:17 | 液晶系 | Comments(2)

非組織写真(1)

鋭敏色板入り。なんとなくきれいだなとシャッターを切ってしまったが、ながめながらどうしたものかと思案中
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by ZAM20F2 | 2015-01-26 22:40 | 液晶系 | Comments(0)

紙と液晶

身の回りにあふれている光は特別な偏光状態ではなく、「自然光」と呼ばれている。自然光で照らされた普通の画像にももちろん、特別な偏光はない。
このため、普通の画像の上に偏光板を乗っけると
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偏光板の透過率は40%程度以下なので(理想的には一方の偏光を通すので、50%だけれども、ロスがある)、偏光板の下の画像は暗くなる。偏光板を45度ずつ回していっても、
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画像の明るさに変化はない。
一方、液晶ディスプレイの上に偏光板を乗っけると
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何故か偏光板を載っけたところもあんまり暗くならない。これは、このディスプレイから出ている光が偏光であることを匂わせている。
偏光板を45度回転すると
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偏光板の下はだいぶ暗くなり、更に45度回転すると
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完全に暗くなる。確かに直線偏光であることが確かめられる。
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by ZAM20F2 | 2015-01-23 07:52 | 液晶系 | Comments(0)