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こいのぼりほか

那珂川のそばにはピラクルのぼりの他に鯉のぼりもあった。
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あ、でも手前の方は巨大ピラクルっぽい。
それから、ガロア虫もいるし
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サメにもさわれる。
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by zam20f2 | 2010-04-29 19:02 | 風景系 | Comments(0)

ピラクルのぼり

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那珂川の脇で、限定絶賛販売中。なかなかよいです。
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by zam20f2 | 2010-04-26 21:53 | 動物系 | Comments(0)

温度調整器 (自宅でできる液晶観察 8)

0.1℃単位での調整ができるコントローラはいくつかのメーカーから出ている。

ちなみに、
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by zam20f2 | 2010-04-25 16:02 | 科学系 | Comments(0)

抽象への飛翔

科学教育の議論において、体験はほぼ無条件に推奨すべき善なるものとされているように思う。 理科嫌いの議論においても、日常的な体験と科学を結びつけることの重要性がよく指摘される。

本当にそうだろうか。科学的な概念というのは、むしろ、個々の現象から切り離されて抽象化されることにより、一般性を得た理論となりうる物だ。理科と科学が別物だったら問題はないけれども、理科は科学につながる道だとしたら、いずれは具象から抽象へのステップを切らなければならない。

人間には発達段階がある。もちろん個人差もあるだろうけれども、順をおった論理的な思考が可能になったら、具象から抽象へのステップを切り初めてもいいはずだ。

うろ覚えの記憶だけれど、歴史は小学校高学年にならないと学習できないと聞いたことがある。逆に言うと、小学校高学年になれば、時系列にそった事象の流れ、因果関係が理解できるようになるということだと思う。というわけで、小学校高学年から中学校になったら、具体性を離れた科学の教育が始まって良いのだろうと思う。

「理科離れしているのは誰か」における河野氏の記述によると、中学校で理科がつまらなくなる理由が中学1年と2年で違いがあるという。中学1年では上位の理由としてあがっていない計算の存在が中学2年では割合を増すのである。計算とは数学的な過程である。ただし、理科で使われる数学は、すでに学習している内容である。ということは、計算があるから苦手ということは、具体的な物事を計算に持ち込む過程、すなわち、物事の抽象的・理論的理解の過程に困難があるように感じられる。

そういえば、数学も理科系とされる科目である。そして、数学においては、体験が数学の理解に必須であるという議論はされていないように思う。理科も事情は同じだ。博物学的な分野をのぞいては、理解の難しさには抽象化が関連しており、体験で解決できる問題ではない。

例えば、原子や分子、さらにはイオンなどという概念は日常的な直感から切り離されたところにある。実験を通してそれを直接触れることは容易ではない。しかし、日常をこえたこれらの概念から、射程の長い演繹によって日常の説明ができる。それが科学の醍醐味である。

小学校低学年やそれ以前における体験の重要さを決して否定する気はない。しかし、中学より高学年においては、単純に実験がとか、体験がといった言葉からは脱却した方が、問題点ははっきりするのではないだろうか。
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by zam20f2 | 2010-04-25 15:27 | 文系 | Comments(0)

偏光顕微鏡 (自宅でできる液晶観察 7)

液晶観察には偏光顕微鏡があることが望ましい。

とはいえ、
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by zam20f2 | 2010-04-24 21:06 | 科学系 | Comments(0)

ステージ工作(その2) (自宅でできる液晶観察 6)

先ず、図面に沿ってアルミ板に罫描き線を入れる。それから、切り取る部分は誤認しないように、マジックなどで印をつけておく。この板は出来上がり時には内部になって、ケガキ線は見えなくなるので、安心して書き込める。
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観察用の窓穴は大きい方が広い場所を観察できるのでよいのだけれど、窓の部分は液晶セルが金属と接触しないので、温度分布が生じてしまう。温度の均一性を確保したかったら、大きくしない方がよい。5倍の対物レンズで一度に観察できる視野は4~5mm程度であり、10倍なら2mm程度になる。従って、穴の大きさがこれより大きくないと、顕微鏡下で視野の一部しか液晶が見られない。一方、カバーガラスの厚さは1mm程度なので、穴の直径が厚み程度以上あると、中心部分の温度は周辺より低下するだろうという気分になる。でも、10倍対物なら視野一杯に液晶が見えてほしい。というわけで、日和見気分で3mmにしてみた。あまり根拠はない。まあ、穴が小さいなと思ったら、大きくはできる程度の小ささという感じである。

続いて
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by zam20f2 | 2010-04-23 22:12 | 科学系 | Comments(0)

ステージ工作(その1) (自宅でできる液晶観察 5)

ホットステージを作るために用意した部材は、厚さ3mmで約5cm×7cmのアルミ板3枚と厚さ1mmのアルミ板である。
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3mmのアルミ板は
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by zam20f2 | 2010-04-18 19:58 | 科学系 | Comments(0)

ヒーター (自宅でできる液晶観察 4)

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これが、半田ごて用のヒーターである。
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by zam20f2 | 2010-04-18 12:54 | 科学系 | Comments(0)

「子どもの論理」はあやまっているか

ネットをふらふらしていたら「なぜ、子どもは理科嫌いになるのか」というテキストに行き当たった。 2007年3月に立教大学で開催された立教大学理学部現代GP第2回枠ショップで山梨大学の松森先生により行われた基調講演である。
この講演録を見ていたら、子どもの論理という話がでてきた。「木が揺れると風が発生する」といった子どもの主張のまつわる論理である。因果関係が逆転したように思える主張に関して、子どもに理由を聞くと、1、無風状態で木が揺れるのが見える、2、木の揺れる音が聞こえる、3、風が感じられるという観察結果に基づく論理的な推論なのであるという。松森氏は、このような子どもの考えを非科学的として捨て去らせるのではなく、「少しずつでも非科学的なものから科学的なものへと再構成していこうという営み、これこそが理科教育が目指すべき方向性の一つである」と記している。

困ったことに、私にはこの「子どもの」論理のどこが科学的に間違っていて非科学的な部分を含んでいるのかがわからなかった。松村氏は、光と音と風の速度が異なることを認識していないことが、木が揺れて風が起こるという誤った論理展開を子どもがしてしまう原因なので、それぞれの速度が異なることを認識させれば正しい論理に行きつくような議論をしている。でも、その議論は誤っている。こんなことを記すと不思議がられるかもしれないが、木を扇風機に替えて考えると議論の誤りが明白になる。

扇風機が回るのが見え、音が聞こえ、そして風がやってくると、人は「扇風機が回ったから風が生じた」と考える。起こっていることは木の場合と同じなのに、異なる解釈をする。ところで、この時、実は扇風機はコンセントにつながっていなくて、外の風が扇風機を回しただけかもしれない。この場合は、風が吹いて扇風機が回ったが正しい解釈になる。

空想をたくましくすると、木だと思ったのは、実は木の形をした人工物で、葉っぱを同じ方向に動かして風を作る装置であるかもしれない。この場合は木が揺れて風が起きたが正しい解釈になる。遠目からは、ただの木なのか、人工風発生装置かの区別は困難であり、現物を確認しない限りどちらが正しいかは論理的には定まらない。

というわけで、大人が「子どもの論理」をその場で間違っていると感じるのは、単に日常的な経験から、その辺りに木の形をした風発生装置がおいてある可能性は極めて低いことを知っているからであって、論理的な帰結ではないのである。同時性という概念を持ちこんでも、扇風機の例を考えれば、論拠にならないことは明白である。論理的には、大人も子どもも同レベルにいる。

というわけで、松森先生は誤った論理で子どもを説得しようとしてる。論理的に誤った議論という意味で松森先生の論理性は子どもの論理よりも劣っている。おそらく、多くの子どもは速度の違いを持ち出した説明にだまされて納得してしまうだろうけれども、その納得はむしろ、自分の頭で考えることを放棄した非科学への道である。
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by zam20f2 | 2010-04-18 12:38 | 文系 | Comments(0)

ホットステージ(自宅でできる液晶観察3)


ホットステージは液晶試料を、室温以上の希望の温度に保持するための道具で、ステージ部分とコントローラ部分で構成される。

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by zam20f2 | 2010-04-17 20:20 | 科学系 | Comments(0)