<   2015年 02月 ( 23 )   > この月の画像一覧

蛙合戦状況

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福寿草の花もよく咲いていて、水面を見ると
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とカップルも成立している。出始めは昼間に近寄ると水中に潜ってしまうのだけれど、カップル成立ぐらいのタイミングになると、そちらが優先するのか油断が生じているようになる。
今年は、最初に出た後で気温が下がっていて、現時点では、今ひとつ合戦はたけなわじょうきょうではない。
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は出遅れている人。枯れ葉を身にまとって水に飛び込むので水面が葉っぱだらけになる。

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by ZAM20F2 | 2015-02-27 10:16 | 動物系 | Comments(0)

トンネルを掘る話(2)

丹那トンネルは東海道本線の箱根越。天下の険と謳われた箱根は鉄道路線にとっても大きな障害で、もともと東海道本線は国府津から山側に御殿場を経由して回っていた。御殿場線は勾配が大きく、そのために、タンデム式の蒸気機関車なども導入されていたはずだ。しかし、東海道本線の電化も行われ、ついにはトンネルを掘って輸送力の増強を目指すことになったわけだ。極東の島国では、それまでは何キロにも渡るようなトンネルを掘った経験はなく、丹那トンネルは、極東の島国の土木技術にとって、大きな経験となった工事であった。なにしろ、この時代の七つ道具といえば
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だったりする時代。安全対策も十分ではないので、
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工事では落盤で構内に閉じ込められる人がでたり、また無くなる方も出るような大事故も何度か発生している。
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また土圧でトンネルが狭まってしまうような初めて経験する困難がしょうじ
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賽の河原の石積みみたいな経験をすることになる。
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そうした中、困難な場所を抜けるのに側面から試掘を行って
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本道を完成させる工夫などが開発されていく。
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それにしても、丹那トンネルは地層が良くない。
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箱根火山のしたで、丹那盆地に蓄えられた水が断層の破砕隊のところで、
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トンネルから総て噴き出すような状態になる。
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全身ゴムずくめの服装で工事に励むことになるが
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油断をすると水圧で吹き飛ばされることになる
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そして、
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は戦中版という一コマ。
迂回路を作る以外にも
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なんて技術導入がアリ
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シールド工法も使われたり、出水を止めるのにトンネルの内圧を高くしたりと様々な工法が試され、そして、予定よりはるかに長い時間と出費を経て、ようやくトンネルは完成した。
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ところで、トンネルの工事中に関東大震災と北伊豆地震があった。関東大震災の時はトンネル内の揺れは外よりは少なかったという。そして、北伊豆地震の時にはトンネル内で2m程のずれが生じたという。
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今だったら、2mのずれが出てきたら、わらわらと地震学者が寄ってきて、それこそトンネル工事どころではない状況になっただろうと思う。それにしても、完成後ではなく工事中に地震があったのは幸いな事だと思う。完成後だと、タイミングによっては大惨事のはずだ。とはいえ、トンネル工事中にものすごい出水があったという話を読んだりすると、トンネル工事が地震を誘発したのではないかという気もしてしまう。
ところで、リニア新幹線は阿寺断層はかすらないけれども伊那谷断層はかするきがする。千年単位で動いていないので、運が良ければ工事中に地震の発生を見る事ができるかもしれない。



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by ZAM20F2 | 2015-02-26 22:00 | 科学系 | Comments(0)

トンネルを掘る話

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トンネルを掘る話は大島良吉の「山」という本から始まる。
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大島の本には十文字峠で病気の子供を背負った信州の人にあう話がある。
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信州の人なら千曲川を下って岩村田の方に下りそうなものだけれども、それよりは峠を越えて秩父に出る方が速いのだという。それでも、医者のいる町にでるのは大変な作業であった。
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日本のように山間部の多い地域では、山間部を越えての移動は大作業となる。特に雪が深い地域では冬は孤立する状況も出現していた。しかし、トンネルが出来ればそのような地域も他の地域との行き来が可能になるとトンネルの効用から話が始まっている。
その後、トンネルの歴史から、
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ノーベルによるダイナマイトの発明、
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それを使ってどのようにトンネルを掘っていくかなどの話が続いていく。
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ところで、この本をWebで検索すると、何故か宇宙航空研究開発機構のWebがヒットする。さわりだけを紹介すると

ISASメールマガジン   第317号       【 発行日- 10.10.19 】

「的川先生が、宇宙研内の研究者数人に若い頃読んだ本の中で印象深い本はどんなものだったかを聞いたところ、惑星科学系・探査工学系の研究者のかなりの人数の人(割合まではわからない)が、共通してあげた1冊の本があったという。有馬宏著の「トンネルを掘る話」という本である。昭和16年に岩波書店から出版されたもので、「小國民のために」というシリーズの中の1冊である。」

丹那トンネルの話は次回に。
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by ZAM20F2 | 2015-02-25 21:35 | 科学系 | Comments(0)

シーズン到来

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の人はしばらく前から顔をだしていたのだけれど、昨日の暖かさから出現するかなと思っていたら、夜には確かに歩きまわる人々が。
一夜明け、水面に枯れ葉が散乱して、昨日の朝より透明度が下がった水の中
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の人がいた。目を凝らすと底をのそりと動く人も(目では見えるんだけれど、写真をとると水面の反射でなにも見えなくなる。目はどんな画像処理をしているのだと不思議になってしまう)。
昨年は27日の夜だったので、4日ほど速いけれど、まあ誤差のうちという感じ。
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by ZAM20F2 | 2015-02-24 07:40 | 動物系 | Comments(0)

日本の稲(3) 少国民のために


その先で、いよいよ掛け合わせによる品種改良の話が始まる。
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ここらあたりは、メンデルの話とともに習った記憶はあのだけれども、本によれば一つの性質(たとえば寒冷地耐性)に関与する遺伝子が1個なら習った記憶のある教科書にあるような比較的単純な図でよいのだけれど、発現に複数の遺伝子が絡んでいる場合には、事態はもっと複雑になると言う。
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書かれているのを見てようやく納得するけれども、雑種1代ではだめで、2台目で希望のものが出てくることが図で示されている。さらに3種類以上の遺伝子が関係するものでは、さらに話が複雑になることが記されている。


稲の場合は自家受粉で、しかも開花が数時間しかないため、掛け合わせのために他家受粉をするのには、2種類の品種を同時に開花するように調整し、その上で一方の品種を処理して花粉を殺して(あるタイミングでお湯につけるらしい)自家受粉をしないようにした上で交配をする必要がある。
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この掛け合わせができるようになるためには、開花時期の調整要因が分からなければならないなど多くの科学的背景が必要となる。それが明らかになっていくのは昭和になってからで、それまでの品種が基本的に見いだされたものを純系にしていったものである理由も納得できるところだ。
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なお、掛け合わせた結果としていろいろな組み合わせのものができるので、その中から優れた物を純系淘汰して選抜していく。
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続いて、交配により生み出された品種の話がでてくる。まずでてくるのは陸羽132号でこれは愛国から純系淘汰で作られた陸羽20号と亀の尾の掛け合わせである。

亀の尾は今でこそ、酒造米として復活を果たしたが、かつての優良品種で、酒造米としてだけでなく、食用米としてもよい食味を持っているという。
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陸羽132号と森多早稲を併せてできたのが農林1号でこれは、日本の米作りを安定させるのに大いに役立った品種だそうだ。この品種は新潟で作られたものだが、その背景には、秋に信濃川の氾濫があると刈り取りまえ田が水に浸かり、収穫が望めなくなる一方で、氾濫前に刈り取りができる早稲では生育期間が短いために晩稲に対して収量が上がらないという問題があり、農家はばくち的に晩稲の栽培をしていた。そこで、収量もよく食味もよい早稲的な品種をつくるべく、亀の尾の血を引いて食味がよく、冷害にも強い陸羽132号と早稲として収量の多い森多早稲を掛け合わせる事としたらしい。

農林1号の開発者は、その後に子どもを残して死んでしまうのだけれど、農林1号のおかげで安定した米作ができるようになった農家から子どもの奨学資金の寄付が集められたそうだ。

農林1号と農林22号の掛け合わせから生まれた品種の農林100号がある。また、同じ組み合わせから生まれた奥羽224号と東北54号の掛け合わせが農林150号である。農林100号と150号と言われてもぴんとこないだろうと思うけれど、コシヒカリとササニシキと言えば、農林1号のすごさが伝わるのではないかと思う。


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by ZAM20F2 | 2015-02-22 17:56 | 科学系 | Comments(0)

日本の稲(2) 少国民のために

承前
北海道の稲前線の北上に続いて、その人為的な改良につながる話が出てくる。その前提となるのは、稲の故郷と日本への伝来の話で、そこでまず出てくるのはパヴィロフの遺伝子中心説。
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優性遺伝子のバリエーションが多いところが原産地であるという話だ。
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突然変異により優性遺伝が劣勢になることはあっても、劣勢が優性になることは遙かに頻度が少ないらしく、優性遺伝が多いほど(違う気候に適用するように変異していないので)原産地であるという考えらしいのだけれど、個人的には、品種の種類が多いところが原産地と思いこんでいたのだけれど、もっと厳密な話であったのかと認識を改めた。

日本への稲の到来については、稲の中には日照の長さに敏感なものと鈍感なものがあるという話などから、日本の稲は南方系ではないかという説が示されている。
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このあたり、知らなかった知識ばかりだ。
そして、いよいよ品種改良の話。
最初の品種改良として純系淘汰という話が出てくる。それと併せて稲が自家受粉の植物であることが書かれていた。これもまっとうには認識していなかった点だ。そもそも、自家受粉と他家受粉の植物があること自体、どこかで聞いたことはあるけれども、それが具体的に植物の育成にどのように絡んでいくという認識は明白にはなかった。それ以前になぜ、自家受粉(これは、周りに同種の植物がいない環境では必須の手法である気がする)と他家受粉の植物が分かれていったのかは、新たな疑問として頭に引っかかっている。

純系淘汰は、元となるものの中に内在している遺伝子の組み合わせから優れた組み合わせのものをより抜いていく手法である。
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このため、この方法による改良が進むと、それ以上の改善は見込めない状態へと飽和していく。
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ちなみに、自家受粉の植物はこの手法で問題を起こさないが、他家受粉の植物は純系にし過ぎると障碍を起こすらしい。その一歩手前ぐらいで止めておいて、もう一つの同じようにした相手と他家受粉をさせると、たちのよい合いの子ができるという。その合いの子は混合した遺伝子を持っているので、その子孫では様々な組み合わせができてしまう。よい性質を安定して示すのは一代限りなのだ。これはF1としてトウモロコシなどで使われる手法として知っていたことなのだけれど、背景にこんな話があるなんて認識しておらず、このあたりも持ち合わせていた知識の不十分さを感じさせたところだ。
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話はずれるけれど、最近のトウモロコシ、甘くて美味しいけれど、醤油をつけて焼くのには昔のべっちゃりした方が香ばしくて美味しくなった気がする。

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by ZAM20F2 | 2015-02-21 21:48 | 科学系 | Comments(0)

日本の稲(1)  少国民のために

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著者の松尾孝嶺氏は稲の神さまとも言われた稲の権威。このシリーズのご多分に漏れず分野の第一人者を引っ張ってきている。前書きによれば松尾が示したあらすじに従って編集部が原稿を作って本にしていったらしい。編集部が随分と仕事をしているのもシリーズに共通の特徴だ。

この本を取り寄せたのは、戦後に新しく発行されたシリーズの本が線前版と作り方が変わったのかなどを知りたかったためだ。日本の古本屋をあさって見つかった中で値段もタイトルも手頃な一冊という理由であった。
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そんな、かなり適当な理由で選択された本なのだけれども、読んで自分の生物学と、主食としている穀物に対する知識のなさを実感させられた。

一応、高校までは生物の授業を受けていたはずなのだけれども、こんなにも暮らしを支えている植物の品種改良の歴史と、その後ろにある生物学的知識の持ち合わせがなかったのだろうというのが読み終わった後の実感だった。

たぶん、高校までで受けてきた生物の教育は、そんなに劣ったものではないだろうと思うので(まあ、私個人がまともに話を聞いていなかった可能性は高いが)、私の知識はこの国の大人の平均からそれほど低いとはおもえない。最近ではウィルス性の疾患や、遺伝子組み替えなど生物学的なことがニュースが飛び交うことが多いのだけれども、私も含めて多くの人々が、それらのニュースの科学的な意味を理解することなく流しているというのは、あまり真っ当とは言えない状況だ。現在の学校の生物学の教育課程では、これらの理解が可能となるような内容を教えているのだろうかと、ふと疑問になってしまった。

さて、本に戻ろう。本はイネのふるさとという章で始まる。
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熱帯原産であることが紹介された後、何度も冷害による凶作が生じたことが出てくる。
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明治以降をとっても、随分と大変なことがあったが、明治以前には藩毎に凶作の対処をしなければならないので、東北の藩によっては多くの餓死者が出たとの話がある。
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もっとも、昭和の戦後でも、凶作の時に農家が子供を売る(この本が出た当時は赤線はまだ存在していたはずだ)という話が出てくる。


冷害によるイネの凶作が何故起きるかについて昭和9年の東北の冷害が契機になって、東京にあった農林省農業技術研究所に冷害実験室が出来て研究が行われた。イネの花は自家受粉で開花時間は2時間程度しかない。さて、花が咲くまでのイネを色々な時期に低温にして実りを調べた結果穂が出る二十四日ほど前と十日ほど前が重要なタイミングで、二十四日前に低温にあうと籾の成長が邪魔され、十日前だと花粉が生育できず実りが悪くなることが明らかにされた。
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冷害による凶作を防ぐために数多くの努力がなされてきた。その出発点の一つは北海道における米作りで、北海道における米作りは1680年代に函館付近で、津軽で作られていた「しろひげ」と「地米」の栽培が試みられたのが、満足な実りは得られなかった。それでも幕末には5~600ヘクタールの水田があったらしい。なお北海道では苗代を作って田植えをすると、その時にイネの根が切れて成長が一端停止し、そのために開花時期が遅れて寒冷な気候に弱くなるために、直まきで行うことが明治の末期に発見され、北海道の稲作がより安定するようになったらしい。
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明治期になり札幌周辺での米作が試みられるようになった時、ほとんど総ての農家がまともな収穫を得られなかった中で、一件だけ本州なみの収穫を上げた農家があった。この農家では、実は1860年代に起こった凶作の時に実を結んだしろひげの変種である「あかげ」を使っていたのであった。
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さらに明治27年の凶作時にあかげの中から、さらに耐寒性のすぐれた「ぼうず」が発見され、旭川まで米作が拡げられるようになっていった。

その後は人為的に新品種の開発が進められ、大正12年に「はしりぼうず」が開発され、十勝や北見まで米作ラインが拡がり昭和15年の農林11号でほぼ全北海道での米作が可能となった。
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(以下続く)

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by ZAM20F2 | 2015-02-19 21:07 | 科学系 | Comments(0)

消された過去:地図の話

地図の話の戦後改訂版を入手したのは、戦中版の最後の航空写真のところが、戦後にどれだけ発展しているのかを知りたかったためだ。現在では地図は現地の測量などはせずに航空写真で等高線や道を拾っていると思う。
そのためか、等高線にほぼ水平に流れているはずの農業用水が、植林境界と誤認されて、等高線を登るようになっているところのある地図が出来たりするのだけれど、でも、戦前の地図にあったらしい想像で書いた山の裏側の地形なんていうのは無くなっていると思う。
閑話休題
戦後改訂版を入手してわかったことは、航空写真に関する部分は写真の差し替え以外には特段の内容の変化がないということだった。
戦中版で使われていたのは
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というもので、それが戦後改訂版では
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になっている。
戦中版で国内ではない場所が選ばれていることも、戦後改訂版では国内の写真になっていることも納得できる。敗戦までは、日本国内の航空写真などというものは、国防上の重要情報であり、国内向けの子ども向けの本といえども使うわけにはいかなかっただろうと思う。当然、日本軍が展開して占領していた地域の航空写真も使えない。というわけで、日本軍が攻撃をして写真撮影はしたけれども占領していない場所の写真が選ばれたのだろうと思う。
一方、この写真が戦後に使えないのは自明のことである。それゆえ、この変更については、当然のことだろうと感じた。
しかし、本のはしがきを見た時には非常な違和感があった。戦中版の前書きは
「支那事変、第二次欧州大戦、わけても大東亜戦争がはじまって以来、人々は一日として地図を見ないで過ごす日はないであろう。地図無しには、毎日発展している戦況を充分に理解することは出来ない。」と始まるのに対して、戦後改訂版のはしがきは「私のつとめている役所の仕事の中に地図を作る作業がある。印刷室にすえてあるたくさんの輪転機からは、いついってみても一分間に五十枚くらいの早さでいろいろの地図が印刷されて流れ出している。いったいこんなにたくさんの地図がどうして入用なのかと思われるくらいであるが、この印刷された地図はどんどん送り出されて需用者の手にわたっていくので輪転機を休ませるひまはなかなかないのである。-中略- またわたしは若い人々がほんの一日のハイキングのために地図をかこんで楽しそうにあれこれとはなしあっているのをしばしば見たことがある。」と戦争とは無縁の流れになっている。そして、それにも係わらず端書きの日付は昭和17年3月と戦中版初版の年月日になっているのである。そして、その後に昭和27年6月の日付で「 なお、この「地図の話」に多くの材料を提供してくれた陸地測量部は昭和二十年終戦後まもなく廃止され、あらたに地理調査所がもうけられて測量部の仕事を受け継いでいくことになった。-後略-」と付け足されている。

この日付はないだろうと思って、戦後に最初に発行された版ではどうなっているのを知りたくなって、その版も取り寄せることになってしまった。わかったことは、写真はすでに名古屋に変更になっている。そしてはしがきの内容も戦後改訂版と実質的に同じになっている。ただし、日付は昭和22年8月になっている。これなら納得できる日付だ。
それにしても戦後改訂版のはしがきの日付は狡いと思う。戦後の最初の版のように昭和22年にするか、改訂版はしがきとして昭和27年の日付にすべきものだ。写真の差し替えにはまったく文句はないけれども、はしがきの日付を含めた変更には文句がある。そして、これは著者だけの責任ではなく編集部が体をはってでも防がなければならなかったはずのことだ。さすがに、戦後改訂版がでた戦中版の他の本がどうなっているかを確認する気力はないのだけれども、編集部の仕事として、これはダメダメだ。

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by ZAM20F2 | 2015-02-17 21:39 | 文系 | Comments(0)

地圖の話 少國民のために

地図の話の著者である武藤勝彦は戦前に陸軍測地部に所属し、戦後は国土地理院に移り、国土地理院の院長を務めた人物である。海流の話の日高も潮目の話の宇田も海洋学会の会長を務めた人物であるし、それ以外の本を見ても、その道の大家が関わっている。これは、今ではあまり考えられないことである気がする。
ところで、武藤が陸軍測地部に所属したのは、測地部が測量の近代化を目指して東大の物理に相談したときに、長岡と寺田から推薦されたためであったらしい。そして、宇田については寅彦門下の歌人であったらしく、また、中谷は言うまでもなく寅彦門下である。こうしてみると、これらの子供向けの本格的科学本の後ろに寺田寅彦が見え隠れする。

さて、地図の話であるが、ここでは戦中、戦後の版を織り交ぜて内容の紹介を行おうと思う。両者間での内容の変更はほとんどない。本は先ず宝島の話から始まる。
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そして、地図を理解できなかったら、宝島の話も破綻を生じてしまうであるということから地図へと話が進んで行く。
とはいえ、まっすぐに地図に移るのではなく、まず地球がどのようなものであったと思われていたかとか、どうやって地球の大きさを測ったのかという歴史的な話が続いている。
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その中には地球が赤道が膨らんだ楕円体であると理論的に導いたニュートンと、実際の測定から逆の結果を出していたカシニ父子の話なども含まれている。なぜこんな話が入っているかといえば、地球の形により、地図の座標位置の違いなどが生じてしまうからである。
それに引き続いて長さの単位の話が出て来る。ここで、前段の話を受けて地球が回転楕円体であるために、ある緯度の間隔の長さを測っただけではだめで、最低限2つのことなる緯度の地域で長さを測らなければならない説明が行われている。
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そして、本の執筆時では標準尺がカドミウムの発光から決まるという話へと続いていく。
ここまででは、実際の地図には直接に関係ない話であったが、ここから地図の歴史ということで、未開人、古代の地図へと続いていく。
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もちろん、日本の地図、特に推歩先生の事も忘れられていない。

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ここまでが第一部の概要である。

本は第二部になり、ようやく地図作りの実際に入っていく。とは言え、最初から本格地図ではなく、「学校からうちまでの地図」というタイトルで導線法による地図作製の話を始め、川の向こう岸までの距離を測るのには歩数を数える訳にはいかないので、三角形の相似を使った方法が必要であるとして、三角測量へと進んで行く。
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三角測量についても、単に手法を示すのではなく、そのやり方の変遷を示し、ガウス(あの数学者のらしい)がそれまで教会の尖塔を目印にしていたのを、太陽光の反射を使うヘリオトープを発明して革新をもたらしたという話が出て来る。
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それから、三角点の紹介に移り、全国三角網なんて図もでてくるのだけれど、驚くべき事にここには北海道が出てこない。
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ということは、どうも、昭和16年ごろには北海道はまともに測量されていなかったということになるわけだけれども……本当だろうか(不思議なのは戦後にでた改訂版でも北海道が欠如していることだ。)

三角測量だけでは、それが地球のどこにいるかは決定できない。そこで、天体測量が必要になる。というわけで、続いて天体測量により緯度と経度を決定する手法が述べられている。
そしてまた、三角測量だけでは、元となる長さが無い限りは縮尺を決められない。その元となる基線測量の話がつづいて出て来る。

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これを見ると、ある時代までの地図は明治15年に作られた相模野基線から始まったことが記してある。
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これは神奈川県の下溝村と座間村の間の5210mの線でここをまっすぐな基線路を作り、エーデリン尺というインバー(鉄とニッケルの合金。熱膨張係数がすごく小さい)の針金で測っていくという手法が紹介されている。ちなみに、このような測定で基線全長に対して、誤差1/100万(ということは6桁だ)しか許されていないそうだ。

ちなみに基線は全国で20本作られているそうで、これは、三角測量の角度誤差で長さが狂っていくのを防ぐためであるそうだ。

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三角点には一等、二等、三等がある。それらの三角点の場所をどのように決めるかの話があり、それには長期にわたる幕営生活を要求される。

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測夫とともの作業が測夫への感謝とともに記されている。

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三角測量に続いて水準測量となる。
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水準器といった機器の紹介もあるけれども、海抜0mを決めるところから験潮所の話も紹介されている。

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最後の仕上げの部分では投影法の紹介と、さらに地形測量の話が出て来る。
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三角測量だけで、道路などが書き込めるはずがなく不思議だったのだけれども、地図の骨組みが出たところで、簡易的な測量道具を持って現場に行って目立つポイントを図に書き込んで行くのだ。ここで使われる簡易的な道具は照準儀と呼ばれるもので、これは、このWebでだいぶ前に出した簡易測猟具そのものだ。
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この本によって、ようやく持っているものの素性と用途が明らかになった次第。照準儀の測量では導線法と交会法が使われるとのこと。さらに水田、桑畑などといった各種記号の紹介や等高線の意味合いが記してある。
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最後の章では写真測量についての紹介がある。戦前の版にすでに写真測量の話があり、戦後の改訂版で、そこの部分が詳しくなったのではないかと期待していたのだけれども、ほとんど変わっていない。


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by ZAM20F2 | 2015-02-16 21:48 | 科学系 | Comments(0)

表紙イラストの変遷(少国民のために)

岩波から出ていた少国民のためには戦前から1970年頃まで継続したシリーズであるが、発行時期によって本の作りが大きく3種類に分けられる。最初のものは戦中に発行されたもので、ハードカバー、箱があったかは不明。2番目のものは戦後の早い時期に発行されたもので、ソフトカバーで紙質は3種類の中でもっとも悪い。本文は旧字旧かなのままになっている。内容に関しては、戦争に係わるような部分の改訂が行われている。第3期は1951年からで、戦後の新シリーズが発行されるとともに、それまでのものも新字新かなに改められている。また、箱が付いている。
本文とともに、表紙のデザインが微妙に変化している。地図の話を例に変化を見ていこう。
シリーズ共通の表紙真ん中のイラストは戦中版では
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なのが戦後最初の版では
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となって、最後の版では
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となる。最初の二つは押しがあってイラストの周囲に段がついているのだけれど、最後のシリーズでは段差は無く、代わりに黒いラインが入っている。続いて、上のイラスト部分。まず戦中版は
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と、表紙上イラストの右端はどうみても戦闘爆撃機だ。これが戦後の最初の版になると、
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と爆撃機は謎の飛行機になる。そして、戦後の最後のシリーズでは、
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とだいぶ近代的な感じになっている。同様に、下側のイラストも、戦中版の
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から、戦後最初の
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から、最後の
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と変わっていく。


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by ZAM20F2 | 2015-02-15 10:46 | 科学系 | Comments(0)