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バラじゃない

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立派なトゲのある枝。バラのようだけれど、枝の先のぶら下がっているのは
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なもの。こちらもナス科らしいのだけれど、トゲはない。

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# by ZAM20F2 | 2019-08-25 18:16 | 植物系 | Comments(0)

大夫成長

7月17日のエントリーに人と同じではないと思うのだけれども、雨上がりの石の上に大夫成長した人がいた。
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カメラ近づけると逃げる逃げる。画面の中に中々入ってこないのだけれど、塀のわきにいってようやく立ち止まってくれた。
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一月前に比べると、一回りは大きくなって、体型もだいぶんと大人っぽくなっている気がする。
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# by ZAM20F2 | 2019-08-23 05:21 | 動物系 | Comments(0)

グリセリン上のネマチック(その3)

グリセリンの上に液晶を滴下してから随分と時間が経っているとはいえ、文様は刻々と変化していく。写真は1枚目と同じ場所。
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# by ZAM20F2 | 2019-08-22 05:19 | 液晶系 | Comments(0)

グリセリン上のネマチック

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こちらもグリセリン上のネマチック相。
デモのテスト用に準備していたのが綺麗だったので思わずついているカメラで撮影していたものの1枚。

# by ZAM20F2 | 2019-08-21 05:50 | 液晶系 | Comments(0)

グリセリン上のネマチック

グリセリンの液滴上にネマチック液晶をたらすと綺麗な模様がうごめいて見える。それはそれで楽しいのだけれど、写真は、それから小一時間たって、動きがあまりなくなった後。
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真中少し右に強度1の転傾があるのだけれど、転傾の周りで色が変化している。
液晶分子の長軸の向きは空気界面側は界面に垂直、グリセリンとの界面は平行に近いと思うのだけれど、それで、転傾を挟んで色が派手に変わるとなると、転傾がらみで、配向が違っているように思える。
前の結晶の写真と同じで、ぼーっと眺めていたのでステージを回したりしていないのが残念なところ。

# by ZAM20F2 | 2019-08-19 05:44 | 液晶系 | Comments(0)

安息香酸コレステロール:結晶 その他

複屈折物質の偏光着色は、着色の前に、まず全体が明るくなる。
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色が出ていないので、鮮やかさはないけれども、形態としては面白い気がする。
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こちらもあんまり色がないのだけれども、紫っぽいところがあるので、全体としては、それなりの厚みがあって、でも、厚み方向で軸が違っていて同じ色になっていない気がする。全体に結晶が均一に育っていないわけだけれども、どうすると功成るのかはよく分からない。
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こちらの上の暗い領域は、光学軸が偏光子と同じ(か直交)方位になっているために、暗くなっているはず。暗い領域に出現した安定相と思われる結晶は方位が異なって育っているので、透過光が見られている。真中右下の丸く暗い領域は気泡だと思う。おそらくは、高温側のSm相内で既に丸い気泡になっていたために、結晶時にも丸い形状を保っている。
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こちらも、そこそこ薄い領域。ただ、着色部分と非着色部分で、厚みが違うのか、別の理由で色が違っているのかはこの写真からだけでは判断しにくいと思う。ぼーっと写真を撮っていて、ステージを回転したりしていないのは反省点だ。

# by ZAM20F2 | 2019-08-17 11:38 | Comments(0)

結晶多形

安息香酸コレステロールの色つき結晶を眺めるには、プレパラートを百数十℃に暖めた上に粉を載せて溶かして、上にカバーガラスを置いて、適当に冷却すればよい。
ただ、このプレパラート、長時間(数ヶ月から年単位)放置していると、色つき結晶の中に、見た目が鮮やかではない領域が出現してくる。
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おそらく、複数の結晶形があって、冷却で出現しているのは準安定相で、じわじわと出てくるのが安定相なのだろうと思う。
安息香酸コレステロールは、高温側から等方相-ブルー相-コレステリック相-スメクチックA相-結晶相なのだけれど、スメクチックA相では分子が平行に並んだ形状なので、それに引っ張られて最初に出現する結晶相が準安定相になるのかなぁなどと思っている。
これを書きながら、写真のようなプレパラートを昇温過程で観察したら、融解温度が異なっているのが見られるかなぁなどと思案中。
# by ZAM20F2 | 2019-08-14 08:28 | 液晶系 | Comments(0)

安息香酸コレステロール:結晶

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安息香酸コレステロールは、流れる結晶が見いだされた物質の一つだけれど、この写真は結晶状態。
液晶では、文様の境界がなめらかな線になるのが普通だけれど、結晶だとぎざぎざしている。
右半分が、オレンジ系から水色系に連続して色が変わっているのは、試料の厚みが水色に向けて厚くなっているんだろうなぁと推測できるのだけれども、左側で水色とか黄色が入り乱れているあたりは、そんな急激に、そして不均一に厚みが変わっている理由はありそうになく、何がおこっているのか謎のところだ。
こんな感じの文様、見慣れているはずなのに、改めて注意してみると、説明できない部分が見つかったりする。油断がならない。

# by ZAM20F2 | 2019-08-12 09:10 | 液晶系 | Comments(0)

コレステリック 指紋状組織

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いわゆる指紋状組織なんだけれども、やたら丸まっている部分が多いのが面白い。
# by ZAM20F2 | 2019-08-11 09:01 | 液晶系 | Comments(0)

なすがまま

植木鉢で育てている茄子、ちょびちょびと水と肥料はやっているけれども、あとの面倒は見ずになすがまま。
葉っぱに虫食いの跡があるけれども、芋虫の人はいないなぁなどと思っていたのだけれど、芋虫の人ではなく、円偏光を反射していそうな人が食事をしているのに行き会った。
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それにしても、ナスの害虫を調べても、円偏光を反射する人は上がってこないのだけれども、他の葉っぱが食べられているのも、この人達の仕業なのだろうか?
# by ZAM20F2 | 2019-08-09 06:14 | 動物系 | Comments(0)

コストダウン……

アレンキー(六角レンチ)は方向不明になりやすい。使ったら、すぐにセットに戻さないとあっという間に方向不明になる。よく使うやつほど持ち出す頻度も高いので、すぐに行方不明になる。

というわけで、方向不明になったアレンキー、何年も使っていたあたりを気にしていても見つからないので、同じメーカーの単品を売っているのを発見して取り寄せた。
そして、マーフィーの法則が発動して、方向不明の物が数年の時を経て発見されてしまった。

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梨地仕上げの方が、取り寄せた品。もう少し拡大すると
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と刻印されていた銘柄が、安っぽい印刷になっている。なんか、梨地も安っぽく見えてしまう。
# by ZAM20F2 | 2019-08-07 05:59 | 物系 | Comments(0)

責任者

このブログ、幾つかのエントリーは継続的にアクセスがある。
一つはカッターナイフの安全に関するもの、それから、プリズムの分光の作図に関するもの、そして、イカと液晶の関係に関するもの。
イカと液晶については、話の出所として、足立さんの本を上げていたのだけれど、足立さんの本の話は、コレステリック液晶を使ったいわゆるTN液晶とは異なる新原理の液晶の話だった。
イカと液晶の話を方々でしていたら、大昔のパソコン雑誌で見たことがあるという人が現物を持ってきてくれた。
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1989年なので、足立さんの本よりは後だけれども、足立さんの本と違って、パソコン少年の目に触れる機会は多かっただろうと思う。
ディスプレイの不思議という特集記事の表紙に、イカが使われているあたりから、なんとなく内容が想像できるのだけれど、本文を見ると
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とまだまだ液晶ディスプレイが一般的でないことが分かるけれども、記事の見出しが「液晶はイカでできている!?」と、なかなかとんでもないものになっている。少し下を見ると
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という具合で、液晶ディスプレイに化学合成された物質が使われるようにはなったけれど、それ以前はイカが使われていたと理解できる作りになっている。
対象はTN液晶なので、このあたりが、普通の液晶ディスプレイにイカが使われているという話の起源かもしれない。

# by ZAM20F2 | 2019-08-04 07:48 | 液晶系 | Comments(0)

何かが違う

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こんな本のパラグラフライティングの章を新西蘭で高校教育を受けた人に見せたら、懐かしがっていた。パラグラフの最初の文で、そのパラグラフの内容をキッチリと表記して、それ以降の文章で内容を展開していけという話なんだけれども、新西蘭では高等学校の作文で、この書き方をたたき込まれるのだそうだ。そんなこと言っても文学作品なんかは違うんじゃないと尋ねたら、文学作品は違うけれども、文学作品を批評する文は、キッチリと書かないと大幅減点になるのだそうだ。

そんな話を聞いてしばらくたった後で、独逸系の企業で働いている人と話していたら、向こうが求めるレポートの作法が極東の島国の普通のスタイルと違っていて、意思の疎通がスムーズじゃない面があるなんて話が出てきた。先方は、パラグラフの組み立てが新西蘭と同じスタイルで、まず結論ありきでその後に説明が来る。それに対して極東の島国の小父さんが書く物はダラダラしているという話らしい。

そんな事も頭にあって、思わず買込んだ本。
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パラグラフライティングを主張しているのだけれども、上の本とは何かが違う……

どうも、こちらの本のパラグラフライティングの目的は「論理的な文章を書くこと」なんだけれども、上の本の目的は「読者に伝わる文書を書くこと」でその手段としてパラグラフの構成があるという作りになっている。両方の本で段落の最初の文章に主題を書くといった手法は同じなのだけれども、その背景にある思想が、根本的に違っている。上の本では、科学技術文書について、決定権のある多忙な管理職は文書をきちんと読んでる時間がないから、ザックリと目を通せる文書にすると、読んでもらえて影響力が出るよねとか、マニュアルなんかは、読者がすぐに必要とする情報を見つけて、内容を理解できるようにする必要があるよねと言った、わかりやすい文書を書く必要性が示されていて、その上で、分かりやすく書くことには努力が必要だけれども、やる価値があるんだという説明が続く。そして、

基本原理
読者にとって新しい情報を、読者が既に知っている情報の枠組みに付け加えよ。

という文言があり、パラグラフの構成へと続いていく。

上の本、文法に関する部分も、Nativeの感覚での説明があり、読み返す度に、へえと思うところがある。



# by ZAM20F2 | 2019-07-28 11:23 | 文系 | Comments(0)

もじゃらない

あんぱち屋さんの一つが閉店した。
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伝え聞く話によると店主が亡くなったらしい。
この建物、毎年蔦が青々と茂り、もじゃハウスだったのだけれど、今年は今頃になっても
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なまま。
どうしちゃったんだろう。


# by ZAM20F2 | 2019-07-25 05:57 | 街角系 | Comments(0)

カボ夫婦

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カボ夫婦を眺めて、思わずミレーの晩鐘だと思ったのは内緒だ。

# by ZAM20F2 | 2019-07-23 05:47 | 植物系 | Comments(0)

写っていればよい

しばらく前の散歩の一コマ
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今頃になって出すのは、同じあたりをフィルムカメラで撮影したのがようやく取り終わって現像したから。
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フィルムカメラからデジタルカメラに変わってからレンズの巨大化が著しい。撮像面になるべく垂直に入射させたいという事情に加えて、レンズ設計に使える計算能力が向上したこともあるのだろうけれども、画面上での等倍確認なんてやらないし、最終うちだしサイズがポストカードであることがほとんどの身としては、過剰スペックだよなぁなどと感じてしまう。
細部、写っているに越したことはないけれども、それ以前に写っている写真が存在するほうが重要。レンズ、ほどほどのサイズの方が好きだ。
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こちらもフィルムカメラに50年近い昔の設計のレンズ。最新のレンズと高画素機の組み合わせに比べれば、細部はぼろぼろ何だろうと思うけれども、これで十二分と感じている。

# by ZAM20F2 | 2019-07-21 10:22 | フィルム | Comments(0)

百害あって一利なし

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施主さんには悪いんだけれども、この看板見た瞬間に、この会社ダメだなと思ってしまった。
よくもまあ、これだけ無意味な事柄を看板にして、人目につくところにぶら下げておける物だ。

こんな事を書くと、「施主様に感謝を込めて、そして現場に敬意を払う姿勢の何が悪い」などと言われてしまいそうなんだけれど、理系的感覚から言えば、きちっとした仕事をしてくれるのが一番よいので、そのために、余計なことは、なるべく減らすべきなのである。こんな事に手間をかけて気を使っている暇があったら、その分の注意力や気力を作業に向けるのが正しい姿勢で、その足を引っ張るような、こんな看板で要求される動作はうち捨てた方がよい。

などと書くと、さらに「きちんとした仕事をするためには、対象に敬意をもって、また感謝の念をもって行う必要があるのを知らないのか。宮大工だって、現場に入るときには一礼している(多分)」などと行った精神論を振回されそうなんだけれど、そういう心持は強制されてやる物ではないわけで、心持がないのに強制されてやっている場合には、上に記したように、能率の低下は引き起しても良いことは何にもない。

それに、この会社の作業者が全員、きちんとした心持を持っているなら、上のような看板は無用。それなのに、看板があると言うことは、看板の内容が、この会社の作業員が持ち合せていないものであるか、さもなければ、会社として、施主に気を使っていることをアピールしたいためかのどちらかとなる。前者だと、そんな作業員を使っている会社を疑う話だし、後者だとすると、会社の根本姿勢を疑う話だ。いずれにせよ、ろくな会社ではないという結論となってしまう。

もうさ、こういう過剰な礼儀的慣行は止めた方が良い。世の中をがんじがらめにして、効率を下げる一方だ。こんなの掲げて満足するのは、大変に無能な経営者だけだ。
# by ZAM20F2 | 2019-07-19 06:40 | 文系 | Comments(1)

成長中

一月半ほど前に上陸をはたした人々の中の一人。水場から随分離れた場所を歩いていた。
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尻尾の生えていた頃の色は残っておらず、一人前の顔をしている。
でも、大きさは、まだまだ尻尾の時代から、あまり変わっていない。
# by ZAM20F2 | 2019-07-17 07:26 | 動物系 | Comments(0)

ここは何処??

知り合いの展覧会を見に久しぶりの駅に降り立った。駅前に闇市跡が残っていて、川魚屋さんなんかがあった庶民的な町だったんだけれど、路線が地下化されて再開発が進んでいるとは聞いていたのだけれど、降り立ってみて途方にくれてしまった。駅前のスーパーだけは見覚えがあるんだけれど、他に見覚えのあるものなし。思わず、昔に駅前にあって、その後、ちょっと場所を移した寿司屋さんを探すもそこも方向不明。
展覧会は楽しかったのだけれど、その後、街を歩いても見覚えのあるものはない。しょうがないから、親戚の家にいく途中にあったお社で一休みしようと、記憶に頼りにいったのだけれど。
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えっと……
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なくなっている。いくらなんでも神社仏閣が消滅するのはインパクトがありすぎる。なんか、この街、終わってしまいそうな気がしてきた。
帰って調べてみると、お社ではなくお寺だったらしいのだけれど、確かになくなって、一部で話題にもなっていた。

# by ZAM20F2 | 2019-07-15 05:43 | 街角系 | Comments(0)

見ている

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見ている人を見ていたら、
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睨まれてしまった。
# by ZAM20F2 | 2019-07-13 05:27 | 動物系 | Comments(0)

標識2つ

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こちら、前にだしたことがあると思うけれども、道路面に平行な標識。敷地内に入るのを避ける為に道路側に張り出しているので、車にぶつかって横向きになるのだろうと思う。
ただ、その後、敷地内方向が出っ張るように変更されていて、最近は正しい方向を向いている。
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こちらは、どうやら、車と喧嘩した模様。
このタイプの交通標識、共鳴周波数は人の手で揺すれる程度にある。その周波数で揺すってやると結構大きく揺れて、このまま頑張れば根元からおれるのではという気にもなるのだけれど、さすがに試したことはない。
# by ZAM20F2 | 2019-07-11 07:16 | 街角系 | Comments(0)

今昔(II)

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これが日常の風景だったはずなんだけれど、

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非日常的な壁になってしまっている。
この通り、大阪万博の頃までは賑やかな商店街だったけれど、最近になって魚屋も八百屋も廃業してしまっている。非日常物件の前には肉屋、わきにはパン屋があるのだけれど、非日常効果で盛り上がるのか観察中。

# by ZAM20F2 | 2019-07-09 06:17 | 街角系 | Comments(0)

今昔

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大夫前に出したことのある写真だけれども建設中のサンシャイン60。
同じ場所からではないのだけれども、似たような場所からの最近の様子。
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# by ZAM20F2 | 2019-07-07 09:19 | 街角系 | Comments(0)

見つけた

科学の学校「にじ」は少し前までは国会図書館にも全部は揃っていなかった。5月号に関しては、マイクロフィルム版は存在しているのだけれども、モノクロ画像のために表紙の色がどうなっているのかが想像つかなかった。
「にじ」は中々古本屋には出てこない。もっとも、人気がないので、出てきても1000円程度で済むので、出てきさえすれば入手は困難ではない。
この前、5月号が出ているのを見つけて、当然のように買い込んだ。
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国会図書館にもないものが家にあるぜと喜んでいたのだけれど、そのうちに、寄贈でもしてみようかと蔵書を調べたら、5月号は存在する事になっている。これは……マイクロフィルム版も入れて何だろうか。残念ながら、ネット上からは確認できないので、そのうちに出かけなければならなくなってしまった……。
# by ZAM20F2 | 2019-07-05 07:38 | 文系 | Comments(0)

表面色と開口色

大夫前に出したカラーフィルターセット
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その中の2枚。オレンジと茶色。
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xy色度図を思い浮かべると、オレンジは存在するのだけれど、茶色は色度図の中には存在しない色だ。xy色度図には人が認知できるすべての色が含まれているはずなのだけれども、どこを探しても茶色は存在しない。

実は、色には「開口色」と「表面色」がある。開口色とは周囲が黒に囲まれた真中にある開いた穴から出てくる光で見られる色で表面色とは、周囲に別の色があるような日常的な環境で見られる色で、xy色度図で示されているものは開口色であり、開口色には、茶色、黄土色、灰色といった色調は存在しない。

テレビはパーソナコンピュータの画面はxy色度図で色彩が制御されているのだけれど、それにも係わらず、画面上で茶色系を認識できる。表面色というと、光源からの光を反射する状況のように感じられてしまうが、ディスプレイのように光を出しているものでも、様々な色が見える状況は表面色となる。

逆にいえば、表面色で茶色に見えているような物も、開口色条件に持っていくと、茶色じゃなくなるはずである。と言うわけで、周りを黒く覆ってみた。
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これは、オレンジがかった黄色あたりに見えている。先ほど茶色に見えた時に比べると、露出を長くしているのだけれども、目で見た感じもこんな色に見えている。

色、奥が深い。
# by ZAM20F2 | 2019-07-03 07:27 | 科学系 | Comments(0)

梅雨の合間

昨年の白いネジバナは咲いたと思ったら烏に毟られた。
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今年の白花は去年のより目立たない感じで、今のところ無事。種ができて増えると良いなぁと思っている。
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こちらは、よく捻れている。ネジバナ以外も色々と咲いている。
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# by ZAM20F2 | 2019-07-01 06:44 | 植物系 | Comments(0)

線形

中谷宇吉郎の「科学の方法」初刷の発行年月日を確認したら1958年6月だった。ということは今月で満61才となったわけだ。
なんで、そんな確認をしたかというと大夫前に作りかけた「科学の方法」の刷の西暦依存性のグラフを久しぶりに目にして、日本の古本屋の出品情報を元に、もう少しばかり穴を埋めてみたからだ。
そのグラフがこちら。
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1刷あたりの数が変化しているかはわからないのだけれども、また、最新の情報が拾えていないのだけれども、随分と長い期間にわたって、コンスタントに売れている。見ていて、なんかうれしくなるグラフだ。
本の写真も載せようと思ったのだけれど、行方不明中……。代わりに発掘されたものの写真を掲載する。こちらは、絶版になっている。
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# by ZAM20F2 | 2019-06-29 16:22 | 文系 | Comments(0)

楽かもしれない

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適当に植えたピーマン、とりあえず実がついている。今のところ虫もついていないし、病気も発生していないと思う。
ひょっとして、元が取れてしまうのではないかと期待が膨らむ。怠惰ものの家庭菜園には悪くないかも知れない。
# by ZAM20F2 | 2019-06-25 08:05 | 植物系 | Comments(0)

ルートは大人は使わないという台詞について

久しぶりに出かけた芝居の一幕に、「大人になったらルートは使わない」という台詞があって、客席ではそれなりに受けていた。この劇団には、「技術」なんて役職のスタッフがいて、電子的な小道具を作ったり、劇団アプリを作ったりしているらしいのだけれども、その仕事にルートは必要ないのかしらとか、そこの大道具の階段の斜めの板の長さはルートがないと求められないだろうなどと思いながら、「ルートを使わない」というのが芝居の台詞となるということ自体にインパクトを受けていた。

芝居の方は、見終わって思い起こしたのはヘッセの小説の何か。主人公が遍歴の結果として等身大の自分に行き着く系のやつ。芝居にはオームを彷彿とさせる集団が出てきたのだけれど、教祖、少しばかり物わかりが良すぎる印象があった。まあ、物わかりが悪かったりすると、最後の方の筋がぐだぐだになるのかも知れないけれども。

私の頭の中の感覚だと物わかりのよい人間は教祖になれない。教祖というのは磁石のようなもので、磁力に引きつけられる元素は100種類の中で3種類しかないとしても、その3種類には力を及ぼす。力は常に同じ方向に働いているべきで、物わかりの良さは力の揺らぎを引き起こすため継続して何かを引きつけるのが困難となる。

今回の講演は劇団の15周年。パンフレットによると大学卒業時に旗揚げされているようなので、主催は40少し手前のはず。サリン事件は四半世紀ほど昔だから、当時は小学校高学年から中学生程度だっただろうと思う。おそらくは関西の人だと思うので、あの事件による衝撃は、私が感じた物と比較して弱かったのかなぁなどとも感じていた。

閑話休題。ルートの話に戻ろう。確かに、日常的にルートを使った計算をする場面はあまり思いつかないのだけれども、人々が日常的に使っている機器はルートどころでない高度な数学が使われている。そういう意味では文明社会において、ルートと無縁の生活を送っている人はいない。

ただ、ルートの計算が万人に必須のものかというと、確かに微妙なところはある。少し前にネット上で、対数の知識は教養かという話題が出ていた。理系の人の中には、教養であると主張する人もいたけれども、一応理系の身でありながら、道具としての対数は教養じゃないよなと思っていた。では、対数がまったく教養でないのかというと、そんなことはなく、人類の数概念の拡張と結びついているなら立派な教養だろうなぁと思える。ルートも同様で、数の概念の拡張と結びついて、初めて教養となる。


物理法則についても、知っていて使うだけなら教養じゃないけれども、その法則による概念の拡張を合わせた知識なら立派な教養だ。実際、高神 覚昇の「般若心経講義」には、「もちつもたれつとは、独ひとり人間同志の問題ではありません。世間の一切の万物、皆もちつもたれつなのです。現代の物理学者は相補性原理といっています。相補性原理とは、もちつもたれつということです。有名なアインシュタインはかつて相対性原理を唱えましたが、もはやそれは古典物理学に属するもので、今日ではすべてのものは、互いにもちつもたれつの関係にある、すなわち相補性原理こそが真実だといわれています。」なんて文言もあり、著者が相対性理論も、相補原理も理解してなさそうなのは分るけれども、それにも関わらず、それらを振回す必要があり、文系の人間の間でも教養と見なされていたことが伺える。

しかし、時代が下って、科学技術がさらに発達すると状況が変化する。理由の一つは、科学技術のネガティブな面が顕になったことだと思うのだけれど、それ以上に、文系の人間が科学技術を教養とは別のものと見なして理解しようとしなくなったことにあるように感じている。


科学技術が教養ではなくなったのには、科学技術に携る側が、自分の専門は語れても、科学を語れなくなったという理由もある。最先端の科学とやらを語ろうとする人々はいるのだけれども、ファラデーがロウソクを使って科学を語ったように、日常的な事柄を使いながら現代科学の基本的な概念が展開されることは、あまりないように思う。その一つの理由は研究者の専門が細分化された結果として、「何とか化学者」とか、「何とか物理学者」は存在しても、一般的な科学者が存在しなくなっているためではないかと思う。高等学校の物理基礎などまででは、量子論も相対論も実質的に出てこない。また統計物理や熱力学に関しても、知識としての伝達はあっても、概念として十分に伝達できているとは思いがたい。それ故に、最先端の科学の話をする前に、それを支えている概念の理解が必要なはずだ。先端の研究を普通の人にわかりやすく説明するなんてことが求められる世の中になって、「科学者」の人々が自分の研究を嬉々としながら話したりもしているみたいだけれども、そんなことが可能なら、高等学校の科目も、大学の教養や専門科目もなくてよいはずだ。それらが存在するということは、先端の「科学」とやらをきちんと理解するためには、多くの基礎知識が必要であることを意味している。

しっかりした基礎の上にない「最先端の科学」は魔術と区別のつかない物になってしまう。

魔術と区別がつかなければ、魔女狩りの対象となる。世の中が平和だと魔女狩は起りにくいのだけれども、社会的な不安は魔女狩の温床となる。それは、科学的な知識が欠乏したエキセントリックな発言からはじまるかもしれないし、あるいは、金銭絡みの悪意というか作為をもった者によって引き起されるかもしれない。いずれせよ、魔女狩がはじまってしまうと、終息させるのは大変な作業になる。


科学を魔術レベルで伝えるのではなく、当たり前の知識と方法を教養として伝えることが出来たなら、今よりは魔女狩りにあう危険性を減らせるだろうと思う。

そのためには、「わかりやすく科学を語る」ような活動は厳に慎んで、科学のわかりにくさに正面から取り組む必要がある。「科学の学校『にじ』」の創刊号で編集者の藤田圭雄は、「科学は近よりにくいものでもないし、わからないものでもない。しかし求めようとしなかったり、わかろうと努力しない人のためには全くの他人である。科学的な真理を、やさしく面白く解説する-ということがよく言われる。しかしそんなことは出来ることではない。ルールを知らないで野球を見ているようなもので、いつまでたっても本当の面白さもたのしさもわいては来ない。まず諸君はルールを覚える努力をすべきである。ルールをしっかりと覚え込めば、それから先のたのしみは無限に広い。」と少年少女に語りかけている。

ルートは使わないという台詞を書いた作家さんも、科学の否定的な面を強調する文系の研究者も、科学のルールを覚える努力を積極的には行わないだろうなぁという気もする。ただ、「人体に含まれる窒素原子の半分は空気中の窒素を化学工場によりアンモニアへと変換することにより得られたもの」(「大気を変える錬金術」(トーマス・ヘイガー;みすず書房)による)という知識の前では、ルートは出来なくても、足し算か引き算が出来る人間なら、科学に、いくら否定的な面があろうとも、科学の作り出したものなしに、現在の世界の人の生活は成り立たないことを認めざるを得ないと思いたい。現実には、それでも、化学肥料を全面的に否定する人間はいるだろうけれども、理性のある大くの人間が納得してくれるなら、魔女狩りの炎は押さえられるだろう。まず必要なのは、先端の科学とやらではなく、日常にしみこんだ科学の必須性とそれと引き替えに引き起こしている問題の併せての認識だ。そして、確立した知識の上に、当たり前のことを、当たり前にやるのが科学だという認識。「法則は本当だろうか。大科学実験で試してみよう」なんて台詞とは真逆の発想が科学の根本にある。


「政治家が政治のことだけより知らなかったり、文学者が文学以外に無関心だったり、世の中のことを何にも知らない科学者を大学者のように思ってありがたがったり、そういう片輪の人間が出来るところに国の不幸が生まれる。」これも、先ほどの藤田の編集の言葉にある文言だ。

残念ながら生まれてしまっている不幸、せめて、これ以上に不幸を育てないように心がけたい。


# by ZAM20F2 | 2019-06-22 07:38 | 文系 | Comments(0)