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東アジアにおける科学博物館の観客の挙動について

欧米の科学博物館といっても米国のそれを3つ程度覗いたことがある程度なのだけれど、展示の発想が、極東の島国のそれとは異なっている印象がある。極東の島国のものは、その展示の動作原理などを考えることなく、バタバタと動かすと何らかの応答があり、それを見て、とりあえず喜んで、次のものをバタバタと動かしにいくような傾向のものが多いのに対して、米国のものは、その原理を考えないと楽しめないものが多い。そんな印象を持ったのは私だけではなかったようで、小川正賢氏は著書の中で中で、欧米の親子は一つの展示の前で原理などを議論するのに対して、極東の島国を含む東洋の親子は、一つの展示を前に議論することなく、ぱたぱたと展示を渡り歩く傾向がある印象を持っていると記している。まあ、その印象を記しただけで、それ以上の議論を行っていないあたりは、東洋人であるなぁと思うところではあるけれども。
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東洋人全体かどうかは分からないけれど、科学博物館の展示に限らず、見ることに時間をかけないのは、極東の島国の人の傾向のようだ。アランブースは、極東の島国を歩いて旅をしたときに、天橋立の観光に来る人々が、推奨される鑑賞法を試すと、それだけで、見るのを止めてしまうと記している。

この行動の違いが人種的なものかというと、欧米で育った東洋系の人間は、そうならないので、人種的なものではなく何らかの文化的なものであることになる。

とは言え、科学博物館における行動の違いに限定すると、考えるための前提条件に不確かなところも多い。博物館に行く客層の教育レベルは博物館の作りに大きく影響するはずだけれども、極東の島国と欧米でそれが同じであるかは分からない。もし、欧米で博物館に行くのが、教育の高い層に限定されていて、極東の島国ではより広い層が行っているなら、博物館の内容の違いは国の違いより客層の違いという話になる。

昔、米国から来ている人に、米国人の自己責任的な考え方と、電子レンジで猫を乾かしてはいけないと書かないと裁判に負けるのは、どうつながるのか聞いたことがある。答はバリエーションが広いというものであった。それ以外にも、宇宙がビッグバンにより始まったか、天地創造で始まったかを二者択一させると、米国では後者の方が多数になるという話もある。これは、とても人間を月まで運んだことのある国とも思えないところだ。特に、天地創造神話を信じている人々が科学博物館に行くかについては、大きな疑問がある。米国の科学博物館が全人口を来場者対象者としているような気はしてこないのだ。

逆に、極東の島国では、少なくとも表面的には全人口を科学博物館の来場対象者にしているように思う。そうだとしたら、テレビと同じで、よりレベルの低い方にあわせた方が、数としては多くの来場者の満足をもたらすので、内容の低下が生じるのは当然のことになる。特に、昨今のように、その博物館や科学館の持っている意味あいではなく、入場者の数のみで評価が行われるようになれば、それは当然の流れだ。こうして、科学館の隆盛と、科学が伝えられなくなるという相矛盾する事柄が、並行して生じるようになるわけだけれど、この点は改めて考えることにして、博物館の違いに関する与太話をもう少し続けることにしよう。

上に述べたように、米国と極東の島国では、科学博物館の来場者層が異なっているのかもしれないけれども、そのことと展示物が考えずに遊べるものになることの間には、必ずしも直接のつながりがないかもしれない。なんで、そんな気がするのかというと、ベ平連による米兵の脱走支援の話を思い出したからだ。日本で脱走した米兵は、支援者側から見ると、教養のない田舎の兄ちゃんという感じの人だったのだけれど、声明を出す段になると、学歴のある極東の島国の人間には言えないような立派なことを言ったという(しばらく前に出した、1968の中にあったと思う)。知識の有無とは別の要素というのが存在することは確かだろうと思う。それ故、米国人は、たとえ、その現象を理解するのに必要な科学的知識を持っていなくても、それが何であるかについて、議論をしたがるのではないかという気がするのである。
こうなってくると、科学に限らない話になっていくわけだけれども、科学というものが、人が生きていくこととは独立ではない以上、どのような科学博物館を作るかは、社会システムの問題であるのは当たり前のことなのであろう。そして、その中で、極東の島国は、考えていくやり方よりは、その場で楽しめるかもしれない断片的な知識を与えようとしているように見える。それは、より多くの子どもにとって楽しめるやり方ではあるかもしれないけれど、本当に科学をやろうとする人を育てることにつながっているのかは、きちんと確認する必要があるだろう。

※ちょっとずれる話だけれど、福岡にくる中国の弾丸ツアーの様子が、極東の島国の人の観光スタイルに似ている感があり、博物館に限らず、東アジアの文化というものがあるのかという気もしている。
by ZAM20F2 | 2012-07-22 20:35 | 文系 | Comments(0)
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