この春に実施された、全国学力テストの結果が公開されたらしく、共同通信によると、「中3理科で、電流の実験の改善方法を記述する問題の正答率がこれまでの学力テストで最低の8%となるなど実験や観察結果の分析、考察力で課題が目立った。意識調査でも「理科の授業はよく分かる」「将来役立つ」と答えた中学生は小学生より大幅に少なかった」そうで、この状況をうけてかいくつかの新聞の社説などで
・科学技術創造立国の人材育成に不安 ・科学の面白さを伝え、興味や関心を高める指導の工夫が不足、普段の授業の見直しを ・文科系の教育学部出身者が小学校教諭に多いのが問題 ・民主党は実験手助け事業を廃止するな などといった論説が飛んでいる。まあ、中には西日本新聞のように ・今回のテスト結果は基本、言われ続けたことじゃないか ・それが改善してないのは、こんなテストをやっても何も動けないことを示してないか などと、真っ当なことを言っているところもある。確かに、テストの結果を踏まえて、文科相が ・中学でも科学の甲子園をやれば、興味をもって理科離れは防げる などと言っているようでは、極東の島国の理科教育の行く末はお寒い限りだ。どうも、文科相は目先の華々しさが好きなようだけれど、それじゃプレゼンテーション能力に長けた人は見つかるかもしれないけれど、地道に研究をやる人は育たないだろうと思う。だって、面白いから研究やるはずで、エサがぶら下がっているから研究をやるような人は、根本は研究者じゃないはずだ。 もっとも、極東の島国の理科教育がお寒いのは伝統芸である。前にも紹介したけれど、戦後の割と早い時期に、中谷宇吉論は簪と蛇の中で、自分の育った経験をもとに、理科教育についての議論を展開している。 「簪と蛇」から、中谷は科学をやる上では、自然に対する驚異の念と想像力が必要であると考えているように読み取れる。その想像力は、荒唐無稽な物語りの中で遊ぶことにより身についていくものであるというのが中谷自らの体験である。中谷によれば、想像で物を見ることが出来る子供は、大きくなって原子(文中では原始となっているが、他の文言を考えると原子のミスプリンのような気がする)の姿をも現身の形に見ることができる。これは、米沢富美子さん(だったと思う)が、原子の動きを頭の中でイメージしながら理論の研究をしていると記している(と思った)に通じる話だ。もちろん、研究者のすべてが、こんなイメージを持ちながら研究をやっているわけではないけれども、そして、彼らの持っているイメージは、時には、あまり素朴ではないような物だったりもするのだろうけれども、研究者にとって、リアルなイメージを持てる能力は、一つの武器になるものだと思う。 そして、もう一方の驚異の念が科学へのドライビングフォースにつながっていく。上に記した新聞の論説などでは、科学立国の人材育成が問題視されているけれども、それって、自分達が年寄りになったときに支えてくれる若者が欲しいという話しであるわけで、決して、これから育ってくる人たちの目線の話ではない。大人がそんな意識で科学を強要しているのだとしたら、子どもそれに応えないのは当たり前過ぎる話だろうと思う。 科学をやるのは、決して面白いからとか楽しいからといった理由からではない。むしろ、科学の祭典クラスの、安直な理由付けとともに語られる科学の楽しさや面白さと称するものは、より面白い物の間で科学を埋没させて、将来的に科学に目を向かなくさせる方向へとつながるものだ。小学校までは理科が好きなのに、中学で数学も交えた抽象的な理科になると、とたんに理科嫌いが増えるという、もう随分と昔から分かっているはずの事実がそれを如実に物語っている。特に最悪なのは、ちょっと目を引くデモンストレーションをやって、それを一見正しそうだけれども、底が浅くて振り回す以外何の役にも立たないような知識を教えることで、 簪と蛇の中で中谷も「科学知識の普及も結構であるが、原子や分子を日常茶飯事の如く口にするだけでは無意味である。それは得るところが何もなくて、反対に物質の神秘に対する驚異の念を薄くするような悪影響だけが残る虞が十分ある。」と記している。もし、科学の不思議を子どもに見せたいなら、演者自身がその現象に対して、非常に深く不思議を感じその背後に対して驚異の意識を持っていて欲しいものである。科学教室などで扱われている題材でも、本当の根本原理にまで遡ろうとしたら、少なくとも私なんぞには説明出来ないぐらい奥が深くなっていく事柄なのであるのだから。 では、科学をやろうとするモチベーションはどこから出てくるものなのかと言えば、それは自然に対する驚異の心になるのだろうと思う。物事の奥深さに対する畏敬の念は、人の知恵の限界と、それにもかかわらず、どれだけ遠くまで到達したかを感じさせる。科学へのあこがれを引き起こすのだ。そして、ソクラテスの産婆術を引き合いに出すまでもなく、自らの知識のなさを知ることが、先に進む原動力となる。 だから、科学教室などでは、子どもに切り取った知識を与えるのではなく、知識と知恵の欠落を教えることを主眼にするべきではないか。少なくとも、安直な理由を説明しての大団円ではなく、その先に拓いたより深い謎にまで目を向けさせることが必要だ。 ※青空文庫では、中谷宇吉郎の作品の採録が始まっているようだ。簪と蛇もリスとに入っているので、公開されたら、理科教育に興味を持っている人には是非読んで欲しい物だ。 ■
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by ZAM20F2
| 2012-08-21 04:10
| 文系
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