小倉さんの本の中には、科学ジャーナリストについて考えさせられる部分がある。
前のエントリーの坂田さんの解説に関しては、湯川さんから小倉さんに私信が届いているし、それ以外にも、自然の記事に対する感想が私信で送られいてる。それ以外にも矢野健太郎さん渡辺慧さん、江上不二夫さん、玉虫文一さんなどからも私信が送られているようで、科学者と編集者の間に交流があったことが伺える。今の世の中、こんな感じの科学ジャーナリストがいる気があまりしない。まあ、科学者側の問題でもあるわけだけれども。
もっとも、極東の島国の科学ジャーナリスト、記者の数もレベルも高くはないのは昔からのようで。ソビエトが人工衛星を打ち上げた直後には
多数の新聞記者に押し掛けられた東京天文台は『全く有史以来の』混雑を呈し、台員達は応接のいとまに苦しみ安眠を妨げられ、観測にさえ支障を来しそうになったといわれる。新聞社は今まで冷遇した科学記者を見直して急に科学部を新設するなどの狼狽ぶりを示したところさえある。
中略
政府もいささか狼狽したようだ。急いで理科系学生の大増員を文教政策として発表した。 中略 科学を尊重し、人類の幸福のためにその発展を望むことはよいが、『花咲爺』のお伽話に出てくる悪い爺さんのように肥料も与えずに収穫ばかりあせっては、却って不幸な結果を生する。
という状況が生じたそうだ。その後、半世紀以上の時間がたったけれど、新聞記者の科学に対する知見は相変わらず低く、ノーベル賞の記者会見でもまともな質問が出てこないようだし、そしてまた、政府の『かけ声だけ』という姿勢もまったく変わっていない。