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線形

中谷宇吉郎の「科学の方法」初刷の発行年月日を確認したら1958年6月だった。ということは今月で満61才となったわけだ。
なんで、そんな確認をしたかというと大夫前に作りかけた「科学の方法」の刷の西暦依存性のグラフを久しぶりに目にして、日本の古本屋の出品情報を元に、もう少しばかり穴を埋めてみたからだ。
そのグラフがこちら。
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1刷あたりの数が変化しているかはわからないのだけれども、また、最新の情報が拾えていないのだけれども、随分と長い期間にわたって、コンスタントに売れている。見ていて、なんかうれしくなるグラフだ。
本の写真も載せようと思ったのだけれど、行方不明中……。代わりに発掘されたものの写真を掲載する。こちらは、絶版になっている。
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by ZAM20F2 | 2019-06-29 16:22 | 文系 | Comments(0)

楽かもしれない

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適当に植えたピーマン、とりあえず実がついている。今のところ虫もついていないし、病気も発生していないと思う。
ひょっとして、元が取れてしまうのではないかと期待が膨らむ。怠惰ものの家庭菜園には悪くないかも知れない。
by ZAM20F2 | 2019-06-25 08:05 | 植物系 | Comments(0)

ルートは大人は使わないという台詞について

久しぶりに出かけた芝居の一幕に、「大人になったらルートは使わない」という台詞があって、客席ではそれなりに受けていた。この劇団には、「技術」なんて役職のスタッフがいて、電子的な小道具を作ったり、劇団アプリを作ったりしているらしいのだけれども、その仕事にルートは必要ないのかしらとか、そこの大道具の階段の斜めの板の長さはルートがないと求められないだろうなどと思いながら、「ルートを使わない」というのが芝居の台詞となるということ自体にインパクトを受けていた。

芝居の方は、見終わって思い起こしたのはヘッセの小説の何か。主人公が遍歴の結果として等身大の自分に行き着く系のやつ。芝居にはオームを彷彿とさせる集団が出てきたのだけれど、教祖、少しばかり物わかりが良すぎる印象があった。まあ、物わかりが悪かったりすると、最後の方の筋がぐだぐだになるのかも知れないけれども。

私の頭の中の感覚だと物わかりのよい人間は教祖になれない。教祖というのは磁石のようなもので、磁力に引きつけられる元素は100種類の中で3種類しかないとしても、その3種類には力を及ぼす。力は常に同じ方向に働いているべきで、物わかりの良さは力の揺らぎを引き起こすため継続して何かを引きつけるのが困難となる。

今回の講演は劇団の15周年。パンフレットによると大学卒業時に旗揚げされているようなので、主催は40少し手前のはず。サリン事件は四半世紀ほど昔だから、当時は小学校高学年から中学生程度だっただろうと思う。おそらくは関西の人だと思うので、あの事件による衝撃は、私が感じた物と比較して弱かったのかなぁなどとも感じていた。

閑話休題。ルートの話に戻ろう。確かに、日常的にルートを使った計算をする場面はあまり思いつかないのだけれども、人々が日常的に使っている機器はルートどころでない高度な数学が使われている。そういう意味では文明社会において、ルートと無縁の生活を送っている人はいない。

ただ、ルートの計算が万人に必須のものかというと、確かに微妙なところはある。少し前にネット上で、対数の知識は教養かという話題が出ていた。理系の人の中には、教養であると主張する人もいたけれども、一応理系の身でありながら、道具としての対数は教養じゃないよなと思っていた。では、対数がまったく教養でないのかというと、そんなことはなく、人類の数概念の拡張と結びついているなら立派な教養だろうなぁと思える。ルートも同様で、数の概念の拡張と結びついて、初めて教養となる。


物理法則についても、知っていて使うだけなら教養じゃないけれども、その法則による概念の拡張を合わせた知識なら立派な教養だ。実際、高神 覚昇の「般若心経講義」には、「もちつもたれつとは、独ひとり人間同志の問題ではありません。世間の一切の万物、皆もちつもたれつなのです。現代の物理学者は相補性原理といっています。相補性原理とは、もちつもたれつということです。有名なアインシュタインはかつて相対性原理を唱えましたが、もはやそれは古典物理学に属するもので、今日ではすべてのものは、互いにもちつもたれつの関係にある、すなわち相補性原理こそが真実だといわれています。」なんて文言もあり、著者が相対性理論も、相補原理も理解してなさそうなのは分るけれども、それにも関わらず、それらを振回す必要があり、文系の人間の間でも教養と見なされていたことが伺える。

しかし、時代が下って、科学技術がさらに発達すると状況が変化する。理由の一つは、科学技術のネガティブな面が顕になったことだと思うのだけれど、それ以上に、文系の人間が科学技術を教養とは別のものと見なして理解しようとしなくなったことにあるように感じている。


科学技術が教養ではなくなったのには、科学技術に携る側が、自分の専門は語れても、科学を語れなくなったという理由もある。最先端の科学とやらを語ろうとする人々はいるのだけれども、ファラデーがロウソクを使って科学を語ったように、日常的な事柄を使いながら現代科学の基本的な概念が展開されることは、あまりないように思う。その一つの理由は研究者の専門が細分化された結果として、「何とか化学者」とか、「何とか物理学者」は存在しても、一般的な科学者が存在しなくなっているためではないかと思う。高等学校の物理基礎などまででは、量子論も相対論も実質的に出てこない。また統計物理や熱力学に関しても、知識としての伝達はあっても、概念として十分に伝達できているとは思いがたい。それ故に、最先端の科学の話をする前に、それを支えている概念の理解が必要なはずだ。先端の研究を普通の人にわかりやすく説明するなんてことが求められる世の中になって、「科学者」の人々が自分の研究を嬉々としながら話したりもしているみたいだけれども、そんなことが可能なら、高等学校の科目も、大学の教養や専門科目もなくてよいはずだ。それらが存在するということは、先端の「科学」とやらをきちんと理解するためには、多くの基礎知識が必要であることを意味している。

しっかりした基礎の上にない「最先端の科学」は魔術と区別のつかない物になってしまう。

魔術と区別がつかなければ、魔女狩りの対象となる。世の中が平和だと魔女狩は起りにくいのだけれども、社会的な不安は魔女狩の温床となる。それは、科学的な知識が欠乏したエキセントリックな発言からはじまるかもしれないし、あるいは、金銭絡みの悪意というか作為をもった者によって引き起されるかもしれない。いずれせよ、魔女狩がはじまってしまうと、終息させるのは大変な作業になる。


科学を魔術レベルで伝えるのではなく、当たり前の知識と方法を教養として伝えることが出来たなら、今よりは魔女狩りにあう危険性を減らせるだろうと思う。

そのためには、「わかりやすく科学を語る」ような活動は厳に慎んで、科学のわかりにくさに正面から取り組む必要がある。「科学の学校『にじ』」の創刊号で編集者の藤田圭雄は、「科学は近よりにくいものでもないし、わからないものでもない。しかし求めようとしなかったり、わかろうと努力しない人のためには全くの他人である。科学的な真理を、やさしく面白く解説する-ということがよく言われる。しかしそんなことは出来ることではない。ルールを知らないで野球を見ているようなもので、いつまでたっても本当の面白さもたのしさもわいては来ない。まず諸君はルールを覚える努力をすべきである。ルールをしっかりと覚え込めば、それから先のたのしみは無限に広い。」と少年少女に語りかけている。

ルートは使わないという台詞を書いた作家さんも、科学の否定的な面を強調する文系の研究者も、科学のルールを覚える努力を積極的には行わないだろうなぁという気もする。ただ、「人体に含まれる窒素原子の半分は空気中の窒素を化学工場によりアンモニアへと変換することにより得られたもの」(「大気を変える錬金術」(トーマス・ヘイガー;みすず書房)による)という知識の前では、ルートは出来なくても、足し算か引き算が出来る人間なら、科学に、いくら否定的な面があろうとも、科学の作り出したものなしに、現在の世界の人の生活は成り立たないことを認めざるを得ないと思いたい。現実には、それでも、化学肥料を全面的に否定する人間はいるだろうけれども、理性のある大くの人間が納得してくれるなら、魔女狩りの炎は押さえられるだろう。まず必要なのは、先端の科学とやらではなく、日常にしみこんだ科学の必須性とそれと引き替えに引き起こしている問題の併せての認識だ。そして、確立した知識の上に、当たり前のことを、当たり前にやるのが科学だという認識。「法則は本当だろうか。大科学実験で試してみよう」なんて台詞とは真逆の発想が科学の根本にある。


「政治家が政治のことだけより知らなかったり、文学者が文学以外に無関心だったり、世の中のことを何にも知らない科学者を大学者のように思ってありがたがったり、そういう片輪の人間が出来るところに国の不幸が生まれる。」これも、先ほどの藤田の編集の言葉にある文言だ。

残念ながら生まれてしまっている不幸、せめて、これ以上に不幸を育てないように心がけたい。


by ZAM20F2 | 2019-06-22 07:38 | 文系 | Comments(0)

Raもう少し

楢の木技研さんのezSpectraでLEDを測定して、演色性評価について思案している。
前のエントリーにもしるしたけれど、Raは同じ温度の参照光源に対する色味変化を示す指数である。参照光源は5000K以下では黒体放射、それ以上ではCIEの指定する標準光源である。このため、5000Kで参照光スペクトルが不連続に変化する。

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図に5000Kの黒体放射と標準光源を示す。標準光源は黒体放射に比べて短波長側の落ち込みが多い。これは空気のレーリー散乱のためかなと思う。それ以外のでこぼこしているところは、地球の大気によるものか、放射自体かは調べないと分からない。低温側は、電球を使うことを前提に黒体放射に、5000Kより上は太陽光を使うことを前提に光源を定めているのだろうとは思う。TM-30-15ではある色温度範囲で両者の割合を変えながら混ぜていってスペクトルが連続して変化するようにしている。

昼光色青色LED励起のスペクトルと参照光源のスペクトルを比較すると、青色のピークが突出している。
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この不一致が、12番の値が悪いことの原因だと思う。ただし、12番の値が100より小さくても、その色の再現が標準光源と異なることを示しているのであって、ずれの方向は分からない。

上のスペクトルでは、LEDでは400nmあたりの放射がなく、この部分で青が不足するのではないかと考える方もいるかもしれない。でも、次に示すxy表色系の感度分布を考えると、zの感度分布は450nmあたりにピークを持ち、短波長側では急激に減少しており、300nm台の不一致は色調にはほとんど影響しないことがわかる。
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繰り返しになるが、9番以降はRaの計算には含まれないので、これら値がいかに悪くてもRaには直接は反映しない。

前のエントリーで示したTM-30-15の色ずれを示すグラフは、どの色がどちらにずれているのかが認識できる形で示されている。青色あたりは曲線が円の外側に出ている。一方で、緑から黄色の領域がへっこんでいる。スペクトルの図で、この領域の強度が参照光源より低くなっているのは、グラフをみて両者の強度調整をおこなったせいなのだけれど、まあ、目で見て妥当な範囲には収まっているのではないかとは思っている。

昼光色LEDでは9番はよい値となっている。次の電球色LEDでは昼光色よりは相対的に赤が強いにもかかわらず9番の値は低下している。これは比較対象となる色温度のスペクトルが昼光色の方は赤が弱くなっているためである。青が非常に強く色温度が凄く高いLEDでは参照光源の方で赤が弱いためにLEDに赤が出ていなくても9番が悪くないといった状況も出現する可能性がある。単純に9番の大小で判断しない方がよい。



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電球色のLEDでは長波長側のずれが大きい。確かにR9の値は悪くはなっているけれども、TM-30-15の図を見ると、赤の手前はへっこんでいるけれども、赤はそんなに悪くない印象はある。12番の青が悪いのは昼光色と同様に強いためと分かる。
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自然色電球は可視域では割と小さな凸凹でRaが高いのも納得できるところだ。長波長側で参照となる光源との一致が悪いが、このあたりは視感度も悪く色への影響が少ないので、演色性にはさほどは響いていないのだろうと思う。(青の方は視感度は悪いが、色への影響は強い。)
by ZAM20F2 | 2019-06-20 06:25 | 科学系 | Comments(0)

高演色LEDをRaとTM-30-15で評価する

せっかくTM-30-15の測定ができるようになったので、高演色LEDも測定してみることにした。現在使われている演色性評価は国際照明委員会(CIE)の平均演色評価指数(Ra)である。Raでは評価対象である光源で、8種類の評価用の色彩を照らした時に、評価対象の光源と色温度が同じ参照光源に対して、どの程度変化が生じるかを示す指数になる。Raを測定する機器では、Raの値とともに、1番から15番までの色に対する色味の一致度が表示されるものが多いが、ここで、注意しなければならないのはRaの計算には1~8までの8つしか使われていないということ。LED電球では9番目の赤が足りていないことが多いのだけれども、赤が出ていなくてもRa値には反映していない。
この1点からも、Raだけでは演色性評価として十分ではなさそうなのが明白だと思う。また、Ra値が同じだとしても、色味は赤色方向にも、青色方向にも、それ以外の方向にもずれてしまうので、同じRaの光源を揃えても、照明としては不揃いのものになり得る。
もう少し細かい話をするとRaの計算に用いる参照光源は、色温度5000Kを挟んで不連続に変化する。このため、ほぼ同じスペクトル分布の光源でも色温度が5000Kより少し上か下かでRa値が異なる可能性がある(たとえば、完全な黒体放射光源があると、5000K以下だとRa値は100になるが、以上になると100にならなくなる)。

TM-30-15では参照とする色彩は8種類から99種類に増やしている。また、その中には原色に近い色も含まれている。このため、赤が不足しているLEDでは、その部分が引っかかる。また、参照光源は色温度とともに、ある範囲でなだらかに変化していくようになっていて、不連続の問題は生じない。

TM-30-15にはRfとRgの二つの指数がある。RfはRaと同様に最大値が100となる指数で色の再現性を示す。これが100に近いほど参照光源と同じ色味になる。Rgは彩度を示す指数でこれは、(100-Rf)程度の範囲で100を挟んで変動する。この値が100以下の場合は、参照光源に比べて彩度がおちる。そして、100以上の場合はより鮮明な色彩となる。
ただし、この2つでは類似度と彩度は示せても、緑が青方向に転げるといった色味変化は示せない。そこで、TM-30-15では色味の変化を示すベクトル図が用意されている。標準光源での色味からどちらにずれているかを図として示したもので、これにより、部分的な彩度の範囲も含めて全体の感じを半定量的に理解できる。

測定したのはUniPoで扱っているYUJILEDS。
まず、青色励起の昼光色タイプ。
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Ra値は95は出ている。
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TM-30-15だとRfは86。図を見ると青が強くて緑あたりが弱くなっている。図はかなり凸凹している。青が強く出ているのはRaの12番の値が悪いことに対応している。しかし、上に触れたようにRaは8番までの平均なので、青色が強すぎて12番が悪いことは反映していない。

続いて青色励起の電球色。
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こちらはRa96。
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Rfは87。色温度に対して黄色あたりが弱そうな感じだ。

LEDは青色励起より紫励起の方が、より演色性が良くなる。続いては紫励起タイプ。
まずは昼光色タイプ。
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Raは98。
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こちら、Rfも98となっている。当然、Rgもほぼ100だ。図を見てもほぼ丸くなっている。

電球色タイプの方は
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Raは95.
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青色励起程度の値となっているのだけれど、Rfは92と青色励起より秋あらkに良くなっている。色味変化もなだらかだ。

ついでにCCSの自然色LED電球も測定してみた。スペクトルからすると、これも紫励起。
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Raは97。
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そしてRfは94。こちらも、色味のずれはなだらかで青色励起より素直になっている。

青色励起と紫励起を比較すると、Raの値で見るよりは、TM-30-15の方が紫励起の素直さが伝わってくる。Raの表示では青や赤の値が悪いのが、強すぎるのか弱すぎるのかがわからないけれども、TM-30-15のグラフなら、そこもはっきりする。さらに色味変化方向み見られる点が優れている。



by ZAM20F2 | 2019-06-16 10:44 | 物系 | Comments(0)

雨上がり

水の中には、足が出かけた人や、足も出ていない人々がいるのだけれど、少し前の雨の時に、手足の出ている人は上陸を果たしたようで、水辺には見当たらなくなっている。
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水の外、巣をはる人
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陸の上を探すと、木陰になりそうなあたりに上陸後の人
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こちらでも座っている。
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また、雨が来るみたいだけれど、雨のあと、ネジバナが出始めている。
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こちらは準備中
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咲き始めたのもある。
by ZAM20F2 | 2019-06-14 08:22 | 動物系 | Comments(0)

IES TM-30-15

楢ノ木技研さんのezSpectraのソフトがバージョンアップしてIES TM-30-15が表示されるようになった。ベータ版だけれども、早速ダウンロードして試してみた。

とりあえず蛍光灯を測ってみる。
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これは、普通のRaの表示。IES TM-30-15にすると、
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と、色味に対する光の偏りが見安くなる。この図では直交座標系だけれども、極座標表示の芸もある。
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続いて、LED
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Raは蛍光灯とほぼ同じなんだけれども、色再現も色飽和も低く出ている。

そして、豆電球
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さすがに丸々としている。

by ZAM20F2 | 2019-06-11 07:46 | 物系 | Comments(0)

豚コレラ、そしてIQの変化について

数日前にも、豚コレラが新に発生したというニュースが流れていた。人間に感染しないせいか、鳥インフルほど報道されていない気がするのだけれど、それでも多くの豚が殺処分になっているわけで、早い終息を祈っている。

少し前に天文古玩さんのところで、この話題に関係するエントリーがあった。殺処分にも立会われたようで、それは、厳しい現場であったようだけれども、そのときの話として、豚は群れから引離される時には、悲鳴を上げて逃惑うけれども、群れから離された個体が殺処分を上げ悲鳴を上げている時には、平常と変らない様子で過しているという。

そのエントリーでは、それに関連して家畜化による知能の低下の話を紹介しているのだけれども、そして、それが、豚だけの話ではないことを感じられたとの文言もある。そのエントリーを読みながら二つのことが頭に浮んできた。


一つ目は、人間の自己家畜化という話。本川さんの「ゾウの時間ネズミの時間」の中にあったのか、それとも、本川さんの講演を拝聴した時に得た知識なのかは定かではないのだけれど、動物の寿命も体の大きさと相関があるけれども、家畜化した生物は、その相関よりも長寿命化しているのだそうだ。そして、人間も相関より長寿命化しており、その一つの説明として自己家畜化という概念があるらしい。

もう一つは、「田中宇の国際ニュース解説」さんの5月28日のエントリー。田中さんは、フリーのジャーナリストで、海外の様々なメディア記事をもとにした時事解説をしている。ただし、視点は独自で、米国の政治は、軍産複合体を中心とした、米国の覇権を保って、世界の紛争解決に介入することを通して軍事産業に永続的な利益を確保する勢力と、覇権を放棄することにより、世界の秩序は多元的な国の協調で維持するようにして、軍産に流れている金を国内経済に回して普通の国としてやっていこうという勢力の競合で行われているとしている。このように書くと、民主党が覇権放棄で、共和党が覇権維持となりそうだが、視点が独自すぎるのは、トランプは隠れ多元主義者で、局地戦を超える戦争を行いそうな派手なパフォーマンスで、軍産をびびらせながら、揺り戻しで多元方向に舵を切っていると分析していること(軍産も本気の戦争になると不味いので精々、局地的な戦争までしか踏込むつもりはない)。こうなると、陰謀史観的な感じもあり、話3/4程度に聞いておいた方がよさそうなところもあるのだけれども、田中宇さん、私の知る限りで、トランプの当選を予測していた、ほぼ唯一の人。ここのところの北朝鮮とのやり取りでは、朝鮮戦争が会談で終結するという勇み足な分析もあったけれど、他とは違いすぎる視点は面白い。

その田中さんの最近の記事の一つが、先進国でIQ調査の平均値が低下しているというもの。有料記事なので、差障りのなさそうな範囲で紹介すると、

「ノルウェーの徴兵時の知能試験では、20世紀を通じ、IQの平均値が10年ごとに3ずつ上がっていた。-中略-このIQの上昇は、1994年ごろを境に、低下傾向に転じている。昨年来の報道によるとノルウェーの徴兵時知能試験でのIQ平均値は94年以降、10年ごとに7ずつ下がっている。今世紀に入ってのIQ低下は、欧州を中心とする多くの先進諸国で起こり、今も続いている。」

とのことで、田中さんは、近年の動向を支配階層の都合のよい方へのバイアスによるという視点で説明している。

IQテストが人の思考力の何を反映したものであるかは、議論が分れるところだし、このブログでも、ときおいIQの高そうな人々の愚かしい行為に言及はしているのだけれども、それでも、大昔に国際キリスト大学の先生から聞いた記憶のある「入試ではIQテストみたいな問題もあり、実は、この成績と入学後の成績に高い相関がある」といった文言を思い出すと、何らかの思考力、あるいは、思考しようとする指向性に関わる事柄であるように思える。

人間が自己家畜化を始めたのは、何万年も前の話だろうとは思うのだけれども、どうやら、それは、その時代で完結した話ではなく、社会の変化に伴って、その方向性も変化していく事柄であるのかもしれない。

近年、高等学校の普通科を改組するような話を聞く。大学改革とやらが、どうも、大学の疲弊をもたらしている様子であることを思うと、それが、下まで進行して先にろくな事柄を思い起せない。この手のことを進めたがる人は、教育現場の閉鎖性と社会経験のなさを口にしがちだけれども、日本の会社の現状を見ていると、それ以上に閉鎖的に感じられるし、英知も知見も感じられない。まあ、だからこそ、自分のことは棚に上げてというか、立派なものだと思っていて、余計な口出しが出来るのだろうけれども。


by ZAM20F2 | 2019-06-09 21:15 | 文系 | Comments(0)

選別力あり

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新聞に載っていたもう一つの問題は国語で、これは、塾オリジナルの問題のようだ。
内容は、日本語はそれなりにしゃべれるけれども、日本文化を知らない(謎の前提だ!)坊やが家にやってくるので、日本文化が分る遊びをするつもりだけれども、何をするのかとその理由を述べよという問。
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この問題、実にえげつない選別力がある。

答を見れば、本人というより、その家庭がどんな家庭であるかが見えてしまう。もちろん、付け焼刃的に「百人一首」なんて答えを出して、理由として「和歌という日本の伝統的文化に加えて、和服の装束も絵で楽しめる」などという、この手の塾が指導していそうな答えも出てくるかもしれないけれども、そんな小賢しい技をたたき込まれていない子どもは、素直に、日常体験を元に遊びを書いてしまうだろうと思う。それは、家庭での日常が反映されたものであり、その家庭が学校として望ましい家庭であるのかの判断材料を与えることになる。これは、国語の問題ではなく、家庭環境調査だ。

まあ、私立の学校には校風があるだろうから、それにあった家庭の子どもを入れるのは、その学校にとっての正しい選択なのかもしれないけれども、この広告の中に、「塾経由で私学へ、そして未来へ」なんて書いてあるのを見ると、未来が明るい物ではないようにしか思えなくなるのが辛い。

by ZAM20F2 | 2019-06-07 07:42 | 文系 | Comments(0)

この答、理科ではない

今月の学習塾の車内問題、写真を撮ろうかと思っていたら、何故か新聞に広告としても掲載されていた。
問題は、海亀がレジ袋をクラゲと間違えて食べてしまうのを防ぐ方法を尋ねるもの。ただし、レジ袋としては機能することが求められている。
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問題を眺めながら、学習塾の解答は、海亀が消化できる材質の利用程度かなとおもっていたけれども、解答例としてあがっていたのは、
消化可能+水にはとけないけれども、海水に溶ける。
毒のある生物に似た色にして食べないようにする。
という2点。いずれも、私が採点者だったら、低い点をつける内容だ。

どこが気に入らないかというと、きっちりした科学的な知見に基づいていない解答だからだ。まず最初のものに関しては、水に溶けずに海水に溶ける素材があるかという点が引っかかる。私の知識の範囲では、思いつく素材がない。こんな回答でよいなら、「レジ袋としてはちゃんと使えるけれども、使い終ったら消滅する素材を使う」でも立派な回答となる。科学的な根拠がない回答は、道徳授業の回答にはなっても、理科の回答にはならない。それに、そんな素材があったとして、スーパーでネット入のアサリでも買込んで袋に入れたら、大惨事になりそうだ。魚のパックの液体が漏れても危ないかもしれない。実用性にも疑問があるのだ。
2番目の回答は、一見もっともらしいのだけれども、海亀の生態をきちんとしった上でないと、可能であるか判断できないはずだ。海亀が補食しない色の生物がいることが前提なのだけれども、学習塾がそれを知った上で出しているとは思えない。そういう意味では、これも空想科学の回答であって、理科の回答ではない。それに、着色しても、砕片となってしまったら、やっぱり食べそうだ(クラゲの破片と間違えて)。


では、理科的に考えても、大丈夫な回答があるのかと言われると……
コスト的とか他の点ではダメな回答なら無いこともない。
一つは、袋の底部分に比重のかなり高い材料を用いること。条件は、それなりの速度で海中でも沈降すること。底部分としたのは、それなら、袋に空気が入って水中を浮遊する危険性が減らせると考えるため。陸の近郊だと、海底を漂うものをそれでも食べられてしまうかもしれないけれども、大洋を漂うことはないので、海亀に対する安全性は高まるだろうと思う。その分、海底で良からぬ作用をするだろうけれども(でも、それは問題では問題にされていない)。比重を上げるのには、安く済ませるなら、鉛あたりでも練り込んどけばいいけれども、それじゃあ毒性がというのなら、金でも練り込めばよい。もっとも、そうすれば、海に流れることなく、人々が競い合って拾い集めるので、そもそも、ゴミとしての排出が減るというメリットもあるだろう。理科的解答をあきらめて、社会科的解答まで許容するなら、レジ袋の価格を1000円ぐらいにして、レジ袋には1000円と記入して、これを回収場所に持って行けば950円程度のキャッシュバックがあるようにしても良いかもしれない(差額は諸経費のつもり)。話としては、捨てられたレジ袋が海に漂うのを防ぐことなので、回収率を上げるのも一つの方策だ。


もう一つ思いついた答は、クラゲを使ってレジ袋を作ること。これは、材料科学的な観点の解答になる。エチゼンクラゲのような巨大なクラゲを伸せば、それなりのレジ袋になるかもしれない。で、これなら、使い終って、そのまま海に流れて、海水に溶けなくて漂っているところを亀に食べられても大丈夫! エチゼンクラゲ対策にもなるので一石二鳥だ。まあ、この問題を出した学校と、学習塾からは、「ふざけている」といって最低点をつけられそうだけれども。

by ZAM20F2 | 2019-06-05 07:56 | 文系 | Comments(0)