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コレステリック 指紋状組織

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いわゆる指紋状組織なんだけれども、やたら丸まっている部分が多いのが面白い。
by ZAM20F2 | 2019-08-11 09:01 | 液晶系 | Comments(0)

責任者

このブログ、幾つかのエントリーは継続的にアクセスがある。
一つはカッターナイフの安全に関するもの、それから、プリズムの分光の作図に関するもの、そして、イカと液晶の関係に関するもの。
イカと液晶については、話の出所として、足立さんの本を上げていたのだけれど、足立さんの本の話は、コレステリック液晶を使ったいわゆるTN液晶とは異なる新原理の液晶の話だった。
イカと液晶の話を方々でしていたら、大昔のパソコン雑誌で見たことがあるという人が現物を持ってきてくれた。
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1989年なので、足立さんの本よりは後だけれども、足立さんの本と違って、パソコン少年の目に触れる機会は多かっただろうと思う。
ディスプレイの不思議という特集記事の表紙に、イカが使われているあたりから、なんとなく内容が想像できるのだけれど、本文を見ると
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とまだまだ液晶ディスプレイが一般的でないことが分かるけれども、記事の見出しが「液晶はイカでできている!?」と、なかなかとんでもないものになっている。少し下を見ると
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という具合で、液晶ディスプレイに化学合成された物質が使われるようにはなったけれど、それ以前はイカが使われていたと理解できる作りになっている。
対象はTN液晶なので、このあたりが、普通の液晶ディスプレイにイカが使われているという話の起源かもしれない。

by ZAM20F2 | 2019-08-04 07:48 | 液晶系 | Comments(0)

見つけた

科学の学校「にじ」は少し前までは国会図書館にも全部は揃っていなかった。5月号に関しては、マイクロフィルム版は存在しているのだけれども、モノクロ画像のために表紙の色がどうなっているのかが想像つかなかった。
「にじ」は中々古本屋には出てこない。もっとも、人気がないので、出てきても1000円程度で済むので、出てきさえすれば入手は困難ではない。
この前、5月号が出ているのを見つけて、当然のように買い込んだ。
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国会図書館にもないものが家にあるぜと喜んでいたのだけれど、そのうちに、寄贈でもしてみようかと蔵書を調べたら、5月号は存在する事になっている。これは……マイクロフィルム版も入れて何だろうか。残念ながら、ネット上からは確認できないので、そのうちに出かけなければならなくなってしまった……。
by ZAM20F2 | 2019-07-05 07:38 | 文系 | Comments(0)

表面色と開口色

大夫前に出したカラーフィルターセット
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その中の2枚。オレンジと茶色。
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xy色度図を思い浮かべると、オレンジは存在するのだけれど、茶色は色度図の中には存在しない色だ。xy色度図には人が認知できるすべての色が含まれているはずなのだけれども、どこを探しても茶色は存在しない。

実は、色には「開口色」と「表面色」がある。開口色とは周囲が黒に囲まれた真中にある開いた穴から出てくる光で見られる色で表面色とは、周囲に別の色があるような日常的な環境で見られる色で、xy色度図で示されているものは開口色であり、開口色には、茶色、黄土色、灰色といった色調は存在しない。

テレビはパーソナコンピュータの画面はxy色度図で色彩が制御されているのだけれど、それにも係わらず、画面上で茶色系を認識できる。表面色というと、光源からの光を反射する状況のように感じられてしまうが、ディスプレイのように光を出しているものでも、様々な色が見える状況は表面色となる。

逆にいえば、表面色で茶色に見えているような物も、開口色条件に持っていくと、茶色じゃなくなるはずである。と言うわけで、周りを黒く覆ってみた。
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これは、オレンジがかった黄色あたりに見えている。先ほど茶色に見えた時に比べると、露出を長くしているのだけれども、目で見た感じもこんな色に見えている。

色、奥が深い。
by ZAM20F2 | 2019-07-03 07:27 | 科学系 | Comments(0)

線形

中谷宇吉郎の「科学の方法」初刷の発行年月日を確認したら1958年6月だった。ということは今月で満61才となったわけだ。
なんで、そんな確認をしたかというと大夫前に作りかけた「科学の方法」の刷の西暦依存性のグラフを久しぶりに目にして、日本の古本屋の出品情報を元に、もう少しばかり穴を埋めてみたからだ。
そのグラフがこちら。
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1刷あたりの数が変化しているかはわからないのだけれども、また、最新の情報が拾えていないのだけれども、随分と長い期間にわたって、コンスタントに売れている。見ていて、なんかうれしくなるグラフだ。
本の写真も載せようと思ったのだけれど、行方不明中……。代わりに発掘されたものの写真を掲載する。こちらは、絶版になっている。
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by ZAM20F2 | 2019-06-29 16:22 | 文系 | Comments(0)

ルートは大人は使わないという台詞について

久しぶりに出かけた芝居の一幕に、「大人になったらルートは使わない」という台詞があって、客席ではそれなりに受けていた。この劇団には、「技術」なんて役職のスタッフがいて、電子的な小道具を作ったり、劇団アプリを作ったりしているらしいのだけれども、その仕事にルートは必要ないのかしらとか、そこの大道具の階段の斜めの板の長さはルートがないと求められないだろうなどと思いながら、「ルートを使わない」というのが芝居の台詞となるということ自体にインパクトを受けていた。

芝居の方は、見終わって思い起こしたのはヘッセの小説の何か。主人公が遍歴の結果として等身大の自分に行き着く系のやつ。芝居にはオームを彷彿とさせる集団が出てきたのだけれど、教祖、少しばかり物わかりが良すぎる印象があった。まあ、物わかりが悪かったりすると、最後の方の筋がぐだぐだになるのかも知れないけれども。

私の頭の中の感覚だと物わかりのよい人間は教祖になれない。教祖というのは磁石のようなもので、磁力に引きつけられる元素は100種類の中で3種類しかないとしても、その3種類には力を及ぼす。力は常に同じ方向に働いているべきで、物わかりの良さは力の揺らぎを引き起こすため継続して何かを引きつけるのが困難となる。

今回の講演は劇団の15周年。パンフレットによると大学卒業時に旗揚げされているようなので、主催は40少し手前のはず。サリン事件は四半世紀ほど昔だから、当時は小学校高学年から中学生程度だっただろうと思う。おそらくは関西の人だと思うので、あの事件による衝撃は、私が感じた物と比較して弱かったのかなぁなどとも感じていた。

閑話休題。ルートの話に戻ろう。確かに、日常的にルートを使った計算をする場面はあまり思いつかないのだけれども、人々が日常的に使っている機器はルートどころでない高度な数学が使われている。そういう意味では文明社会において、ルートと無縁の生活を送っている人はいない。

ただ、ルートの計算が万人に必須のものかというと、確かに微妙なところはある。少し前にネット上で、対数の知識は教養かという話題が出ていた。理系の人の中には、教養であると主張する人もいたけれども、一応理系の身でありながら、道具としての対数は教養じゃないよなと思っていた。では、対数がまったく教養でないのかというと、そんなことはなく、人類の数概念の拡張と結びついているなら立派な教養だろうなぁと思える。ルートも同様で、数の概念の拡張と結びついて、初めて教養となる。


物理法則についても、知っていて使うだけなら教養じゃないけれども、その法則による概念の拡張を合わせた知識なら立派な教養だ。実際、高神 覚昇の「般若心経講義」には、「もちつもたれつとは、独ひとり人間同志の問題ではありません。世間の一切の万物、皆もちつもたれつなのです。現代の物理学者は相補性原理といっています。相補性原理とは、もちつもたれつということです。有名なアインシュタインはかつて相対性原理を唱えましたが、もはやそれは古典物理学に属するもので、今日ではすべてのものは、互いにもちつもたれつの関係にある、すなわち相補性原理こそが真実だといわれています。」なんて文言もあり、著者が相対性理論も、相補原理も理解してなさそうなのは分るけれども、それにも関わらず、それらを振回す必要があり、文系の人間の間でも教養と見なされていたことが伺える。

しかし、時代が下って、科学技術がさらに発達すると状況が変化する。理由の一つは、科学技術のネガティブな面が顕になったことだと思うのだけれど、それ以上に、文系の人間が科学技術を教養とは別のものと見なして理解しようとしなくなったことにあるように感じている。


科学技術が教養ではなくなったのには、科学技術に携る側が、自分の専門は語れても、科学を語れなくなったという理由もある。最先端の科学とやらを語ろうとする人々はいるのだけれども、ファラデーがロウソクを使って科学を語ったように、日常的な事柄を使いながら現代科学の基本的な概念が展開されることは、あまりないように思う。その一つの理由は研究者の専門が細分化された結果として、「何とか化学者」とか、「何とか物理学者」は存在しても、一般的な科学者が存在しなくなっているためではないかと思う。高等学校の物理基礎などまででは、量子論も相対論も実質的に出てこない。また統計物理や熱力学に関しても、知識としての伝達はあっても、概念として十分に伝達できているとは思いがたい。それ故に、最先端の科学の話をする前に、それを支えている概念の理解が必要なはずだ。先端の研究を普通の人にわかりやすく説明するなんてことが求められる世の中になって、「科学者」の人々が自分の研究を嬉々としながら話したりもしているみたいだけれども、そんなことが可能なら、高等学校の科目も、大学の教養や専門科目もなくてよいはずだ。それらが存在するということは、先端の「科学」とやらをきちんと理解するためには、多くの基礎知識が必要であることを意味している。

しっかりした基礎の上にない「最先端の科学」は魔術と区別のつかない物になってしまう。

魔術と区別がつかなければ、魔女狩りの対象となる。世の中が平和だと魔女狩は起りにくいのだけれども、社会的な不安は魔女狩の温床となる。それは、科学的な知識が欠乏したエキセントリックな発言からはじまるかもしれないし、あるいは、金銭絡みの悪意というか作為をもった者によって引き起されるかもしれない。いずれせよ、魔女狩がはじまってしまうと、終息させるのは大変な作業になる。


科学を魔術レベルで伝えるのではなく、当たり前の知識と方法を教養として伝えることが出来たなら、今よりは魔女狩りにあう危険性を減らせるだろうと思う。

そのためには、「わかりやすく科学を語る」ような活動は厳に慎んで、科学のわかりにくさに正面から取り組む必要がある。「科学の学校『にじ』」の創刊号で編集者の藤田圭雄は、「科学は近よりにくいものでもないし、わからないものでもない。しかし求めようとしなかったり、わかろうと努力しない人のためには全くの他人である。科学的な真理を、やさしく面白く解説する-ということがよく言われる。しかしそんなことは出来ることではない。ルールを知らないで野球を見ているようなもので、いつまでたっても本当の面白さもたのしさもわいては来ない。まず諸君はルールを覚える努力をすべきである。ルールをしっかりと覚え込めば、それから先のたのしみは無限に広い。」と少年少女に語りかけている。

ルートは使わないという台詞を書いた作家さんも、科学の否定的な面を強調する文系の研究者も、科学のルールを覚える努力を積極的には行わないだろうなぁという気もする。ただ、「人体に含まれる窒素原子の半分は空気中の窒素を化学工場によりアンモニアへと変換することにより得られたもの」(「大気を変える錬金術」(トーマス・ヘイガー;みすず書房)による)という知識の前では、ルートは出来なくても、足し算か引き算が出来る人間なら、科学に、いくら否定的な面があろうとも、科学の作り出したものなしに、現在の世界の人の生活は成り立たないことを認めざるを得ないと思いたい。現実には、それでも、化学肥料を全面的に否定する人間はいるだろうけれども、理性のある大くの人間が納得してくれるなら、魔女狩りの炎は押さえられるだろう。まず必要なのは、先端の科学とやらではなく、日常にしみこんだ科学の必須性とそれと引き替えに引き起こしている問題の併せての認識だ。そして、確立した知識の上に、当たり前のことを、当たり前にやるのが科学だという認識。「法則は本当だろうか。大科学実験で試してみよう」なんて台詞とは真逆の発想が科学の根本にある。


「政治家が政治のことだけより知らなかったり、文学者が文学以外に無関心だったり、世の中のことを何にも知らない科学者を大学者のように思ってありがたがったり、そういう片輪の人間が出来るところに国の不幸が生まれる。」これも、先ほどの藤田の編集の言葉にある文言だ。

残念ながら生まれてしまっている不幸、せめて、これ以上に不幸を育てないように心がけたい。


by ZAM20F2 | 2019-06-22 07:38 | 文系 | Comments(0)

Raもう少し

楢の木技研さんのezSpectraでLEDを測定して、演色性評価について思案している。
前のエントリーにもしるしたけれど、Raは同じ温度の参照光源に対する色味変化を示す指数である。参照光源は5000K以下では黒体放射、それ以上ではCIEの指定する標準光源である。このため、5000Kで参照光スペクトルが不連続に変化する。

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図に5000Kの黒体放射と標準光源を示す。標準光源は黒体放射に比べて短波長側の落ち込みが多い。これは空気のレーリー散乱のためかなと思う。それ以外のでこぼこしているところは、地球の大気によるものか、放射自体かは調べないと分からない。低温側は、電球を使うことを前提に黒体放射に、5000Kより上は太陽光を使うことを前提に光源を定めているのだろうとは思う。TM-30-15ではある色温度範囲で両者の割合を変えながら混ぜていってスペクトルが連続して変化するようにしている。

昼光色青色LED励起のスペクトルと参照光源のスペクトルを比較すると、青色のピークが突出している。
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この不一致が、12番の値が悪いことの原因だと思う。ただし、12番の値が100より小さくても、その色の再現が標準光源と異なることを示しているのであって、ずれの方向は分からない。

上のスペクトルでは、LEDでは400nmあたりの放射がなく、この部分で青が不足するのではないかと考える方もいるかもしれない。でも、次に示すxy表色系の感度分布を考えると、zの感度分布は450nmあたりにピークを持ち、短波長側では急激に減少しており、300nm台の不一致は色調にはほとんど影響しないことがわかる。
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繰り返しになるが、9番以降はRaの計算には含まれないので、これら値がいかに悪くてもRaには直接は反映しない。

前のエントリーで示したTM-30-15の色ずれを示すグラフは、どの色がどちらにずれているのかが認識できる形で示されている。青色あたりは曲線が円の外側に出ている。一方で、緑から黄色の領域がへっこんでいる。スペクトルの図で、この領域の強度が参照光源より低くなっているのは、グラフをみて両者の強度調整をおこなったせいなのだけれど、まあ、目で見て妥当な範囲には収まっているのではないかとは思っている。

昼光色LEDでは9番はよい値となっている。次の電球色LEDでは昼光色よりは相対的に赤が強いにもかかわらず9番の値は低下している。これは比較対象となる色温度のスペクトルが昼光色の方は赤が弱くなっているためである。青が非常に強く色温度が凄く高いLEDでは参照光源の方で赤が弱いためにLEDに赤が出ていなくても9番が悪くないといった状況も出現する可能性がある。単純に9番の大小で判断しない方がよい。



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電球色のLEDでは長波長側のずれが大きい。確かにR9の値は悪くはなっているけれども、TM-30-15の図を見ると、赤の手前はへっこんでいるけれども、赤はそんなに悪くない印象はある。12番の青が悪いのは昼光色と同様に強いためと分かる。
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自然色電球は可視域では割と小さな凸凹でRaが高いのも納得できるところだ。長波長側で参照となる光源との一致が悪いが、このあたりは視感度も悪く色への影響が少ないので、演色性にはさほどは響いていないのだろうと思う。(青の方は視感度は悪いが、色への影響は強い。)
by ZAM20F2 | 2019-06-20 06:25 | 科学系 | Comments(0)

高演色LEDをRaとTM-30-15で評価する

せっかくTM-30-15の測定ができるようになったので、高演色LEDも測定してみることにした。現在使われている演色性評価は国際照明委員会(CIE)の平均演色評価指数(Ra)である。Raでは評価対象である光源で、8種類の評価用の色彩を照らした時に、評価対象の光源と色温度が同じ参照光源に対して、どの程度変化が生じるかを示す指数になる。Raを測定する機器では、Raの値とともに、1番から15番までの色に対する色味の一致度が表示されるものが多いが、ここで、注意しなければならないのはRaの計算には1~8までの8つしか使われていないということ。LED電球では9番目の赤が足りていないことが多いのだけれども、赤が出ていなくてもRa値には反映していない。
この1点からも、Raだけでは演色性評価として十分ではなさそうなのが明白だと思う。また、Ra値が同じだとしても、色味は赤色方向にも、青色方向にも、それ以外の方向にもずれてしまうので、同じRaの光源を揃えても、照明としては不揃いのものになり得る。
もう少し細かい話をするとRaの計算に用いる参照光源は、色温度5000Kを挟んで不連続に変化する。このため、ほぼ同じスペクトル分布の光源でも色温度が5000Kより少し上か下かでRa値が異なる可能性がある(たとえば、完全な黒体放射光源があると、5000K以下だとRa値は100になるが、以上になると100にならなくなる)。

TM-30-15では参照とする色彩は8種類から99種類に増やしている。また、その中には原色に近い色も含まれている。このため、赤が不足しているLEDでは、その部分が引っかかる。また、参照光源は色温度とともに、ある範囲でなだらかに変化していくようになっていて、不連続の問題は生じない。

TM-30-15にはRfとRgの二つの指数がある。RfはRaと同様に最大値が100となる指数で色の再現性を示す。これが100に近いほど参照光源と同じ色味になる。Rgは彩度を示す指数でこれは、(100-Rf)程度の範囲で100を挟んで変動する。この値が100以下の場合は、参照光源に比べて彩度がおちる。そして、100以上の場合はより鮮明な色彩となる。
ただし、この2つでは類似度と彩度は示せても、緑が青方向に転げるといった色味変化は示せない。そこで、TM-30-15では色味の変化を示すベクトル図が用意されている。標準光源での色味からどちらにずれているかを図として示したもので、これにより、部分的な彩度の範囲も含めて全体の感じを半定量的に理解できる。

測定したのはUniPoで扱っているYUJILEDS。
まず、青色励起の昼光色タイプ。
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Ra値は95は出ている。
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TM-30-15だとRfは86。図を見ると青が強くて緑あたりが弱くなっている。図はかなり凸凹している。青が強く出ているのはRaの12番の値が悪いことに対応している。しかし、上に触れたようにRaは8番までの平均なので、青色が強すぎて12番が悪いことは反映していない。

続いて青色励起の電球色。
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こちらはRa96。
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Rfは87。色温度に対して黄色あたりが弱そうな感じだ。

LEDは青色励起より紫励起の方が、より演色性が良くなる。続いては紫励起タイプ。
まずは昼光色タイプ。
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Raは98。
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こちら、Rfも98となっている。当然、Rgもほぼ100だ。図を見てもほぼ丸くなっている。

電球色タイプの方は
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Raは95.
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青色励起程度の値となっているのだけれど、Rfは92と青色励起より秋あらkに良くなっている。色味変化もなだらかだ。

ついでにCCSの自然色LED電球も測定してみた。スペクトルからすると、これも紫励起。
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Raは97。
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そしてRfは94。こちらも、色味のずれはなだらかで青色励起より素直になっている。

青色励起と紫励起を比較すると、Raの値で見るよりは、TM-30-15の方が紫励起の素直さが伝わってくる。Raの表示では青や赤の値が悪いのが、強すぎるのか弱すぎるのかがわからないけれども、TM-30-15のグラフなら、そこもはっきりする。さらに色味変化方向み見られる点が優れている。



by ZAM20F2 | 2019-06-16 10:44 | 物系 | Comments(0)

IES TM-30-15

楢ノ木技研さんのezSpectraのソフトがバージョンアップしてIES TM-30-15が表示されるようになった。ベータ版だけれども、早速ダウンロードして試してみた。

とりあえず蛍光灯を測ってみる。
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これは、普通のRaの表示。IES TM-30-15にすると、
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と、色味に対する光の偏りが見安くなる。この図では直交座標系だけれども、極座標表示の芸もある。
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続いて、LED
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Raは蛍光灯とほぼ同じなんだけれども、色再現も色飽和も低く出ている。

そして、豆電球
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さすがに丸々としている。

by ZAM20F2 | 2019-06-11 07:46 | 物系 | Comments(0)

この答、理科ではない

今月の学習塾の車内問題、写真を撮ろうかと思っていたら、何故か新聞に広告としても掲載されていた。
問題は、海亀がレジ袋をクラゲと間違えて食べてしまうのを防ぐ方法を尋ねるもの。ただし、レジ袋としては機能することが求められている。
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問題を眺めながら、学習塾の解答は、海亀が消化できる材質の利用程度かなとおもっていたけれども、解答例としてあがっていたのは、
消化可能+水にはとけないけれども、海水に溶ける。
毒のある生物に似た色にして食べないようにする。
という2点。いずれも、私が採点者だったら、低い点をつける内容だ。

どこが気に入らないかというと、きっちりした科学的な知見に基づいていない解答だからだ。まず最初のものに関しては、水に溶けずに海水に溶ける素材があるかという点が引っかかる。私の知識の範囲では、思いつく素材がない。こんな回答でよいなら、「レジ袋としてはちゃんと使えるけれども、使い終ったら消滅する素材を使う」でも立派な回答となる。科学的な根拠がない回答は、道徳授業の回答にはなっても、理科の回答にはならない。それに、そんな素材があったとして、スーパーでネット入のアサリでも買込んで袋に入れたら、大惨事になりそうだ。魚のパックの液体が漏れても危ないかもしれない。実用性にも疑問があるのだ。
2番目の回答は、一見もっともらしいのだけれども、海亀の生態をきちんとしった上でないと、可能であるか判断できないはずだ。海亀が補食しない色の生物がいることが前提なのだけれども、学習塾がそれを知った上で出しているとは思えない。そういう意味では、これも空想科学の回答であって、理科の回答ではない。それに、着色しても、砕片となってしまったら、やっぱり食べそうだ(クラゲの破片と間違えて)。


では、理科的に考えても、大丈夫な回答があるのかと言われると……
コスト的とか他の点ではダメな回答なら無いこともない。
一つは、袋の底部分に比重のかなり高い材料を用いること。条件は、それなりの速度で海中でも沈降すること。底部分としたのは、それなら、袋に空気が入って水中を浮遊する危険性が減らせると考えるため。陸の近郊だと、海底を漂うものをそれでも食べられてしまうかもしれないけれども、大洋を漂うことはないので、海亀に対する安全性は高まるだろうと思う。その分、海底で良からぬ作用をするだろうけれども(でも、それは問題では問題にされていない)。比重を上げるのには、安く済ませるなら、鉛あたりでも練り込んどけばいいけれども、それじゃあ毒性がというのなら、金でも練り込めばよい。もっとも、そうすれば、海に流れることなく、人々が競い合って拾い集めるので、そもそも、ゴミとしての排出が減るというメリットもあるだろう。理科的解答をあきらめて、社会科的解答まで許容するなら、レジ袋の価格を1000円ぐらいにして、レジ袋には1000円と記入して、これを回収場所に持って行けば950円程度のキャッシュバックがあるようにしても良いかもしれない(差額は諸経費のつもり)。話としては、捨てられたレジ袋が海に漂うのを防ぐことなので、回収率を上げるのも一つの方策だ。


もう一つ思いついた答は、クラゲを使ってレジ袋を作ること。これは、材料科学的な観点の解答になる。エチゼンクラゲのような巨大なクラゲを伸せば、それなりのレジ袋になるかもしれない。で、これなら、使い終って、そのまま海に流れて、海水に溶けなくて漂っているところを亀に食べられても大丈夫! エチゼンクラゲ対策にもなるので一石二鳥だ。まあ、この問題を出した学校と、学習塾からは、「ふざけている」といって最低点をつけられそうだけれども。

by ZAM20F2 | 2019-06-05 07:56 | 文系 | Comments(0)