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科学者そしてサイエンスライター(II)

 伏見さんは、「光る原子、波打つ電子」の中で波束としての電子の解説を行った後で、
「以上、話はたいへん難しくなりましたが、皆さんも一奮発して、何度も読み返して下さい。何しろここでお話ししていることは最も難しい物理学の理論すなわち量子論に関係していることなのですから、そうすらすらとわかるべきものではないのです。
今までのところをまとめて言いますと、エネルギーがEで、運動量がpであるような粒電子に、それぞれに比例する振動数ν、波数kの分散性の波を対応させて考えますと、この波の塊として電子の粒としての性質がある程度まで理解することができるということです。」

と記している。注目すべきはこの前半部分で、伏見さんが読者の努力を要求していることである。最近のグラフィカルな科学雑誌も、そして、多くの科学教室の説明も、対象者には、あまり努力を要求してはいない。科学雑誌の場合は、下手に努力を要求すると読者が付いてこなくなるとう面はあるだろうけれども、努力なしに理解出来ることは、基本的にはその人が既に知っていた程度の事でしかない。それでは、基本的には賢くなれないだろうと思う。

読者に努力を要求する一方で、それに食いついて来る人のためには、惜しげもなく物理的な考え方を伝えようとしている。例えば、

「デカルトがその「方法序説」で一つの格率として「研究しようとする問題の各々を出来るだけ多くのそうしてよりよき解決のために要請され得るかぎりの小部分に分割すること」と説いているのを、今引用するのは索強附会かも知れませんが、全体として眺めていてはどうにも手のつかない多くの物理上の問題が、その微分要素に考察を向けることによってどんなに近づき易くなるかは苟(いやしく)も物理の初歩を学ばれる方には分かるはずです。」

なんて言うのは、問題の取扱の基本的な事の一つだけれども、あんまり明示的には教えられていないことである気がする。そしてまた、

「新しい見慣れない現象に出会った時、人々のとる態度は何でしょうか。それは先ず第一に既得の知識を使ってそれを説明しようとすることでしょう。それがどうしても旨く行かない時、人々は今度は自分の知識の体系を変更しなければならないことに気付くのです。これは全く正しい生き方と順序です。その第一段の手続きを怠るならば、私どもは不断に現象の驚異に曝され、決して自然の秩序に思い至ることがないでしょう。私共は野蛮人のように、事毎に独立不覊(ふき)の神を認めて多神教を信奉するようになるでしょう。
 私は今まで物理学就中理論物理学の最前線で、どんなに古い知識体系が崩れ去って、新しい革命的思想がとって代わったかを話してきました。このような瞠目的な前進の物語をするのは、話をする方も叉聴く方も面白いには違いありませんが、それには一つの危険の冒されていることを強調しなければなりません。このような目覚ましい事件というものは要するに珍しければこそ人々の注意を集めるのでありまして、物理学全体の前進はもっと地道な生き方を辿っているのであることを充分に知らなければなりません。
 先ず大部分の新しい研究領域では、古い慣れた考え方が(その外見が甚だしく見慣れないものであるにしましても)その儘運用するのであります。私共の長い戦線からの報告は、結局「異状なし」であることが多いのであります。」

は、ものすごく大事な内容だ。なにしろ、こんな忙しい世の中になってくると、人目を引くために、見つけたことを既得の知識を使って説明する努力を省いたような仕事も発表されるわけで、それに対する警告にもなっている。

一方で、より具体的に役に立つ話もある。

「物理学者は不必要な精密ということを嫌います。問題問題に依って何が大切な肝心なものとなるかをよく知らなければなりません。会計検査官に取っては最後の何銭の桁が問題かもしれませんが、何十億円の国病予算の審議に一議員がこの最後の何銭を問題にしたとならば、私共は彼の常識を疑うことでしょう。常識の健全なる発達であります科学は、今一度言いますが不必要な精密さを嫌うものです。かかる立場にあれば「高い山に登ると太陽に近づくのに何故寒くなるの?」という子どもの質問に対して、あまりびくびくしなくてもすむことになりましょう。大気の温度分布に就いて気象学者がどういう説明をするか私は詳しくしりませんが、少なくとも子どもの疑問が無意味なものであることだけは判ります。假令ヒマラヤの山頂を極めたとしたところで、私共は太陽にいくら近づいたというのです。九牛の一毛も近寄ってはいないのです。」

なんかは、もっと具体的に有効数字という概念を感覚的に分かりそうな例を使って説明している。確かに、学生実験などを通して有効数字の扱い方は教わるわけだけれども、そもそも、何桁の有効数字で物事を扱うかは、有効数字の扱いとは別の話で、そっちの感覚も大事だと気づかせてくれる。


伏見さんは、理論家なのだけれども、実験に対する感覚もきちんと持っている印象がある。たとえば、
「『自然は真空を悪む』という言葉があります。近頃科学教育ということが頻りに問題になっておりますが、そういう論の中に「自然は真空を悪む」などという言葉はけしからん、こういう擬人的な言葉こそ凡そ非科学的で、客観的真理を記述する科学精神とは相容れないものであるという方があります。私をして言わしめて下さるものでしたら、そういう批判こそ、一知半解も甚だしいと申しあげたいものです。近頃の物理学の実験を試みられた方なら、先ず十中の八までは真空を取り扱われた筈でありますが、およそ一度でも真空を作って見られた方なら、此の「自然は真空を悪む」という言葉をつくづく身を以て味あわれることでしょう。よく言い表したものであると感心しないわけにはいきますまい。」

なんて言うのは、真空度の上がらない装置と格闘したことがある人なら実感を持って受け入れられる所だろうと思う(もっとも、最近では出来合の装置の性能が上がってしまったために、真空が上がらなくて苦労するなんて状況にも余りお目にかからないようだけれど。)。さらに、実験あるいは実験家について

「けれども実験がどんなにむずかしいものであるかを知る人は少ない。学生は大抵の場合、頭の悪い奴は実験へ廻れと教えられています。それは単に技術を習得するというだけならば或いは当たっているかも知れません。併しいやしくも独創的な仕事をしようとする人ならば充分の頭の働きが必要です。その上にあらゆる人間の徳、強固な意志、粘り、注意力、厳格、正直、思想の自由性、体力がなければなりません。此のあらゆる徳を以てぶつかって行った時、初めて頑固な自然はその秘密を私共に開いてくれるのです。」

とも記している。今の世の中、趣味の工作が廃れてしまったためか、物を扱う経験量が全体的に低下している。そうなると、出来合の装置を使って、ボタンを押せば済むような測定は出来ても、何かを作り上げて新しいことを測定するのは困難になっていく。




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by ZAM20F2 | 2018-10-17 06:07 | 文系 | Comments(0)

科学者そしてサイエンスライター(I)

大分前の「専門家とサイエンスライター」「専門家とサイエンスライターまた」では、専門外の事についてはある分野では専門家である人も1人のサイエンスライターでしかなく、間違った内容を記してしまう場合もあることを取り上げた。逆に、世の中には科学者としてもサイエンスライターとしても一流で、書いた物を読むだけで、目から鱗が何枚も落ちてしまうような素敵な本を書く人もいる。物理分野のガモフや生物系のグールドなどはこのような人々だし、そして、ガモフの著書を戦前から戦中に訳した伏見康治さんも、優れた科学者兼サイエンスライターの一人であると思う。なにしろ、卵の実験なんて意表をついた本まであるのだ。


著作集からだいぶ経って出版された「伏見康治コレクション」は数学セミナー、科学朝日などに連載されたものをまとめたものらしく、それなりの予備知識を持つ読者を対象にしている感がある。しかし、戦前に書かれた「驢馬電子」や「光る原子、波打つ電子」は掲載雑誌から考えると、少し背伸びをしたいぐらいの旧制中学生ぐらいも視野にいれた解説だ。だいぶ前のエントリーで驢馬電子を取り上げたときは、もう少し年上向けと記したけれど、考えが変わったのは、驢馬電子の中には兄弟による問答形式の話があり、そこに出てくる弟が旧制中学程度の年齢だからだ。あえて、その年齢を選ぶと言うことは、そこを対象読者として考えているということになると思う。

 少し話はそれるけれども、「小国民理科の研究叢書」にも問答形式は結構使われていて、あるいはこの時代には、この手の科学読みもの(だけでなく一般的な子ども向け読み物もかもしれないけれども未確認)に一般的な記述形式だったのかもしれない。

 さて、その解説において、伏見さんは流石に大学の教科書に出てくるような数式は使わずに、原子物理や原子核物理の話をしていくのだけれど、そこでは、単に知識を伝えるのではなく、科学の考え方を伝えようとする意識が働いているのが色々なところににじみ出ている。例えば、驢馬電子の前書きには

「こんな懸け離れて小さい世界に私達の探求の手が延びていく時、粗大世界で私達の慣れた言葉、概念が重大な障碍に出会うことは予め覚悟していなければならないことでありましょう。こんな遠い世界の涯まで私達の日常の言葉がそのまま通用すると考えるのは、世界中どこでも英語が通用するとするイギリス人よりも思い上がった考えと言わなければなりません。事実はそれ程心配しなくても宜しいので、驚くべき程私達の粗雑な言葉は極微粒子の世界でも通るのであります。勿論適当な補正を加えて。
 もしこの偶然ともいうべき幸運がなかったなら、私はこんなお話を始める勇気を持ち合わせなかったことでしょう。ただそのような小さい世界の現象に浸り切ることによってのみ体得できる言葉を、いわゆる術語を使って皆様にわかる話をしようとしたとて、無理なことは明らかですから。物理学が科学の華と言われる程の大発展を遂げましたのも此の好都合が幸いしているために違いありません。
 けれども此の幸運になれてはいけません。私は多くの類推を並べたてることでしょうけれども、学問というものは類推だけで成り立っているわけではありません。類推が理解を援け、叉専門家が新しい領域に踏み込む時の足場の役を務めることも確かでありますが,併し試みに踏み出した足先が堅い地盤に触れたかどうかを審判するのは、ただ実験事実、現象そのものであるのです。つまり、現象に慣れ親しむことによってその言葉と文法とを体得する,現象に即して考えるという純粋な思惟が本質的な役目を果たしているのであろうことを御注意下さい。」

と、これから行うであろう類推を用いた説明には限界があることを読者に示している。(ついでに記すと、自分のやってることがグローバルというのは第二次大戦前からのアングロサクソンの感覚なのだなぁと思ってしまった。)

さらに、二原子分子の分光のところでも

「人々はよくギリシア、ローマの哲人達が近代の科学の獲得した思想に似たものを既に所有していたことを説きますが、私共はかような先走った空想に何の価値も認めることは出来ません。私共は一歩の飛躍は尊重しますが、千歩の飛躍はこれを肯ずることが出来ません。一歩の飛躍の後には左右を見渡して自分の足場を確かめることが出来ます。千歩の飛躍の後にはそれは不可能でしょう。」

と一足飛びの議論ではなく、着実に前に進むことの重要性を記している。このような意識があるために、原子核物理二十話という副題のある本の中でも、真空を作る話、霧箱、ガイガー計数器など実験のことに随分と頁を費やしていて、その後で、

「一体私のこれまでのお話では、少し世の中の慣習をはづして道具のお話を詳しくし過ぎた惧がないでもないのです。普通ならば、今度の話あたりから始めるべきものであったのでしょう。原子級の世界に於ける微粒子同士の様々な交渉、衝突や崩壊や放射能の現象に就いて私共物理学者が現在抱いている像をお知らせするのが本筋であったかも知れません。併し私はそのような話が齎(もたら)す危険を思ってみました。原子級物理の応用は宣伝的には色々なされてはおりますが、現在のところ電気とかラジオとかのように私共の日常生活と密接な結び付きを持っているわけではありません。この通り世界にいきなり皆様を連れて行くとしましたなら、それは実はおとぎ話の世界へご案内するのと大差ないこととなりましょう。世の科学通俗化を目指すお話の大部分はこの遠い世界のことを面白おかしく説いているようですが、それでは「科学」の通俗化にはならず、科学の成果の文学的記述で、驚異に満ちているという点でアラビアン・ナイトや西遊記と選ぶことがないこととなりましょう。」

などと、寄り道をしていることの真意を改めて説いている。それにしても、「現実とは解離した原子級物理の応用の話は驚異に満ちているという点でアラビアン・ナイトや西遊記と変わらない」という指摘は、クラークの「十分に発達した科学技術は魔法と見分けが付かない(1973年発表らしい)」という指摘に通じるところのある内容を30年程も前に記しているわけで、東西を問わずに似たようなものだなと思うし、クラークの発表から40年経過した今でも、西遊記と変わらない科学読み物が結構ありそうなことを考えると、時代を超えて注意しておかなければならない事柄であると感じられる。なにしろ、科学技術・学術政策研究所の「科学雑誌に関する調査」では、若年層の科学技術離れをなくす手段の一つとして、研究者・研究機関側からの情報提供を上げているが、伏見さんが注意点を書いた時代から、さらに先に進んでしまった先端の科学研究を伝えることは、伏見さんの時代以上に文学的記述となる危険性があるはずであるにも係わらず、伏見さんの指摘された危険性はほとんど意識されていないように思える。アラビアン・ナイトや西遊記は元々がお話であるという認識にあるものだから、それらが面白かったからといって、学校の理科が難しくてつまらないものにはならない。しかし、科学の成果の文学的記述を読んで、それが面白いと思えば、より面白くない学校の理科から離れていく理由にはなるわけで、これまでも、同じような事を書いているので、繰り返しになるけれども、荒唐無稽な物語とは違って、科学に害をなすものになりかねないのである。

 話はそれてしまったけれど、伏見さんに限らず、きちんとした科学者でありサイエンスライターでもある人の書く読み物には、知識というより考え方を伝える意識があるように感じられる。科学によって得られた知識というよりは科学という考え方を伝えようとしている印象がある。もう少し、伏見さんの言葉を拾ってみたい。
 
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by ZAM20F2 | 2018-10-15 06:57 | 文系 | Comments(0)

驢馬3兄弟

前にも出したことがある伏見康治さんの「驢馬電子」。
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科学知識に連載されたものをまとめたものだ。科学知識はこんな感じの雑誌。
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残念ながら、伏見さんの連成は載っていない号だ。


前にも出した驢馬電子は、戦前の発行だけれど、確認した限りで戦後に2回ほど別の出版社から出ている。
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1つは、中央公論の自然選書版。タイトルは「ろば電子」となっている。そして、もう一つはみすず書房の著作集に収められたもの。
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こちらもタイトルも「ろば電子」だ。

驢馬電子はだいぶ前に買込んだのだけれども、戦後に「自然」に書かれていた解説シリーズが読みたくなって、収録されているのが著作集だけだったので、著作集を丸ごと買い込んだ結果として2冊目がやってきて、持運んで読むのに手頃なのが欲しくなって3冊目がやってきてしまった。

本の表装はなんと言っても「ろば電子」の2冊より「驢馬電子」が気に入っている。
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とても原子物理入門とは思えないユーモラスな光景だ。驢馬電子は、電場によって普通の電子とは逆方向に動くような電子のことなんだけれども、この本で驢馬電子の話が出てくるのは随分と後の方。殆どの頁は驢馬電子以外の話となっている。そういう意味では、「驢馬電子」というタイトルは、なかなかに意表をついたものであるのだけれど、それがタイトルとして使われているのは、その時代には驢馬が身近な存在だったためなのかと思っている。

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by ZAM20F2 | 2018-10-13 07:52 | 科学系 | Comments(2)

小角鋭敏色板による低リタデーション試料のコントラスト増強

雲母板を通常の鋭敏色板と超鋭敏色板で比較する画像を載せたエントリーの最後に、普通の鋭敏色板を使って、よりコントラストを高くできる方法が見つかったと記した。それが書いてあったのは、
Journal of Microscopg, Vol. 180. Pt 2. November 1995, pp.127-130, Polarized light microscopy of weakly birefringent biological specimens, R. H. NEWTON. J. P. HAFFEGEE & M. W. HO
という論文で、通常の鋭敏色板を偏光子(検光子)の軸に対して45度ではなく、10度以下程度の角度で入れるとコントラストが良くなるよという内容だった。

通常の偏光顕微鏡では鋭敏色板の軸角度を変えることはできないので、試そうと思ったら、偏光子と検光子の直交状態を保ったまま、いつもの角度から回していく必要がある。というわけで、早速試してみた。試料はネマチック液晶をガラスの上に薄く広げたもの。

まずは、通常のクロスニコル下。
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全体的にくらい。カメラの露光時間をかなり延ばすと
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文様は、よりはっきり見えるようになる。
そして、普通の鋭敏色。
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こちらは、露光が短めの方がコントラストがはっきりするのだけれども、あんまり見やすい状況にはない。
続いて超鋭敏色。
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ここまでの比較だとたしかに超鋭敏色がコントラストが一番付いているように見える。
続いて、小角で鋭敏色板を入れる手法。角度は何種類か試している。
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いずれも、コントラストは段違いに良い。鋭敏色板の軸が偏光子の軸に近いと色調は変らないけれども、透過光量は減って暗くなる。実際、通常の鋭敏色や超鋭敏色に比べると画像は暗くて、カメラの露光時間は延びているのだけれど、コントラストは明確にあがっていて感度はよい。

ついでに、低リタデーションプレートによるコントラスト増強も試みてみた。オリンパスサイトにはブレースケラーがリタデーション測定だけでなく、コントラスト増強にも使えると書いてある。これを試みるには、リタデーションが数十nm程度の位相差板が必要になる。流れとしては、薄く剥いだ雲母板なのだけれど、今回はスコッチクリアテープ1枚を使っている。リタデーションは50nm程度。
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by ZAM20F2 | 2018-09-21 07:04 | 顕微系 | Comments(0)

かなり均一

超鋭敏色法がらみで出した雲母片、頑張って剥がしたのだけれども、均一に剥ぐことは出来ずに、どうしても色調のムラが出ていた。
井上信也さんの自伝を読んでいたら、雲母を5ミクロンに剥いで、ブレースケラー用の位相差板を作ったなんて話があるのだけれど、どうやるとそんなまねができるのか不思議だった。
均一に薄く出来る気がしなくて、雲母板は放置していたのだけれど、少し前に紹介した偏光素子の本を眺めていたら、雲母は水中で剥ぐと空気中よりやりやすいということが記してあったので、早速に洗面器に水をいれて剥いでみた。
確かに、水中の方がスムーズに剥がれる。とりあえず、1枚しかためしていないけれど、空気中のものより均一性はよい。
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1枚だと、色がでないけれども、2枚重ねると、合わせて265nmよりちょっと大きめという感じになる。
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必要に迫られて、ひたすら雲母を剥いでいたら、いつかは液中で作業することを思いついたかもしれないけれど、本のお陰で、他の層状物質にも使えるかもしれない芸を知ることができた。
昔の本には、実験のちょっとした技術が書いてあることが結構あるのだけれど、最近の本にはそういう話はほとんどなく、いろいろな芸が埋もれているのだろうなと思う。

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by ZAM20F2 | 2018-09-19 07:46 | 科学系 | Comments(0)

超鋭敏色法

だいぶ昔に、通常の鋭敏色板(530nm)の半分の位相差の位相差板を平行ニコル間に入れると、普通の鋭敏色と同じ色調になり、微小位相変化に対する感度は普通の鋭敏色より高いという話を書いた。その時には、比較写真を出さなかった気がするので、だいぶ時間が経ってしまったけれど、実例を出そうと思う。

試料として用意したのは雲母板を適当に剥いだもの。端っこのところがそれなりに薄いので、そこに注目して欲しい。軸方位を合わせると、当然のように消光状態となる
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まず、鋭敏色板なしでクロスニコル間の画像。長く見えてるエッジのところに、ちょっとした出っ張りがあるのだけれども、コントラストはあんまりはっきりしていない。
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これに普通の鋭敏色板を入れてみる。すると、確かに長く見えているエッジのところのM型の出っ張りが目に入ってくる。あと、鋭敏色板を入れないと消光状態になる配置で、内部に何か変な方向の切れっ端が存在するのが見えてくる。
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試料を逆方向に回転すると、色調は青色系から暖色系へと変化する。
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続いて、平行ニコルに266nm位相差板を入れたもの。色調変化は普通の鋭敏色板と同じだけれど、確かに色調変化が大きくなって見やすくなっている。ちょっと便利かもしれない。

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※その後、普通の鋭敏色版でコントラストを上げられる方法が見つかってしまっています……

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by ZAM20F2 | 2018-09-12 07:12 | 科学系 | Comments(0)

CマウントにカラーコンパスMFをくくりつける

カラーコンパスMFはCマウントポートがあれば、とりあえずでよいなら簡単に顕微鏡に取り付けられる。
ステップ1 顕微鏡のCマウントに適当なCマウントの部品をねじ込む
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ステップ2 mtテープの内径がCマウント部品の外径とほぼ同じなのを良いことに、上にかぶせる
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ステップ3 カラーコンパスの出っ張りがmtテープの内側に入るのを良いことに、上にのっける。
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ステップ4 落ちないようにテープでとめる
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フランジバックは、幅が15mmのものを使えば、実質問題ないレベルになるだろうと思う。
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by ZAM20F2 | 2018-08-26 08:38 | 科学系 | Comments(0)

カラーコンパスMFでを顕微鏡にくくりつけてみる

顕微鏡のCマウントにつけていたμ4/3カメラを外してカラーコンパスMFをくくりつけてみた。分光器をつける時は、入射スリットを撮像素子の位置に置くのが正しいだろうとは思うけれど、とりあえず、Cマウントのフランジバックは考えずに、外したCマウントにとりあえず、マスキングテープでくくりつけてみた。

分光測定の手順は前のエントリーで示したので今回はデータだけ。
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黒が参照信号で、青が測定したもの。露光時間は3000μ秒(3m秒)で、積算は128回。感度が高いので積算回数を多くしても、測定でいらいらすることはない。

割り算をして参照信号とともにしめすと、
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と、それなりに透過スペクトルが測定出来ている。まあ、450nmより短波長は、LED光源を使っている関係で光が来ていないので、まともなデータではない。でも、ノイズが多く見えないのは、オフセットがあるためだろうと思う。

測定したのは、適当に作った液晶用のセル。波打って見えているのはセルギャップに対応した干渉パターンで、これを使うと、セル厚が測定出来る。
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測定データにあうように、エクセルの上で手動でフィッティングしてみた。このセル、およそ6ミクロンだと思う。
セルが厚くなると周期が短くなっていく。どこまで取れるかは分解能次第なのだけれど、いずれ、それも確認するつもりだ。

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by ZAM20F2 | 2018-08-22 20:53 | 科学系 | Comments(0)

カラーコンパスMFでの透過率測定

カラーコンパスMFを使っての透過率測定をやってみた。測定では、まず光源の測定を行い、続いて測定対象を透過した光を測定する。測定領域全体でS/Nの良いスペクトル測定のためには、可能な限り測定領域で光源のスペクトルがフラットで特に強度が弱い波長が存在しないことが望ましい。

カラーコンパスMFでは波長感度補整が可能だが、透過測定では、このチェックボックスを外しておく必要がある。
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上のスペクトルは感度補正をしたもの。長波長側の強度が強く、実質的に長波長端が最大となっている。チェックボックスを外したスペクトルは次に示すように大きく形が違う。
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補整なしでは670nm付近にピークがあり、長波長側での信号強度が低下する。また、信号強度の最大値が飽和強度より遙かに弱くなっている。露光時間を約3倍にして、全体の信号強度を上げることが出来る。
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カラーコンパスMFの新しいソフトバージョン(8月17日版以降)には、ワンショットの記録機能がある。カラーコンパスMFは、記録保存にチェックボックスを入れないと測定データが保存される形式では保持されず、チェックボックスを入れると、連続で記録されてしまい、どれが必要なデータであるかの見極めが困難になる。この点、記録保存のチェックボックスを入れずにスペクトルを見ながら、必要な時点でワンショットを押すと、その時のデータが記録されるので必要なデータだけを記録できる。なお、8月19日版では、それまでのデータをクリアする機能が付いているので、途中で必要なデータを保存下の地にデータをクリアしておけば、次のcsv保存時に、どこから保存すべきか考えなくても大丈夫になる。

計測方式を光源モードでワンショットで記録した後、透過モードにして、100%透過をクリックすると、表示データはそのときのスペクトルと、100%値で割ったデータとなる。フィルターを何も入れない状態では、ほぼ100%ラインとなっている。
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これにフィルターを入れるとスペクトルが変化して透過率が見える。必要に応じて、ワンショットを押してデータを記録するようになる。
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その後、CSV保存で必要なデータセット(複数が同時に保存出来る)すればよい。なお、透過測定でも、割り算した透過スペクトルデータではなく、生の透過データが記録されている。透過スペクトルを別のソフトでグラフ化するなら、改めて割り算をする必要がある。といっても、スペクトルデータは透過ではなく吸収スペクトルで表記することもあり、また、生データがある方が、ノイズの状況なども判断できるので、これはありがたいことだ。

ezSpectraも透過測定機能はあるが、光源が弱いと測定領域とならない。その点カラーコンパスMFは光源が弱い領域も文句を言わずに測定してくれる。これは、ありがたい反面、注意が必要なこともある。示したスペクトルデータは富士フイルムのSP5というフィルターだが、そのデータシートを見ると400nmより短波長は単調に透過率が減少していく、カラーコンパスMFの測定結果で短波長側で透過率が上昇しているのは、オフセットの補正不足か、あるいは、フィルターで落とし切れていない迷光のためであろうと思う。
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by ZAM20F2 | 2018-08-20 06:56 | 科学系 | Comments(0)

最終巻

知り合いさんからOPlusEを頂いた。
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霜田光一さんの聞き書きの記事があって、面白いよとの話だった。
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記事を見ると、
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なんて写真があり、えっと、小学生でこれを作ったのかという驚きと、その写真(下手すると実物?)があるんだとの二重の驚きがある。まあ、電気機関車だと、もっと見苦しいのは作った人もいるかもしれないけれど、
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になると、何者感が深い。工作の図面も
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な感じで残っている。
確かに、少年技師シリーズなどで工作の本はあるのは知っているのだけれど、それにしても、この人、それに匹敵するような物を作っている。

ところで、OpluseEには看板の連載がある。というわけで、霜田さんはとりあえず置いといて、その連載を探したのだけれど見当たらない。代わりに見つかったのは
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という広告。
えっと、ということは連載は終了していたのだ。何しろ40年近く続いた連載だから、気分的にはあと100年ぐらいは続くんじゃないかという気になっていたけれども、冷静に考えれば、終わるのは当たり前の話。むしろ、ここまで続いていたのが奇跡的な話かもしれない。この本、最初に買ったきっかけは覚えていないのだけれども、このシリーズで知ったことは数限りないぐらいだ。もっとも、内容に関する理解度は高くはなく、今でも必要に迫られると慌てふためいて関連記事を探してはお世話になっている。著者は「ニコンの至宝」かもしれないけれど、このシリーズの本は、日本に光関係者の至宝だ。自国語にこんな本があるのは本当に幸せだと思う。

というわけで、最終巻も手に入れましたとも。
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色彩論がらみの話が中心で、まだ目を通していないけれど、色々と目から鱗が落ちるだろうなぁと楽しみにしている。最終巻だけあって
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と、全体の目次やら索引が付いている。これは、急ぎの時には便利かもしれない。何しろ、慌てふためいて知りたい記事を探そうとしても、その巻のその場所にたどり着く前に、他の面白い記事に目が行って、最初の目的を見失うこともしばしばだから。でも、それで広がることは多く、索引に頼るのは本当に切羽詰まった時だけにするのがよいかなと思っている。


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by ZAM20F2 | 2018-08-18 10:42 | 科学系 | Comments(0)